MEMO

f:id:owlcato:20200402171517j:plain



『揺れる』(マリア・ミリサヴリエヴィッチ作、公家義徳演出、東京演劇アンサンブル公演)を観劇すると、演劇は二つの真実がある。肉体を通して次第に素描され形成され均衡し明らかにされていく歴史の真実から揺れる、両義的であり続ける言説の真実が存在する。問題となっているのはこの揺れである。同一の空間(舞台上)に、解放の物語を教える過去への不安から外へ逃げるふりをした80年代の言説。これが、未来への不安から外へ逃げるふりをする現在の言説と、互いに惹き合う。‪舞台の空間は自ら折り重なる余白をもっている。この余白から何を学ぶのか?‬ ‪もうやっていけなくなった後期近代の行き詰まりにたいして、‬リアルに、われわれは外へ出るためには言説とのたたかいのなかにいるー確立した物の見方の中でそれとは異なる新しい物の見方が問われる

(下は舞台のスケッチ。舞台は速度のヴァリエーションがある)


f:id:owlcato:20200329100420j:plain


If everything on earth were rational, nothing would never happen. 

- Fiodor Dostoievski


なるほど、「不要不急」 はunessentialですか。国家にとって何がなんでもやりたかったオリンピックは内部の中心のようですが、音楽、演劇、映画、美術館は外部にあるような「不要不急」...


エクリチュールの神は医術の神である。この場合、「医術」とは、学であると同時に秘薬でもある。治療薬にして毒。エクリチュールの神はパルマコンの神である。(『散種』)


読むことは、さしあたり、書くことの後に来る行為である。それは、より慎しみ深く、より洗練された、より知的な行為なのである。ーボルヘス


小学校の正門近くに高木ブーさん家があって時々顔を出していたので毎週土曜日にドリフターズをみていたけれど、彼らは大人に人気があった。加藤茶チャップリンで、新しく現れた志村がバスターキートンに対応させていたわたしの親たちの世代は、現在は考えられないが、サイレント映画が記憶の卑近にあった。ドリフのコントはあまり分からず、最後の数秒間の建物(舞台)の崩壊するカタストロフィーからみんな逃げ出すように退場したのをぼんやり見た。キートンについてだけれど、アメリカ人と喋ったことがあるが、キートンの映画を通じてアメリカの風景を発見できる。キートンはいつも勇敢でイノセントなキャラだった。‪アメリカの開拓を伝える。‬風景は崩壊後の自失唖然と共に成立する。モダニズムの創造と絶えざる解体の形象?彼は声が悪くてトーキーの時代に人気を失ってしまう。ベケットは映画を作ったときキートンを導入したが、「最後の貢献」などと‪<父として>‬オイデプス的に道徳化されることはなかった。



志村の死もダイアナのときのようなギリシャ悲劇みたいな偶然の死だが、なんとしても理由がなければならない。「最後の貢献」とか?なんの理由もないからこそいよいよ悲劇的となる


‪le livre n’est pas image du monde, suivant une croyance enracinée. Il fait rhizome avec le monde, il y a évolution apparellè du livre et du monde, le livre assure la déterritorialisation du monde, mais le monde opère une reterritorialisation du livre, qui se déterritorialise à son tour en dans le monde ( s’il en est capable et s’il le peut) ーD=G‬


本は、根強く信じられているように、世界のイマージュなのではない。本は世界とともにリゾームになる。本と世界との非平行的進化というものがあるのだ。本は世界の脱領土化を確かなものにする。けれども世界は本の再領土化を行ない、今度はその本がそれ自体として世界の中でみずからを脱領土化する…。ーD=G


f:id:owlcato:20200403071120j:plain



•「生きた精神」が生き続けなければならないのは「死んだ文字」の中においてである。そして「生きた精神」を死から救い出すことができるのは、それを進んで蘇らせようとする一つの生命と再び接触するときだけである。ーハンナ・アーレント『人間の条件』23


