思考の千の高原

‪分割は不毛だと非難する考え方がいつも出てくるけれど、わたしは分からない。人間は分割に対する関心をもつから思考が成り立つとおもうから。問題は、せっかく思考がはじまるときに、「父の死」「神の死」を反芻する方向で分割を統合して、思考を外に放りだしてきたことにある(「日本を取り戻せ」もまたそういう同一化と思われる。) 思考とは、分割されたあり方を分割していく多様性ではないだろうか。思考の千の高原は、要請されている。右側に行って分割(別の右を差異化)し、と同時に、左側に行っては分割(別の左を差異化)していくような真ん中に位置をとる。または、時間的なものである。再び新しく明治維新に先行するものに行ってくるけれどそこで分割されたあり方を分割することによって、その150年後の閉じられた未来を開くことができないかとおもうのである。je reviens en arrière mais je vais de l’avant‬