1980年代について

ヨーロッパとの差は、ヨーロッパの脱原発化との差のことだけではありません。報じられるヨーロッパの極右翼は、危惧される時代の危険な動きですが、それは、日本の極右翼ー戦争責任が裁かれず戦前からそのままきたかにみえるーと同じものとして考えてはいけないのでしょうね。日本政府の声明は歴史修正主義者の隣国に浴びせるヘイトスピーチに近づいてきたという指摘があります。こんなことは私の知るかぎりヨーロッパの政府にあり得ないことです。ヨーロッパとの差は、80年代から始まったことですが、どんどん開いていくばかりです。 80年代の決定的な転換のときにもっと考えなければいけなかったのだろうと思います。‪80年代に、近代の確立した物の見方のなかでそれとは異なる見方をもつ思想がヨーロッパにおいて現れたきましたが、この<異議申し立て>の思想をアジアの自分たちのものにしていなかったために、そして現在も為されていないために、現在権利のない社会が多様性のない物の見方と一緒に出来上がってしまったように思えてなりません‬。80年代はジャパン・アズ・ナンバーワンナショナリズムに陥ってしまいました。この復活に意味がありますか?‪国家と民族の垂直的な全体性の思想を回復するよりは、人間の隣同士の関係を重んじるような、関係性そのものの意味を問うことができた、17世紀の水平的全体性の思想にかえるときではないでしょうか‬