テニス

テニスは常にテニス以上の意味をもっていました。アーサー・アッシュとかビリー・ジーン・キングの時代は、テニスの身振りとジェスチャーアイデンティティの政治と結びついていたようですが、テニスに政治が読み出された最後は、スエーデンのワーキングクラスのナショナリズムから支持されたボルグ。新しく始まったのが、テニス界のゴダールといわれるマッケンローは、中断ばかりしているアイデンティティなきポストモダンの身振りとジェスチャー。今回、セリーナの苦情の身振りとジェスチャーをどう読むかですね‬。この場合、彼女がなにを考えていたかはそれほど重要ではなく、そうしても深読みにしかならないしー、オバマの時代の後、トランプの時代に自らをマイノリティーと感じる「白人」に対する再びマイノリティーの抗議を読み解く見方が出てきそうですが、むしろ共通なき他との「連帯」をさがすことに意味がでてきた時代がきたのかもしれません