今週のお題「二十歳」
Noh theatre
「さては昔の道しるべせし、人は朽木の柳の精」
「御法(みのり)の教へなかりせば、非情無心の草木の䑓に至る事あらじ」
ー『遊行柳』
初夢は、詩を語る誰かの言葉を心の中で解釈しようとしているのに、途中から口をパクパクしているだけになって音が届いてこないのでプレッシャーを感じた。余計なことだが、『古事記』が稗田阿礼について「目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳にふるれば心にしるしき」と書いているのは、何を言っているのかはっきりとはわからない。ソシュールが示すような近代の音声主義のことをいっているわけではない。仮に稗田阿礼と太安万侶における関係は下の図のようなAとBだったと考えるのは、もし冗談でなければ、ラディカルモダニズムの類いか近代主義のドグマかもしれないとおもうのだけれど
ピカソ(1902)はどのようにグレコの作品(1607-1614)を解釈したか?これは、グレコとピカソをスケッチした私の勝手な解釈の解釈によることなのだが、ピカソはグレコにおける類似性のイメージを同一性と差異性のイメージにかえているようにみえる。グレコは外部を示している(稲妻が闇を裂いている世界が世界自身に巻かれている、と同時に、世界は巻き返す。)。ピカソにおいては二人(私と私のなかの汝?)が共通のもの(彼らが立っている場所)をもっている。抱擁されているのは、私と私の中の汝の下で、微かに呟き続ける即自的に影のように私につきまとう身体ー何処にも属するがどこでも部分になることのないーかもしれない。
イギリスでは、啓蒙主義は議会制の拡充をもとめていく比較的穏健な政治運動として展開したといわれる。『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフト(1667ー1745)はアイルランドからこのイギリス啓蒙主義を痛烈に批判した。1976年から発行されていたアイルランドの10ポンド紙幣に肖像が使用されていた
スウィフトは彼自身の墓碑銘を書き、それをウィリアム・バトラー・イェーツはラテン語から翻訳した。
- Hic depositum est corpus
- JONATHAN SWIFT S.T.D.
- Huyus Ecclesiae Cathedralis
- Decani
- Ubi saeva indignatio
- Ulterius
- Cor lacerare nequit
- Abi Viator
- Et imitare, si poteris
- Strenuum pro virili
- Libertatis Vindicatorem
イェーツの翻訳
- Swift has sailed into his rest.
- Savage indignation there
- cannot lacerate his breast.
- Imitate him if you can,
- world-besotted traveller.
- He served human liberty.
日本語訳
- スウィフトは休息に入った。
- そこでは激しい憤怒に
- 胸を切り裂かれることもない。
- もしできることなら彼を真似てくれ、
- 世界に夢中になっている旅人よ、
- 人間の自由のために尽したこの男を。
- イギリスでは、啓蒙主義は議会制の拡充をもとめていく比較的穏健な政治運動として展開したといわれる。『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフト(1667ー1745)はアイルランドからこのイギリス啓蒙主義を痛烈に批判した。1976年から発行されていたアイルランドの10ポンド紙幣に肖像が使用されていた
- FW7ページから
- 本がウインク😉してきた?FWを開いてジョナサン・スウィフト(1667ー1745)について調べていたら、「フクロウの球体世界に見えてくる若い槍持ち..」ではじまる何度も見ていた文だが、HCEと伸びすぎたバベルの塔が類似していると物語っていることに気がついた... (ここでは認識が重要ではなく言語が大切なのである)。1976年から発行されていたアイルランドの10ポンド紙幣に肖像が使用されていた、『ガリヴァー旅行記』のスウィフトはイギリス啓蒙主義を痛烈に批判したのであるが、FWはイタリア(エーコ)からみると普遍言語の探究なのだけれど、アイルランド(カイバード)からみるとデリダ的普遍合理(!)がもたらす迷路である。
- 「記号の成立は、分析と不可分のものである。分析なしに記号が出現しない以上、記号は分析の結果である。同時にまた、記号は、ひとたび規定され分離されると新たな印象にも適用される以上、分析の手段でもあり、その場合には新たな印象にたいしていわば格子の役割を演じるのだ。精神が分析するから記号があらわれる。精神が分析をおこなうがゆえに、分析は際限なくつづく。」(記号の表象作用 フーコ『言葉と物』)
- • このフーコの文は『鬼神論』における「精神」の意味を問うた子安氏の講座のおかげで何とか読めるようになったかもしれない。ここからゴダールがやったことも考えられるようになったのは、ゴダールにおいて成立している映画における形而上学的視点によることのようにおもう。撮影のためのクローズアップと編集のためのモンタージュを分析したうえで記号としたのである。そうして『映画史』においては精神が分析するから際限なく分析がつづく。ここで敢えてゴダールをフーコに関連づけると、差異が差異化されていく運動として映画のあり方が再構成されていくときゴダールによってそこで問われているのは、近代における(古典主義時代における)記号の表象作用ではなくて、外部の思考が外部の思考としてあるポストモダンの思考する記号の作用である...
