卑近なところからトータルに考えること

ドウルーズはいう。「ゴダールはうまいことを言っています。『正しい映像ではなく、ただの映像さ。』哲学者もこんなふうに言いきるべきだし、それだけの覚悟をもってしかるべきでしょう。『正しい理念ではなく、ただの理念さ』とね。」(『記号と事件』)

トータルに考えることが不可能となっている本当に嫌な世の中だ。それは外部にある過去との関係を考えられなくなったことによる。過去を考えれば、普遍として確立した物の見方ではやっていけなくなってきたときそれとは異なる見方があったことがわかる。質問することによって、普遍はたえず再構成され得る。倫理的に一つに非ず。

卑近なところからトータルに考えるためには、外部にある過去との関係を考えることが大切である。 たとえば、ゴダールへのインタビューを解釈してかんがえてみたことだけれど、文字を発明したメソポタミア文明との関係がみえないので、現在アメリカが行なっているこの地域への侵略がどんな意味をもつのかをトータルに考えることができないでいるのかもしれない。アメリカは文字を侵略していると質問してみよう。そう考えてみたら、どんなことが言えるか?新しい普遍を再構成しようとするわれわれの思考が依拠する言語と言われるものを支配するつもりではないだろうか?‪これが、‬‪トータルに考えるためには、外部にある過去との関係を考えることが大切であるということの意味である。‬