『リトルネロについて』

問題は、「いま捕獲すべきなのは、不定形で非物質的なエネルギー宇宙の力」(ドウルーズ&ガタリ(『リトルネロについて』) だから<権>力に屈したからといって、<権>力に屈しただけのことで、屈したことは、支配者を超越者として内面化するという隷属化(構造化)までのことは意味してはいない。そういうことは‪ポストモダンニーチェニーチェの力の思想が物語っていたし、近代の日本語が隠蔽してきたのだけれど、反明治維新のアジアの思想家もはっきりと語っていたようだ...