ワーグナー 『タンホイザー』(Wagner 『Tannhäuser』)

ワーグナータンホイザー』(Wagner 『Tannhäuser』)の舞台は13世紀初頭、テューリンゲンのヴァルトブルク城。吟遊詩人の騎士のタンホイザーは、女神ヴェーヌスが棲んでいるという異界ヴェーヌスベルクに赴く。彼の精神がこの世のものではないような魔法の力を得るのは、悪魔メフィストと出会うファウストの力と比べてみたくなった。またなにか筑波山の天狗にさらわれて戻ってきた寅吉の力と比べてみる誘惑にちょっと駆られた。ワーグナーの魂、芸術家の精神は、絶対者を直観的に表現するとき、生と死とエロスの言語化できない天の領域がある。光線のカーテン(垂直線によって無限に分割される場所)、歓びと怒り(非持続性)、青緑色の海(距離)、洞窟(根をもつこと)。天の4つの領域は、地上の4つの領域をもつことによって、人間の全体性を見渡す視点が成り立っている。タンホイザーは解釈を行い議論し分裂させる。言語を行為にし、究極的に依拠できる旅に出る。帰還したとき再び天の領域へ行く。そうして天と地との時間的往還によって、タンホイザーは必然としての固有の場所を彼自身のものにするのである。‬19世紀ロマン主義の資本主義から独立する精神のあり方が『タンホイザー』において物語られる。 「史上なものは遠くにある」と吟遊詩人達が託す哲学者の思考の秩序は、それを反復する形で言い過ぎると、その秩序は最初の透明さを失わせるとともに受動的に浸透されなくなる。その秩序が唯一可能なものでもないし最上なものでもないと認めるほど自由になる。「史上なものは卑近にある」とタンホイザーは歌う‬

‪『ニーベルングの指輪』が破壊のテーマをもっていたとすれば、ワグナーはいかに世界を再建するか?互いに対立する二つのモデルがあった。ハイネとプルードンからの影響がみとめられるアナーキズムの『タンホイザー』と、王政復古?のような舞台神聖祝典劇『パルジファル』である。ワグナーはアナーキズムであると思うのだけれど、国家は劇場から生まれなければならないという。観客席は古代の集会所である必要がある。そこで芸術は一つに統合されなくてはならなかった。the true endeavour Art is therefore all-embracing. 問題は、ファシズムはワグナーをどう読んだかである。読まれた理念化と、ハリウッド映画に対抗しなければ帝国はやっていけなくなると危機感をもったいわれる過剰に演出された現実化との間のギャップは無視できないだろう。今度はハリウッドがナチスの美の統合を継承していくような統合に抵抗して、ゴダールにおいて主張された映像と音とテクストはそれぞれが独立しなければならないとする理念が成り立ったことの意義は大変大きいものであるとおもう‬