言説『日本人』について

「帰国子女」の特権は、「みんなと一緒に」と親や先生に叱られるとき、それは日本人のことなのかとストレートに反論できること。この後、「日本人という言い方をやめなさい」と叱られるのだけれど。「『みんな』は『日本人』とは言わないのですからね」と続く。問題は、だれが最初に、『日本人』と言ったかである。ヨーロッパを仰ぐこの親でもなければ先生でもない。17世紀の近代の時代に、ヨーロッパ人が始めて言ったのである。そうであるとしたら、『日本人』と言っている以上、ヨーロッパ中心主義のオイデプスに囚われていると言わざるを得ない。言説『日本人』から自立するためには、それが指示されているものがいかに破綻しているかを考えてみよう。『日本人』の150年間がいかに失敗していたかを知るためには、150年前に確立した直線的な物の見方のなかでそれとは異なる500年ぐらいの幅のある視点を地下茎を通じてもつ必要があるのではないか。地下茎は多分漢文と漢字書き下し文にある。足元を掘ってみよう、自明としている思考の土台を。