ゴダールの『気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)

f:id:owlcato:20190417185108j:plain

気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)。ゴダールの絶対の探求がロマネスク的(?)ミュージカルの彷徨によっておこなわれるこの映画は「東風」へと東へ方向づけられる前に、南へ行く方向をもっていたという指摘もあるが、大袈裟に考えてはいけない。映画のおどろくほど単純で純粋な詩は絶対を語る。地中海の死と太陽の島が映画のすべての歴史と等価の大きさをもっていた。だからこそ必然として、アルチュール・ランボーの詩「永遠」が朗読される。もう一つ特筆すべきことは、だれも語らなかった映画史がはじめて語られることになった点である。映画を地層としてみる見方は、ゴダールという問題をどう考えるのか。映画は絵画と別々のものなのか?映画は行いと思索から独立しているのだろうか?語られるのは映画の地層を為す映画人としての溝口のあり方だけではない。地層として画家ベラスケスが言及され、地層としてのルノワールの生き方が言及される。f:id:owlcato:20190417182424j:plain