言説家としての北一輝を考える

社会主義の世界連邦国は国家・人類の分化的発達の上に世界的同化作用をなさんとするものなり。ゆえに、自国の独立を脅かす者を排除するとともに、他の国家の上に自家の同化作用を強力によりて行わんとする侵略を許容せず。ーこの点において社会主義は国家を認識し、したがって国家競争を認識す。」(北一輝)

社会主義の世界連邦国は国家・人類の分化的発達の上に世界的同化作用をなさんとするものなり。ゆえに、自国の独立を脅かす者を排除するとともに、他の国家の上に自家の同化作用を強力によりて行わんとする侵略を許容せず。ーこの点において社会主義は国家を認識し、したがって国家競争を認識す。」(北一輝) 思想史の方法論は思想の深みを読むことはしない。北一輝に深い思想をもとめることはしない。問題は、言説家としての北が何を喋ったかにある。読み出されなければならないのは、ほかならない、言説と言説の運動である。北が国家による社会主義を言ったからといって、彼がその言葉を以って何を指示していたのかを明らかにすることは思想史の構成ではない。北は国家による社会主義を言うことによって、日本の側の言説と中国側の言説を批判的に相対化することが起きたのである。起きたとするのは思想史の理念的な構成であるが、方法的にそれを認めたうえで、批判的視点を可能にしたものを問うとどんなことが言えるか?北は言説の水平的還相に存在していたのではないか。中国から日本の言説を読み、また日本から中国の言説を読んでいた。言説と言説の運動は、関東大震災から起きてくることになった。アジアの植民地化の危険を空無化する革命一国主義に対する批判?事件から、非常に短い期間だったけれどもアジアの植民地化の危険を空無化する明治維新の近代の失敗を考えはじめた思想家たちが現れてくるのである。『「大正」を読み直す』を再び読んで明らかになっていくのかもしれない