罪刑法定主義と推定無罪原則という近代における基本中の基本もわからないのかという非難を利用して、近代をわからないふりをしてどんどん権利のない社会にしてしまう。この国はそのぐらい怖いところにきているかもしれないよ
ネオリベ的似非ポストモダンは多様性にヒエラルキーを与えかねない多神教の様相をもつ。一神教は平等を構成して近代国家を創ったが、一神教的近代の永久革命は多様性を否定する。わたしの理解では、和辻哲郎は一神教と多神教の問題を乗り越えたつもりでも、「祀る神が祀られる神である」の天皇を物語る言説は多様性も平等性も破壊し尽くしたようにおもわれる昭和ファシズムの経験をまったく反省していない。『日本倫理思想史』の和辻がいう最高の祭祀者としての天皇のもとでは、「倫理」ー個人にして同時に社会であるところの人間の存在の理ーが成り立たないことは明らかではないか。明日の講座で考えてみたい
FILM 曖昧な本質
a region of vague and material essences
死にきったときから、絵と詩がはじまる。死が終わりつつあると、それは生きる間が始まるということで、絵を描き詩を書くことが終わろうとしている。
「生きている間は人間で、死んでから芸術家たるべきだ。」コクトー『雄鳥とアルルカン』
それは絶対者をノエーマ的に把捉した意味での神ではなく、ノエーシス的な絶対者がおのれを現わしてくる特殊な通路としての神なのである(和辻哲郎)
正しく理解するはit sounds good だが、ファシズムにすら純粋なファシズムにこだわる態度(大抵ナチスしか念頭にない)は、天皇ファシズムを逃してしまう危険がある
ノエーシス的絶対者が自己顕現する特殊な通路としての神は尊いのは、超自然的超人間的だからでなく、媒介者であるからだという(和辻哲郎)。よろしい、そうだとしよう。どの人も媒介する物であり得る。そして沢山の通路が存在する。国家に独占されるひとつの通路(伊勢靖国)が特別のものである理由がないではないか
古代天皇と中世天皇と近世天皇はそれぞれ違うのだから、戦前天皇と現在の天皇においても違いがあるはずだといえるだろうか。だが古代天皇と中世天皇と近世天皇はそれぞれ違うのは自明なことだ。問題は天皇の構造がなくならないことにあると子安氏は言う。和辻は戦前に日本の神々のあり方を分析して天皇の構造をはじめて明らかにした。媒介者として「祀る神は祀られる神である」の祀る戦前天皇と、(象徴性を過剰に逸脱して) 象徴的行為をなす大御心を以て媒介する祈る戦後天皇の間に違いはないのである。おそろしいことではないか。否、おそろしいこともわからないままに、祈る、祀る天皇における「私」の否定を国民が思い込んでしまって結果として国民の主権が危機にある。と、われわれはまったく天皇の構造を脱構築していないことに気がついたのである。
朱子は同一的平等性があるが多様性の方向がない。古学は多様性があるが平等性の方向を欠く。二つの間に線を引くことー近代のノエーシス的絶対者の自己顕現のブラックホールを避けて
ゴダールの映画の捉え方に、沢山の部屋に繋がっている開かれた廊下として考えてみようというのがある。部屋が偉いのではない。部屋と部屋を媒介する廊下が偉いのである。これと同様に、沢山の通路のあり方を考えることができるのではないか。国家におけるただひとつの通路が特異ではない。ノエーシス的絶対者が自己顕現する特殊な通路を差異化していく天(宇宙)における複数の通路を考えてみたい
学問と文化は明治維新から50年後にピークに達した(1930年代)。戦後の人文科学。近代という虚構を隠蔽できなくなったその50年後の1980年代に近代知の解体が始まった
外国では色んな人から話を聞いた。目的がないほうが続く。東京でもただ話を聞く。「大学」の知から何の価値もないとみられても、もしかしたら市民としては失格ではない気がしてきた
- seq1 人称や主体、あるいは事物や実体の個体化とは違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して<此性>hecceiteと呼ぶことにする。
- ―Mille Plateau (中)p208
- 書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古への意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし、次に古語拾遺、やゝ後の物にはあれども、二典のたすけとなる事ども多し、早くよむべし(うひ山ぶみ)
- 和辻哲郎は近代日本の学問と文化のピーク(1930年代)の人。同時代に三木清や九鬼周造がいる。ヨーロッパへ行くときはすでにヨーロッパと対等だった。ヨーロッパから戻って期待されたのは、彼の世界文化の歴史をヴィジュアルに(視覚的に読ませる)編集する力である。ここで、倫理学における岡倉天心の継承、和辻監督による映画『倫理』を読んでみようではないか。問題は、和辻のマルクス主義から始まったラディカルさは最後まで貫かれたか?否、和辻は映画の冒頭をカットしてしまう。映画の最後に、復古主義の恐るべき偶像再興を呈示する。そうしてラディカルモダニズムの津田左右吉がインチキと考えた「王政復古」(明治維新)の近代の虚構を見事に隠蔽してしまったのである。国民主権なき「祀る神は祀られる神」の誕生を、天皇を利用する歴史修正主義の長期政権の時代に考えることほど幸せなこともない...
