「明治維新の近代」について考える

‪高校の世界史年表なんだけどね、貴族は知の権力も含めて王を圧倒する権力者として存在していたのだけれど、「応仁の乱」の時代に、ヨーロッパは百年戦争が終わっていて、東西ともに貴族の没落が始まることがわかる。ヨーロッパの普遍的国家理念(神聖ローマ皇帝権)からの何だか政教一致みたいな巻き返しが起きたがこれは失敗する。貴族という媒介がなくなるところから、弱かった王と民衆とが直に結びつく条件が成り立つ。歴史は、この方向で、(現在のナショナリズムと違って)時代の流れに沿ってフランス革命を契機としたナショナリズムが平等を実現していくことを証言する。世界史的に言って、水戸学後期も時代の要請だった。問題は、その言説は19世紀後半の帝国主義の時代において現れたことである。主権国家の形成を物語る見方からは、16世紀に始まった一神教と近代国家の制作にたいして、対抗的に超越性の近代が成り立ってくる歴史を眺めることができる。決して単純ではない。「17世紀の危機」といわれる内部化の否定の時代がくるからである。17世紀にヨーロッパもアジアも外へ出て行く。ヨーロッパは芸術批判が言説として開かれてくる。アジアでは知識革命が起きる。「明治維新の近代」を批判的に考えた一年間だったわけだけれど、人間の近代をトータルに考えるためには、19世紀の確立された物の見方に対してそれとは異なる16世紀と17世紀の視点が必要だろうと改めて知ることになった。 ‬