何が問題なのか? 一神教的ナショナリズムによって成り立った国家の宗教性

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普通選挙と文化多元主義と権力分立の危機のなかであらわれてきた日本人という単一民族の幻想、ある国家でしかないのに日本国家しかないとする幻想(「ラグビーは日本を応援するのは当然でしょう?」という言説)。これらのことは、近代が自ら、国家の宗教性に折り重なることによって成り立ったというところに遠い原因があるんじゃないか。日本近代の場合、水戸学後期の政治神学の問題をかんがえる必要がある。歴史と形而上学に取り組む問題かもしれない。‪近代を問うたヘーゲルが言ったようには国家は宗教の超越性を禁じた(乗り越えた)のではなくて、国家は国家の宗教性をもって世界宗教に置き換えた。国家の宗教は、マルクスが見抜いたように国家は他者排除によって成立した以上、永久革命的に、隣人を大切にする人類愛の信の構造を抑圧する宗教性をもつのである。‬ ‪ 国家の宗教性は、それに抵抗するそれほど透明でない異質性の政治を透明なものに還元して否定し尽くす。そこに固有性の偶像を錯視する危険があるのではないか