どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)

どんな世も語り部が必要であるが(必要であると考えられているが)、そこで何を語っても許されるというのではない。王の治世に先行する神々の世界を想定しないと、矛盾することになるという見方がある。そうだろうか?わたしはこう思う。神々の世界は、原理を以ってなにもかも解釈し尽くす自己完結した世界に対する異議申し立てのようなものとしてギリギリ要請された物の見方というならばその意味を理解できないことはない。このとき言説<神々の世界>は、ロゴス初めにありきという意味でのロゴスの優先性を否定するものではない。言説が語るそういう神々の世界は、それを死に切った過去にあるとかんがえていいのかわからないが、思考をもって表象できる書かれた言葉の領域の<後に>はじめて成り立つと考えても全然矛盾が起きないのではあるまいか