アルトー

‪「アルトーにあっては、言説(デイスクール)としては拒まれ、衝撃の造形的暴力のなかに奪回された言語(ランガージュ)は、叫び、拷問にかけられた身体、思考の物質性、肉体に送りかえされる。」‬ーフーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬

アルトーがフランスに強制送還されたのは、ほかならぬ、ダブリンからだった。大英帝国の近代に対抗するもう一つ近代を作りだそうとしていたアイルランドの30年代に、驚くできことに、詩人は聖パトリックの杖を携えてやってきた。現在この大事件を知っているアイルランド人は殆どいない。このこと自体が驚嘆である、シューレアリスムのアルトーのbig nameを知るものにとっては。記憶していると、生きている現在を正当化できないという意味で、都合がわるいからなのか?その時代は死者の記憶と場所が急に消滅したのではあるまいかと考えてみよう。過去の死者は共和国の理念を書き記した言葉を住処にすることによって消滅したからであると考えてみる。しかしアルトーにとって、死は爆発する器官なき身体であるかぎり、死者はなくならない。それは生者の近傍に存在する。現在から考えると、アルトーの言説はポストモダン時代まで近代から拒まれることは理解できるが、近代を批判する対抗的なもう一つの近代からも拒まれることになった意味はなにか。

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