市民社会論の言説

国家神道の定義を狭くとることによって国家神道天皇ファシズムの戦争と無関係だとしたくても、2000万人の死者は死者である。天皇ファシズムの戦争は例外的に起きたのではない。子安氏が問題にしているように、それはクーデター明治維新と国家祭祀のあり方から必然として起きたのである。そして私の理解では、市民社会論の問題を考えることができるという。市民社会論の言説は自らの為に近代の本当の始まりを敗戦後からとして線を引くとき、これによって、(現代の歴史修正主義に対して批判的視点を与えるという意味で国家改革を国際的に行おうとしていた)もう一つの近代である徳川日本の視点からクーデター明治維新の正統性を批判できた言説を再び思考できなくしてしまったのではないだろうか?これは言説「明治維新の近代」に記述されなければならない言説の体制を為すものであるとおもう。