西暦2019年五月一日とは何か?

西暦2019年五月一日とはなにか?

問題は、天皇の過剰な祈りの行為が象徴性を超える政治性を帯びてしまったことにある。君主論の言説は非常に危険である。また「たたかっている」とか、皇室民主主義論とかは的外れだ。元号好きも天皇好きも自然消滅するだろう。そのときまでに中江兆民の役割を引きうけて、強力な共和主義の理論を作るのはだれか

BBCも、報道なのかオリエンタリズムなのか訳のわからんことを喋っているー「万世一系」「三種の神器」「人びとの美しい調和」。美術館の一室で貴族の肖像画の前に立ったときに覚えるような昨日今日のこの虚ろな感じときたら、何だろうな?此方(見ているもの)に対して全く関心をもたぬ冷たい視線を一生懸命理解しようとするから起きる拷問を受けるような疎外感である。愛していないものを愛しているふりをして遠い所からトータルに考える無理。隣どうしの卑近な所からトータルに考えることが自分にとって大切だろうと思う。そこで言葉が思考を以って保たれる自己自身との関係が、明治維新天皇・貴族・宗教者・軍人・官僚の力のイメージによって隠蔽されて外部にある見えなかった過去との豊かな関係と共にみえてくるかもしれないとかね