仁斎と徂徠

‪ ‪「測るべからずもの」と徂徠にいわれる天それ自身、ポスト構造主義的に言うと、ここにはまさに絶対における否定と肯定の賭けがあった。否定は主宰性へ行く。仰ぎ見る天が構成されて、史上なものは卑近にあるという。他方で肯定は超越性へ行く。‪天は「測るべからずもの」であり、古代の制作した聖人は天にいるといわれる。しかし敢えて言うと、否定であれ肯定であれ、朱子形而上学にたいして起きた解体をどの視点から見るかの違いであって、まだ両者の間に本質的な差異はない‬だろう。問題はだれが否定し肯定するのかにある。町人出身の市井の人が否定し、武士(政治的支配者)のアイデンティティを再構成しようとする武士が肯定した。事件性をともなう生成発展していく言説の系列が17世紀と18世紀に存在していた。子安氏の制作学的視点からみると、19世紀になって、明治維新国家神道のあり方を規定するほどの影響力をもつ形で、一神教の超越性の思想を解釈する媒介的存在者たちの権力の占拠についての言説が展開されることになったという。(水戸学後期)