中西進氏に反論する

‪「中央日報」のインタビュー記事はこう書いている。「中西さんは新元号の出典元である万葉集の研究の最高権威者だ。それによると、万葉集で言及される「和」の精神は聖徳太子時代に出てきた日本最初の成文法である「十七条憲法」によく表れている。(十七条ができた当時、聖徳太子の)そばには朝鮮半島からやってきたすぐれた坊さんだけでも4人いた」とし、十七条憲法は「東アジア発の平和思想」であり「日本初の平和憲法」だと話した。」‬

‪わたしの考えでは、中西進さんは本物の民主主義は戦後から始まるという考え方を多分とっているようである。だがこういう考え方は、戦前の戦争は大変問題だったが例外的な出来事だったように暗黙に考えていないだろうか。昭和十年代において軍国主義天皇に権力を集中した全体主義が一致してしまったのは、偽物の民主主義の例外ではなく、武闘的暴力が推進した明治維新の論理的帰結、一国民主主義の必然だったとおもう。現在の東アジア諸国も政治的多元主義を抑圧する体制の側から明治維新の成功(!)を称える言説が広まっているという大変危ない時代である。古代からやってきた(?)憲法17条の様態である平和憲法があたかも自動仕掛けの機械のごとくいわれる「令和」の未来に委ねればうまくいくのだろうかと自問している。古代から連続的に考えることは無理で、もし連続的に考えるというならば、古代の「和」は、2000万人の命を犠牲にした、すでに決定的に失敗したのではなかったのではないか。古代からやってきた憲法17条としての平和憲法はなにも学んでいないと言わざるをえない。