‪It is always the “dead letter”in which “living sprit” must survive, a deadness from which it can be rescued only when the dead letter comes again into contact with a life willing to resurrect it, although this resurrection of the dead shares with all living things that it, too, will die again. ‬


f:id:owlcato:20200402122248j:plain



 居酒屋「講座」でしたか(笑)。梶野さんのような方に聞いていただく内容のあるお話だったか疑わしいですが、アイルランドの話に興味をもっていただきまして感謝申し上げます。たしかベケットと画家ベーコンのお話ですね。彼らは支配者層(10パーセントの地主階級)に属していたが、彼らの芸術に、アイルランド独立のときにプロテスタントの没落していった子供時代の経験が反映されていたのではないかという話でしたかね。永遠と言われても、来る人がいなくなった教会も売りに出されます。ただ「独立」もわたしが想像していたよりもはるかに複雑なものです。また現在それを考えることは自己言及的でもあります(“アイルランドは語る”は’アイルランド’を意味するというか)。独立後、従属が深まるのですね。まずアイルランドはヨーロッパのなかで植民地化された唯一の国です。こういうのは英仏独伊にいたのではわかりにくいのですが、ヨーロッパは非ヨーロッパを植民地化しただけではなく、実は自らも植民地化したのです。またアイルランドは政治は独立したが経済が自立できないアジア・アフリカ第3世界の代表選手です。ジョイス文学はモダニズムの勝利を記念した作品ですが、植民地を持たぬ近代というのはゼロでしかないことを暴露した本でもあります。現代アイルランドは、文学と演劇は70年代の「血の日曜日事件」と呼ばれる地域紛争をどうとらえるかが中心的課題です。演劇は再び世界に発信できた80年代が黄金時代でした。わたしが行ったのは90年代ですが、この時代は非常に優れた批評が出ました。’Inventing Ireland’(Kaibard)という本では、いかにイギリスがアイルランドを発明したかを分析した本です。アイルランドの「独立」は、明治維新と比べることができるような、クーデターによる独立が実現した独立でした。銃による政治はずっと続くのです。サイードが関心をもっていた、アイルランドの自立を考えているのですが、子安先生がいう「グローバルデモクラシー」に近いコンセプトではないかと思っています。これはアイルランドにいてはわかりにくいのですが、アジアから考えるとみえてくるものがあるようにおもいます。先生が外部から近代日本を批判的にみるというとき台湾から考えることなのですが、講演のとき先生が連れて行ってくれました。わたしにとって、台湾はアジアのアイルランドに対応しています。沢山の国に支配されてきたのでアイデンテイテイーに穴を開けるものがいっぱいあるのですね。この人生、残りは、くたばるまで、地球の視点で考えて行こうか、と、こんなこともやっと最近わかってきました。‬


現在「グローバルデモクラシー」を考えることは自己言及的であります(“ グローバルデモクラシーは語る”は’ グローバルデモクラシー’を意味するというのは、「グローバルデモクラシー」が開かれた問題だからです。We とかIという主語を以て語るとうまくいかないのは、「グローバルデモクラシー」について語っているからではないか?「グローバルデモクラシー」を語るためには、「グローバルデモクラシー」を逃がさなければいけないというか


「不条理が、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙をささえる<と>を崩壊させてしまう。」このフーコの方法論を幕末の徳川日本に適用したらどんなことがいえるか?近代知<なかで>に絡みとられずに、<or>としての<と>を崩壊させてみたら、たとえば、幕末の神学と経済政策が出会う冒険が可能となるんじゃないか。<and>としての<と>に、言語が集中している


https://images.app.goo.gl/PKNaQ54o6Gb7rLcF9




お金ならあることはあります。五輪を主催することができるのですから。しかし五輪のリスクはお金がそれに吸収されて必要な所にまわらなくなることでした。現在は延長のための経済負担やコスト調整ですね、ここに吸収される金が大学生全員のネット環境のために平等にあてられないのですね。大学生はそれでも自分たちで勉強しなければいけないですが、子供たちに学ぶためのネット環境が必要です。一斉休校にしても学ぶ機会がありそれが平等であることがほんとうですが、残念ながら、教育勅語の国は学校(国のために教える)の体制しかないので、自発的に学ぶことを助ける発想がありません、そういわれても仕方ないでしょう


