歴史の歴史

‪歴史の歴史

近代批判の<68>年以降、思想は思想の歴史をはじめて問題にすることができた。思想の歴史は50年たった。ラッセル『西洋哲学史』があったが、それはアジアのものではなかった。思想の歴史は1968年から、<思想の歴史>の歴史をもった。歴史の歴史とはこのことである。この歴史の中で、何が重要であり何がそれほど重要ではないのか、19世紀の見方に、また20世紀の見方に戻らない形で考えを何とかまとめることができた。思想の歴史についてまだ分からないことがあるとはいえ、繋がりの線を引くことができた。カントの出現がマルクス‬よりも前だと分かっている。ヘーゲルの出現がマルクスよりも前だということも。マルクスに先行したものがマルクスの問題を正しく相対化できる。それは、明治維新に先行する時代が存在したこと、既にその時代は想定される明治維新のあり方とその展開を批判していたことと同じである。かくも、歴史の歴史は歴史に介入しているほど豊かなものになっているし、複雑でもあり波乱に富んでいた。だけれどヨーロッパのOccupy Wall StreetであったG20ロンドン開催の抗議の年、2009年に東京に戻ったときは、思想の歴史はお喋りの対象になっていたが、決して語られていない...。 いまなお、近代の歴史を神話化したような明治維新150年の作り物語を祝っているという有様で、市民的不服従にとって意味のある思想の歴史において何を拒んで何を受け入れたのかもわかっていないようである。