ヘーゲル

‪「ヘーゲルが発見すると同時に神秘主義で包んでしまった理論の合理性を、印刷物数ページで通常の知性も持ち主に理解できるように提示できたら、どんなにいいだろう」(マルクス)。丸山真男は『法の哲学』を読んで講座派を包摂した市民社会の自由を合理的に考えようとしたけど、「内なる何々」の神秘主義に絡み取られた。現在はその市民社会論がダメならば国家と民族に戻って考えてみようみたいな「世界史」の神秘主義に絡み取られている。これでもやはり何も見えてこない。どう考えていけばいいのだろうか?ヘーゲル精神現象学』の読みによって、マルクスの理解が定まるのだろう。未だヘーゲルの世界史しかもたないからマルクスの思考が成り立っていないのでは?どんな素材でも構わないのだが、投射される思考の映像をみるためにはスクリーンが必要だ。しかし現在だれがヘーゲルを教えてくれるのか?30年前と比べてみると現在は共産主義全体主義、資本主義がすっかり議論されなくなったといわれるが、果たしてそうだろうか。30年前と違うスクリーンでみようとしているということではないのかな。アゴラ(広場)に来てワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨする市民について語った小田実の言葉を考える。ジジェクが言うのとは違う意味で、グローバル資本主義の問題を国家と民族の危機として感じるのではなくて、寧ろ地球の終焉として感じとるという危機感は、21世紀の市民の登場によって成り立つ歴史的なことではないのかな‬