ポストモダンの多神教の時代に、一神教のあり方を考えることにどんな意味があるのか?No.2

オペラ座シェーンベルクモーゼとアロン」をみたときは、この舞台で何が問題とされようとしているのか正直わからなかった。2018年の現在、オペラをみながら、砂漠を舞台とした戦争、敗戦の度に多神教に偽装したであろう一神教のあり方を考えていた自分を思いだすことができる。「モーゼとアロン」の問題は多分、2018年の問題だからだ。一神教はかつて領土を求めた戦争国家との共犯関係の無理を隠蔽せずに、むしろその不可能を開示して、そのことによって、一神教は自己が一神教としてあるために領土と国家を必要としない天(=外部)のあり方を獲得していく道があるのではないだろうか