MEMO

‪ 日曜日は250人以上の聴衆がいました。勝五郎の意味を考えるためには、勝五郎のことだけを追いかけるだけでは十分ではなく、インタビューした勝五郎を書く篤胤の思想のあり方も一緒に考えることが大切だという点が伝わったのではないか思います。できることなら、宣長の思想の存在を喚起する宣長を示す像が篤胤の横にあったらよかったのでしょう。日本思想史を解体する『平田篤胤の世界』を読んで理解できたことなのですが、先生の宣長の本が四冊ありますが、篤胤が新しく語られるためには宣長を再構成する必要がありました。篤胤から発見されていく宣長と篤胤、この両者は互いに切り離すことができません。ホワイトボードの宣長の文字を撮りました。結果的に、篤胤と宣長の間に子安先生が立っておられる映像に驚き感動しております。

‪ なるほど、「時間そのもの」ですか。コメントを興味深く読みました。一秒を無限に分割した瞬間もあるし、五百年ぐらいの瞬間もあるのだろうと考えはじめています。ここから考えてみたい問題は、「時間そのもの」は、どこにあるのでしょうか。それは、超越的にあるようにみえるがわれわれからそれほど独立してあるのではないし(多分カンバスの表にあるかな?)、また、内在的にあるようにみえるがやはりわれわれからそれほど独立しているのでもありません(カンバス裏にある?)。「時間そのもの」はこの間を往復しているのかもしれません。往復しているのは「時間そのもの」だけではありません。ほかにもあるでしょう。 (すこしわたしの関心に引き寄せて書きますと、国語学者・文法学者の時枝誠記は、「ラス・メニーナス」に言及しています。彼は何を読み解いたのでしょうか。説明し尽くすことができませんが、映像(絵画)が言語のなかのXを開かせたのではないかと思われます。つまり、往復している「漢字とは何か」を問う言説をはじめて発見した可能性があります。)

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人形浄瑠璃文楽はホー、面白かったのに、しまったニャ、パンフレットを電車のなかに置いてきてしまった。男女の愛と友情の世界を演じ切った人形が三体、舞台で操る九人の男性の影たち。なんだろうね、いったいこれは?秩序の背後にもう一つ別の秩序があるわけだけれどね、秩序と秩序の間に秩序そのものが宙吊りになる、観客席からは見えない過剰なものの存在を考えたなぁ。‪明治「維新」の近代が苛立った‬

‪ ‪'Let's leave theories there and return to here's hear' (Joyce, FW)

‪ 'Let's leave theories there and return to here's hear' (Joyce, FW) ヨーロッパの端にある‪アイルランドで考えるポストコロニアルからポスト構造主義にかえってきた。そのポスト構造主義は、人間が立つアジアのあり方を考えるポスト構造主義。そうして言語論の言説を去って漢字論の言説にやってきた。映画の歴史は終わったけれど(だがまだやることはある)、そこから開かれた思想史の旅を行なっているというか。アジアの端っこで、いかに目に見える端と目に見えない端との関係を思考において打ち立てるのか?

‪ 1998年のベルファスト平和条約は自立北アイルランド(英国からの独立に非ず)を成立させた。国民投票と雖も確立した平和条約の実質を破壊できない。結局修正脱EU案も修正なき脱EU案も否決されたのである。議会は期限の延長を可決したが、恐らく修正脱EU案は困難だろう‪(いかにEUから離れるかのアイデアをもっていない英国は最後までEU頼みである。)‬極右翼と保守党の脱EU案はポピュリスム的な内向きのスローガンのままである。‪「次に何が起きるのか」という言葉だけが増殖している。その中で、次に保守党の終わりを指摘する声も出てきた

‪ 台湾こそは外部にたいして開かれています。その点で台湾は子安宣邦氏に外部の思考を可能にしてくれる他者の島なのです。東京の思想史教室で批判的に相対化してきた「明治維新の近代」を台湾の側からどんな観点をもっていかに理解されるのかを検証なさっておられると思います。講座『明治維新の近代』は続いて行きます

‪ ‪黒板に「神代史」の文字がみえます。講座『津田左右吉の国民思想』は講座『明治維新の近代』に先行します。二つの講座を一緒に考えてみる必要があるのです。学んだことを考えてみますと、まだはっきりとしたことは言えないのですが、距離は思考にとって不可避の他者ではないかと少しずつ知りつつあります。たとえば、津田左右吉は「民族の始まり」を敢えて言うことによって、国史が語り始める国家の言説を批判的に相対化できたのは、彼が倒幕派に対する距離をもっていたからです。また中江兆民は自分の思想を「漢文エクリチュール」を以って言うことによって、国体論の言説を批判的に相対化できたのは、彼がヨーロッパ翻訳言語に対する距離をもっていたからでしょう。明治維新はどうして相対化しないといけないのかという質問が出たようですが、これについて子安先生がどう答えたかはお聞きしたかったです。その場にいなかったので知らないのですが、その質問について東京にいるわたしも一緒に考えてみると、やはりアジアは明治維新の近代を相対化しないと、現在の権力からの距離をとれなくなり、またヨーロッパの近代が定位する支配言語からの距離もなくなることから、アジアは自立的な思考ができなくなる、自由に喋ることができなくなるからではないでしょうか。

‪ 「社会主義の世界連邦国は国家・人類の分化的発達の上に世界的同化作用をなさんとするものなり。ゆえに、自国の独立を脅かす者を排除するとともに、他の国家の上に自家の同化作用を強力によりて行わんとする侵略を許容せず。ーーこの点において社会主義は国家を認識し、したがって国家競争を認識す。」 思想史の方法論は、思想を読み解くことはしない。北一輝に深い思想はない。しかし言説家としての北が何を喋ったかは読み出されなければならない。北は「国家による社会主義」を言うことによって、天皇ファシズムと中国スターリズムの言説を批判的に相対化できたのは、彼が言説の還相に存在していたからではないか。中国から日本の言説を読み、また日本から中国の言説を読んでいた。 ‬