津田左右吉

「他力本願」(『教行信書』)と「克己復礼為仁」(仁斎『論語古義』)の自己を否定する日本思想は普遍主義的によく理解できるものです。西欧思想史からみると、津田左右吉は普遍主義であるのか或いはそうでないのかわからないというのですね。漢字は不可避としての他者であるとする言説を受け入れないのではないかという感じで思考が不可能となるほど他者(儒教と漢字)を否定し自己(儒教を復活させた明治維新国民国家)も否定する思想も意味があることを子安宣邦氏の講座「明治維新の近代」で学びつつあります。昨夜は登戸で、他者の思想をゆたかにする解体-日本思想の肖像についてわたしは考えました。