宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

‪今日は宮沢賢治の命日なんだそうである。『銀河鉄道の夜』は芝居が先だった。小説は芝居のあとに読んだ。そういうこともあって、ジョバンニはわたしのなかでは沈黙しがちである。本を読むと、ジョバンニ‬がもっている自分自身の言説というか、「じぶんの考え」がある。‬

‪「自分というものが、じぶんの考えというものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる世界がそなわり、すっと消えると、もうがらんとしたただもうそれっきりになってしまう」。‬

‪ジョバンニは歴史の孤独を物語る。だけれど歴史の孤独を物語る「じぶんの考え」の中に、この自分自身の言説の中に、宿りたいと欲していただろうか?ジョバンニが言葉を発するのをあれほどおそろしいことにしていたのは何か?ジョバンニが言葉を発したこの場所は、カムパネルラの話をジョバンニが聞いた場所であり、ただジョバンニの話を聞こうにもカムパネルラはもうそこにいないのだから。フーコが書いていたように、わたしが言葉を発するのをあれほどおそろしいことにしていたものもこれである。わたしはわたし自身の言説のなかに定位したくない。それはこういうことである。わたしが言葉を発したこの場所は、彼の話を私が聞いた場所であり、ただ私の話を聞こうにも彼はもうそこにいないというのである。