MEMO
今日の子安氏の思想史講義で考えたこと
いつの間にそんな家族が現れた
いつの間にそんな市民社会が成り立った
だから国家をもった
ここでヨーロッパでは市民的不服従はわれわれの問題ではない。国家の問題である。抗議をやめてしまう市民的服従がわれわれの問題である。
ところが後進国(明治国家)の真相はこうだ。
いつの間にそんな家族が現れた
国家をもつと同時に、市民社会が成り立った
市民的不服従はわれわれの問題ではないことも、国家の問題であることも同じだ。違いはつぎだ。抗議をやめてしまう市民的服従がわれわれと国家の問題となる。しかしそれでは国家を批判的に相対化する究極的な自己の生産が難しい。そこで「愛国心」に絡みとられる。天皇の言説をもちだすと一層困難である。1945年に、戦争を導いた国家と天皇を断ち切ったはずなのに