大御心


マスク二枚の


令和奴婢



1、意外と、中国史(フランスの学者が書いた)を面白く読める。インドとイスラムからの影響を考えながら思想史の背景を追う。国際化とナショナリズムが交代する反復に興味をもつ。夷狄(われわれは東夷だ)を文明に対する野蛮として記すヨーロッパの歴史の見方に拠っている知のあり方を思うが、世界システム論のない中国は存在しない。思い返すと、ロンドン時代にnew left review誌に掲載されたポストモダン論客の論文を何の知識もなく読んだが、東京に戻ってきたとき、柄谷行人を勉強した自分の物の見方が転倒するような感じで、彼らと共にある柄谷を批判しなければならなくなった(どちらがどちらに影響を与えているかわからないが)。天安門広場事件を考える。劉暁波を読む。そして子安先生のおかげで台湾を発見した。帝国か民主か?中国の思想史を形成する対立する言説の中に生きている。21世紀は東アジアにいきなり出現した大き過ぎる他者である中国の圧倒的存在感に揺れているが、揺らされる世界はどこに向かっているのかそわからないままである。

2、西欧が読み解く中国の”ルネッサンス”で意味されるものはなにか?ヨーロッパのルネッサンスを考えたのはヨーロッパの端っこに位置しているアイルランドにおいてである。もう少し詳しく概念的に書くと、ポストコロニアル世界においてである。

3、ポストコロニアル世界の研究の対象は、政治の独立はあったが経済の独立がない国々の経験である。アイルランドはこのポストコロニアル世界に属する。少しアイルランドのことに触れると、フランスからみると、イースター蜂起はアイルランドにおけるパリコミューンとしてとらえる見方もあって、何にしてもフランス革命後の政教分離の危機のどこかの段階にまだあるらしい。アイルランドのなかでは自分達はフランス革命が必要だという意見がある。否、500年前のルネッサンスが必要だという声もある。興味深いのは、500年前といわれている彼らの思い描くルネッサンスから18世紀フランス革命まで300年間かかっているという点である。つまり都市の自治とともにあったルネッサンスの成立はまだ、個人の政治的自由を意味する民主化ではなかったということは世界史で教わるが、とにかくヨーロッパの民主主義はルネッサンスから500年を要したといえる。このことを考えると、アジアの民主化は150年とか30年でやっている。非常に圧縮された時間の中で、全体主義民主化と考えたり、民主化全体主義と考えることが起きる。(ヨーロッパのドイツですらフランス革命後の150年の経験をワイマールに集中させた結果、全体主義民主化と考えたり、民主化全体主義と考えることが起きたかもしれない。)

4、未来を考える。アジアのグローバルデモクラシーはどんな世界だろうか。ポストコロニアル世界と比べたらどんなことが言えるか?経済の従属はないかもしれないが、しかし問題は平等を実現しているかである。平等に関する最高の原理アジアにあることはあったが、ヨーロッパのようにそれを実現する方法がなかった。しかしヨーロッパの平等は帝国主義に絡みとられてしまうことが問題であった。アジアのグローバルデモクラシーは、われわれはフランス革命が必要だったとか、ルネッサンスが必要なのだという声がでてくるのだろうか。ルネッサンスの存在を表象するためには、朱子の時代にみることができるアジアのルネッサンスを考える必要があるということか。フーコが明らかにしているようにヨーロッパのルネッサンスバベルの塔の災厄からの言語の回復だったとすれば、子安先生が問題提起しているのはアジアのルネッサンス朱子学における四書の新しい普遍主義の再構成である。アジアのルネッサンス漢字文化圏において、ヨーロッパのルネッサンスと同様に、コスモポリタンが生じてくると考えていいのか。そこで成り立ってくる平等の観念があっただろうが、しかしこれを以ってアジアはヨーロッパよりも先にデモクラシーの近代があったと考えることができるか?中国における平等の観念はヨーロッパのように市民が考えたのではなく、士大夫が考えたのであるから。それは、皇帝と民との間の貴族が官僚となっていく時代で、民と直にむすびついて大きな権力をもつ皇帝のもとに臣下(官僚)は平等であるというような理念である。これを民主主義の思想であるとはいえるだろうか?

