‪ゴダールの『新ドイツ零年』(1991)

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ゴダールは『新ドイツ零年』(1991)によって、「歴史」の領域にはいることになった。『アルファヴィル』(1965)のレミー・コーションを、探偵としてではなく、東西を分断した境界を超えるドン・キホーテの分身として呼び出している。レミー・コーションは戦争という国家悪ーを外へ追いやるのではない。1991年に見たこの映画のエッセンスを、昨年子安氏が読ませてくれた大熊信行『国家悪』によって、やっと理解できたようにおもう。映画と現実とが溶け合う映画の諸々の断片によって形づけられた回想を通して、戦争国家を自己の内部に掘り起こす。国家が個人を超えて実在するのではなくて、逆に個人が超えた実在である、そうでなければ、国家悪を超える思想領域と精神領域へ歩み入ることができないと訴えるかのように。‬『新ドイツ零年」』の探偵は、ふたたび嘘の市場でファシズムともコミュニズムとも分からぬ統合の物語を売る市場と出会って終わるのか、それとも、だれもまだ踏み入ったことのない世界国家の理念と出会うことになるのだろうか