14年前は、ダブリンからロンドンへ引っ越した。このときは、イギリスに来れば、ジョイスについて自分の疑問がクリアーになるかと思っていたのだけれど。ジョイスの自分で決めた亡命を引き起こしたアイルランドの問題は、エルマンのような英国人道主義にとっては政教分離の問題だが、カイバードなどのアイルランドの読みは別の見方をしていたのである。政治的には独立したが経済的に従属したままだった国家の近代の問題として構成しようとしていた。『国家と祭祀』を読んで、政治的には独立したが経済的に従属したままだった政教分離を原則とする国家が創りだした国家の起源を問う言説に絡み取られた言説宗教ナショナリズムの問題として考える方がよくわかった。これは仮設だけれど、もし政治的独立が経済的自立をもっていれば、宗教ナショナリズムはアイルランドに成り立つことがなかったのかもしれない。ジョイスもダブリンに留まっただろう。アイルランドはそういう自分たちの歴史を考えはじめたのは、稼ぐために移民として外へ出た人達がはじめて戻ってきたという「ケルトの虎」と呼ばれる独立以来有り得なかった経験した経済成長の時代(産業革命かも?)において可能だったのである