本居宣長

‪この一年間、12世紀の朱子学の文を一緒に読んでもらっている。18世紀の本居宣長が聖人と鬼神についてこういうことを考えて書いていたのは、随分最近のことのようにかんじる。とくにいまの時代でなければ、問題意識をもって読むことはなかったとおもう。理念性の否定から「国家神道」に行く道が切り開かれる。国家祭祀の問題を考えることは、明治の近代化の失敗を考えることである。つまり、明治維新150年を祝した、理念否定の日本会議歴史修正主義者・安倍晋三の、憲法メルトダウンしかねない政治の危険を考えることであるとおもう。

‪「されば聖人の鬼神に仕え給ふこころばへは、いと重き事にて、云々 (...) 難者のいへるごとく、儒者は皆かく思ふ事なれ共、神に奉仕る道は、周代の定めはなお軽薄にして、至らざる事ぞ有けむ。その故は、まづ殷の世は鬼神を尚ぶ風俗也と、周人のいへるを以て見れば、鬼神に奉仕る事、周の代は、殷の代より軽かりし事しられたり。然ればもし殷の代よりいはば、周人は鬼神を侮りて尊まざる風俗也といふべし。これ周の不及歟、殷の過ぎたる歟、その実は定めがたしといへども、周公旦がすべての所為をもて考ふるに、さかしらなる事のみ殊に多ければ、鬼神をも実は信ぜぬ心有て、これに奉仕る道も省略せし事ぞ多かりけん。然るに儒者は、かかることを思ひめぐらさずして、ただひたぶるに周の定めをのみ正しと思ふは、いと固くな也。さて又すべて聖人の立たる祭祀の式なども、理を先にして設けたるさかしら多し。又聖人は必しも理によりて設けたるにはあらぬ式などをも、後人のみだりに理を附会して説なせる類も多し。されどそれも皆聖人にならへるものなれば、本は聖人より起れる事也。又心だに誠の道にかなひなばという歌を、儒仏の意也と余がいへる、儒は、宋儒のたぐひを指也。上にもいへる如く、宋儒も儒なれば、などか儒といはざらん。さて此ついでにいはん。近き世には、宋儒などを聖人の道にかなはぬやうにいふ儒者おほけれども、宋儒‬

‪の空論理屈も、古へよりいひ始めおきたる空論理屈の、増長せるものなれば、その本はみな聖人の罪なり。」(くず花下つ巻)‬