政治神学のエクリチュール

暗黒物質とは宇宙における質量の大半を占めながら観測されていない仮説上の物質。さて制作学的視点(と私が理解しているもの)から言うと、暗黒物質の如き、初めて天照大神天祖として構成していく書経的漢文エクリチュール明治憲法を取巻いていた。幕末の時期に救済の政治神学を為したこの暗黒物質を隠蔽してしつつ純粋な意識としてそれによるのは、主体が定位する音声の近代だったかもしれないのである。結論を急ぎすぎたかもしれない。もしそう考えるとして、これからどんなことが言えるか?政治神学のエクリチュールは隠蔽されたままだったから、封じ手がないままに必然として、昭和十年代の天皇ファシズムにおける権力の集中、軍国主義の方向と国家祭祀の方向との一致を成り立たせてしまったのではないだろうか?‬

あまりに存在論的な、政治神学のエクリチュール