- こんな世の中にした壇上のお偉方さんに自慢話させる成人式なんかで税金を無駄にするよりも、20歳全員に無料でパスポートを支給してあげてください
- 二十歳の皆さん、おめでとうございます。国家祭祀を止めた歴史を考える頭をもたない人間の一生をあらわした鶏の丸焼き、<ひとり立ち>を描いてみました。肉体に美しい野菜が刺してあります。テレビで高笑いしている右翼大臣に喰われる最後に、乾杯!
- 市民的不服従の曖昧な観念が、台湾と香港がもっているネガテイヴな社会に対する明確なイメージにともなわれる。開発が進んでも政治的多元主義がない。精神的自由を編集できない
- 彼らは訪ねてもいいと思うその国がマイノリティーをどうあつかっているのかがやはり気になるー自分がどうあつかわれるのかを知りたいから。始まりはそこ。われわれもそうなんだから
- ポスト構造主義の知は近代批判として知られる脱普遍である。議論はあるが、デモクラシーの政治多元主義に理解を示す。ポストコロニアリズムの知は、立場の多様性があるが、グローバル資本主義を推進しているポストモダンの「普遍」を批判することになった。ポスト構造主義とポストコロニアリズムから影響を受けた、マルチチュードをいう帝国理論のマルクス主義がアメリカ帝国を批判する。アジアから、世界資本主義の分割である帝国(米中露拡大EU)を批判する言説を展開する注目すべき思想も現れたが、ヘーゲル的というか現状肯定的で、アジアにおける政治多元主義を十分に重視しているようにはみえない。ポスト構造主義、ポストコロニアリズム、帝国理論の知は世界の全体をみていた。間違いがあったらそれを議論した。しかし「天安門事件」から事件性を消去している日本知識人の言論に影響力をもった一部は世界の半分しかみていない。その意味で彼らの視野は外部の思考を伴わず構造主義的である。アジアにおける独裁政権を擁護していているのではないかとみられても仕方ないのである。その中に天皇に共感をもっている論客が多く目立つのは偶然だろうか?
- 現在石井さんたちのお仕事と研究が多くの人々に伝わっていますこと、喜んでおります。まだ本を読んでおりませんが、わたしは市民社会の近代という見方で具体的歴史を整理なさった石井さんの投稿されたコメントを読んで成る程とその通りだと思いました。ここでは、かならずしもわたしが理解していない「事件」とは何かということをできるだけ明らかにしてみようとしました。それはやはり市民が介入する思想史の特異点というかそういうものではないかと考えています。事実をどう解釈するかという支配的な物の見方とその中からそれとは異なるどのような見方が出てくるのかがわたしが考えたい事柄なのです。こういうことを最初に書くべきでした。残念なことに、わたしを「彼ら」に近いと感じたのは、わたしが市民社会の近代という見方に全面的に立っていないからかもしれません。現在進行形の歴史ですが、不十分ながらわたしの観察では、(わたしをわれわれにいれてもらえればの話ですが)われわれと彼らとは同じものをみているのに、(もしそうだとしたら)、市民の立場に立たないゆえに彼らが依存してきた近代の構造主義的理解のままでは事件をとらえることができないのではないかと考えています(事実を意味づけられないというか)。市民から考えるわたしの「方法」の努力が足りないことを反省しつつ、「事件」的に、方法的に、市民がそこに生きる具体的歴史の事実を十分に考えることが思想史を考えるうえで必要だとおもっています。
- 「わたしのエクリチュール」というのは、母国語の中で外国人になっているような...何だろうな。「母は流れいくエクリチュールとなった」とかいう一文があるのですが、これは何だろうかとおもって、30歳ちょっとぐらいのときでしたか、フランス語は超あやしい独学一ですから、一か月かけて本を書きうつして訳文を考えてみる必要があったのですが、結局わからないままだったことを思い出しています。バベルの災厄以降、言語は崩壊したのですが、人間の顔が崩壊したように、だけれど、エクリチュールを傍にたえずおいておかなければ自分のものとして存在させることができないというかーあれほど高くて遠いものが存在することなんて不可能でしょうが。『言葉と物』を30代で訳した渡辺一民なんかは晩年、驚くべきことに、「フランス語は日本語だ」と言っていて、大丈夫だろうか?と本当に啞然としたときがありましたが、まあレベルが違うでしょうが、やはり大先生も森や田んぼのなかで彷徨っていたエクリチュールの片割れだったのかなとやっと気がつきました。(<ー意味不明)