5、グローバルデモクラシーを考えるために、アジアにおけるコスモポリタンとは何かを考える。ここから、アジアにおけるコスモポリタンとは何かをポストモダン的に、地域的に考えるとき、江戸思想として展開した思想史を考えることになるとおもわれる。江戸思想は多様性の方向をもつが、天下の公(国家を越える宇宙)を考える思想が出てくる。そして西欧(縦軸)とアジア(横軸)を逃してやる斜線としての東洋とは何かを考えていくことが可能である。アジアのグローバルデモクラシーにとって障害となるのはナショナリズムフランス革命の時代はナショナリズムは平等を実現する運動としての役割をもっていたが、今日の後期近代におけるナショナリズムにそのような役割があるのか疑わしいと言わざるを得ない。今日のナショナリズムは縦軸(一国民主主義)と横軸(自立的一言語主義(国語))から構成されるとしたら、グローバルデモクラシーは縦軸と横軸から解放されたフレームのなかの斜線をなすものであると思う。このフレームは江戸思想が形作るか。江戸思想は明治維新の近代を批判的に相対化する視点をもっているからである。



意外と、中国史(フランスの学者が書いた)を面白く読める。インドとイスラムからの影響を考えながら思想史の背景を追う。国際化とナショナリズムが交代する反復に興味をもつ。夷狄(われわれは東夷だ)を文明に対する野蛮として記すヨーロッパの歴史の見方に拠っている知のあり方を思うが、世界システム論のない中国は存在しない。思い返すと、ロンドン時代にnew left review誌に掲載されたポストモダン論客の論文を何の知識もなく読んだが、東京に戻ってきたとき、柄谷行人を勉強した自分の物の見方が転倒するような感じで、彼らと共にある柄谷を批判しなければならなくなった(どちらがどちらに影響を与えているかわからないが)。天安門広場事件を考える。劉暁波を読む。そして台湾を発見した。中国の思想史を形成する対立する言説の中に生きている。21世紀は東アジアにいきなり出現した大き過ぎる他者である中国の圧倒的存在感に揺れているが、揺らされる世界はどこに向かっているのかそれほどわからない。


ポストコロニアル世界の研究の対象は、政治の独立はあったが経済の独立がない国々の経験です。たとえばアイルランドポストコロニアル世界に属します。フランスからみると、イースター蜂起はアイルランドにおけるパリコミューンとしてとらえる見方もありますが、何にしてもフランス革命後の政教分離の危機のどこかの段階にまだあるのですね。アイルランドのなかでは自分達はフランス革命が必要だという意見があります。否、500年前のルネッサンスが必要だという声もあります。どのアイルランド像が本当か?これについては、アイルランドをどこからみるかの物の見方の違いであってどの見方も正しいのだろうと思います。ここで興味深いのは、500年前といわれている彼らの思い描くルネッサンスから18世紀フランス革命まで300年間かかっているという点です。つまり都市の自治とともにあったルネッサンスの成立はまだ、個人の政治的自由を意味する民主化ではなかったということですが、これが単純に、ヨーロッパの民主主義はルネッサンスから500年を要したという意味です。

さて、アジアのグローバルデモクラシーはどんな世界でしょうか?それは、ポストコロニアル世界と比べると、経済の従属はないかもしてません。しかし政治の独立はどうでしょうか。平等を実現しているでしょうか?平等に関する最高の原理アジアにあることはあったが、ヨーロッパのようにそれを実現する方法がありませんでした。だけれどヨーロッパの平等は帝国主義に絡みとられてしまいます。アジアのグローバルデモクラシーは、われわれはフランス革命が必要だったとか、ルネッサンスが必要なのだという声がでてくるでしょう。ルネッサンスの存在を表象するためには、朱子の時代にみることができるアジアのルネッサンスを考える必要があります。ヨーロッパのルネッサンスバベルの塔の災厄からの言語の回復だったとすれば、アジアのルネッサンス朱子学における四書の新しい普遍主義の再構成なのです。アジアのルネッサンス漢字文化圏において、ヨーロッパのルネッサンスと同様に、コスモポリタンが生じてくるのです。そこで成り立ってくる平等の観念がありました。しかしこれを以ってアジアはