ゴダール論

‪ ‪『映画史』の神話<ラングロワ>を天のリア王の<死装束>を以て再構成した平面は、一神教的な構成なのである。ゴダールは映画と一神教は事実にもとづかないという。あえて映画を一神教の<一>として再構成する視点は、ポストモダンの<多>へ行く時代においてどんな意味をもつのかを問うた。ここから、史上なものは卑近なものにあるのはなぜかと問題を考えているのだけれどね。恐らく政治的多元主義の問題が無関係ではないのだろうと思う。ところがそうではなくて、「わが身の特異性をもって普遍性にまで到達しようとする」(浅田彰)という形でポストモダン<多>に再び近代<一>をあたえてもね、それは、『映画史』をヘーゲル的世界史に置き換える<一>でしかないんじゃないか。どうして日本フランス思想(?)はポストモダン近代の言説に顕著な<一>の言説に絡みとられてしまうことになるのかと思ってしまうが、‪私の力を超えることだが、多分この国のヘーゲルの理解に関わることなのだろうと推測している。‬

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