元号について

‪見えないものを名付けることに関心がある。時間を名付けることは、共同体にとって、どんな意味があるのか。ウィキによると、中国の元号は、中国王朝の冊封を受けた朝鮮、南詔渤海琉球などでもそのまま使われた(南詔渤海は独自の元号も使用した)。現在までずっと元号を使っているのは日本だけのようだ。『書経』や『易経』の漢籍古典を典拠にして採用するようになった日本の場合、一番多く使われた文字は「永」で29回、二番目は「天」「元」のそれぞれ27回、4番目は「治」で21回という。近代国家にとって元号は(国家の後に登場した)民族概念のための文化的再構成としてあると考えられるのではないか。そうならば近代の発明物である元号は伝統とは無関係である。その証拠に、「元号の出典は日本で書かれた書物がいい」と安倍が言ったというではないか。そんな近代の発明物の使用の強制は時代遅れである。伝統でないものはやめることができるしもうやめたらいいと考えているところに、勝手に「安久」が有力候補とされていることに迷惑に感じ不快に思うのは多分この私だけではないだろう