サイレント映画とスピノザ

‪ ‪20世紀の‪サイレント映画は、顔が光の中に置かれている。籠のなかに囚われている観念みたいだ。胴体は暗い。身体はどこにも立っていないし(『M』)、どこにも立っていたのである(『極北のナヌーク』)‬。17世紀のスピノザを考える。身体は、厳密に言って、神を表現するといわれる属性そのものではない。神の世界の中で、身体が住処とするわれわれの周りに存在するものといったら神ぐらいしかないが、身体は神に同一化されるその部分に非ず。普遍を解体する運動が再び普遍に依る表象の部分でない他者であるように