芸術、科学、政治学

‪日本の近代が何かを問うときは、問われる対象(日本の近代)が前提にする排除を隠蔽したまま問うことはできない。明治維新からはじめる明治維新批判は結局、明治維新の近代への愛を倒錯的に反復しているだけ。日本の近代がいかに破産しているのかを明治維新の前の時代から問うてこそはじめて意味がある。ただし、日本の近代はなにか?と問うときこの問いは時間的に成り立つような近代に顕著な思考に帰らない。What is it ?とは寧ろ論理的前後関係として究極的に先行するものを問うのである。日本近代の意味を問うときに形而上学的な批判の位置が要請される。一つの世界的な公理系を為すグローバル資本主義の問題とは、日本近代の問題なのだと思う。抵抗するために、対抗的に問われる、What is it ?の問いは形而上学の位置をもつことによって、近代の支配から脱出していく芸術、科学、政治学の諸要素の機能が成り立つかもしれないと考えているのだけれど