モンタージュとクローズアップ

ソビエト映画はモンタージュを発明し、ハリウッド映画はクローズアップを発明したと言われるが、ノーベル賞受賞者が警告するように「教科書を信じるな」。寧ろ、ソビエト映画はクローズアップを発明し、ハリウッド映画はモンタージュを発明したのではないかとゴダールは『映画史』のなかでいう。真相はどちら?モンタージュと言おうとクローズアップと言おうと、確立されてしまった物の見方のなかでそれとは異なる視点のどの部分に視点を置くかの問題であって、ゴダールの映画の本質的な理解に大きな違いはない。さてこれは映画がいかに制作されるかという映画論にとどまらない問題提起だったのではないか。わたしが言いたいことは、つまりこういうこと。ソビエトアメリカ、国家がいかに制作されるかという問題意識が働いているのではないか 。モンタージュもクローズアップも国家の名であって、映画の名に非ず。ゴダールモザンビークの国家創設の映画制作を依頼されていたのだしね、どうも、言論のなかの国家の存在のように、映画のなかにしか国家は存在しないと考えているね。このように考えることができるとしたら、ゴダールパレスチナ映画は<解体>編集をもつことによって、映画を住処とする<解体>国家の存在が成り立っていたのだろうか?