本『映画史』

Godard’s seul le cinéma

本『映画史』は発想の大転換が必要。このイマージュの博物館は博物学的連続性の原則と方法をもつ。博物学の本は現実に存在しない動物の絵がそれ似た特徴をもつ生き物の絵の横に理解されないままに配置された。本『映画史』も同様に、映画史に現れることがなかった、諸々の断片で作った映像たちの配置が成立している‬。博物学の理解できない映像は空間の広がりに属した。『映画史』に現れる断片たちは時間の流れに属している。それらは歴史のなにかを語る痕跡であるけれど、歴史の部分ではない。本が文字通り作る映画、本『映画史』を開くときこのことをおもうのである。スクリーンの映画しかないという発想を転換しなければ