- フッサールの「曖昧な本質」は、意識のあり方のように、曖昧だが厳密に規定されているものであるという。ドゥルーズの<母国語のなかで外国人に成れ>はこの場合の「曖昧な本質」なのか。母国語というのは自立的一言語の近代。12世紀『朱子語類』は母国語の部分を為さぬが書き下された文は母国語に属するとかんがえられようか?ならばそこは母国語のなかの外国人の領域(外部)ではないだろうか...結局漢字仮名の書き下し文は日本語の基礎を作ったことをかんがえると、母国語が母国語であるためには不可避の他者をもたなければならないのである
- いま考えていることをやはりAlain Badiouが書いていた。分析哲学からは数学ではないと非難されることがあるが、別に構わない。Badiouも言っている、自分のは詩なんだと。外部の思考としての(絶対)差異(同一性と相違性の枠組みを超える空集合の意味)と固有名の問題
- アジアの詩
- 此の物性は本質なき流れいくものを本質なきままに分節化するあり方で、固有名が無から自己差異化するのは、固有名における此の物性による。アジアは即ち無。無は国家祭祀の集合をもたぬ。アジアは即ち固有名。固有名として、中国とヨーロッパとの同一性と相違性に還元する物の見方を棄てる危険をおかす
- die Gründung
- der Grundervater
- der einzige Sohn
- (Les enfants terribles)
- und es muß einfach so sein
- das diese Geschichte hier l'assiette
- (After Godard, all the histories)
- 推敲中
- LES MOTS ET LES CHOSES
- フーコ『言葉と物』のどの章が一番大事ですかときいたとき渡辺一民氏は「最初と最後」が大切だと語ってくれた。その「最初」は「序文」のことだったのだけれど、わたしは「第一章 侍女たち」のことだと長い間勘違いしていたことにひどく呆れた。「あんなものは訳せないことはないんだ。」と。あのときは何も言えないままに黙っているしかなかったが、今なら少し何かを言えた。「第一章 侍女たち」は絵を解説している文ではない。画家をあたかも文字で描く画家の如くロゴスとしてとらえている変な文なのだ。ロゴスはトータルに自らのあり方を説明するときどうしても言葉を必要とする。これがわからないのである。 「画家は絵から心もちさがったところにいる。モデルに一瞥をあたえているところだ。あるいは、仕上げの筆を加えようとしているのかもしれない。だがもしかすると、最初のひと筆がまだおろされていないのかもしれない。画筆をもつ腕は、パレットの方向、左にまげられている。いま彼は、画布と絵とのあいだで身動きもしない。その馴れた手は視線み吊られ、視線は逆に、静止した動作にささえられている。画筆の鋭い先はとはがねのような視線とのあいだでは、光景がその立体的空間を解き放とうとしている。」(フーコ『言葉と物』第一章 侍女たち、渡辺一民訳)
- 推敲中
- 日本人は『朱子語類』を中国研究者による訳文を読むが、江戸時代の書き下し文で読もうとはしないという。ところが講座に参加なさっている中国人留学生から感想を伺うと、書き下し文が面白いという。この感想が面白かった。このとき、日本近代というのは、近世が行った朱子の書き下し文を消した白紙の本で成り立っているようなものなのかと考えてみた。近代は本を書くゲームに喩えると、それは空隙のスペースがひとつある規則によって構造の多様性が成り立つゲームを発明したわけだけれど、しかし明治維新から150年、近代のゲームは失敗だったことはもうわかっている。漢字の前近代を消し去ってしまった白紙の本に書かれていく多様性は本当にそれほど多様なのかということを考えざるを得ない。この点について子安氏によると、荻生徂徠以降、外国語として中国語をよむことが課題となり、近代において書き下し文で考えられた思想が忘却されていくことになったというのである。横井小楠をはじめ、明治維新を批判した朱子学的批判も含めて