芸術論

西欧の近代モデルは資本主義=近代である。だから、たとえば「少女と風船」(バンクシー)が資本主義批判を通して近代の問題を問うたように、資本主義の問題を問うことは近代の問題を問うことである。しかしそれだけか?芸術は資本主義=近代という等式を自明とする西欧批判をもっているのではないか。ここをおさえておくことよって、岡倉天心のアジアのヴィジョンをどう理解するかがきまってくる。資本主義がなくとも近代が存在したのは、資本主義がない後進国啓蒙主義があったのと同じである。多様な自立的近代があり多様な啓蒙主義がある。芸術は資本主義なき近代に立脚することの意味はなにか?もし芸術はこの問いをもたなければ、明治維新に帰れとする日本会議に敗北してしまうだろうー68年が近代の問い直しをやめて日本会議に敗北したように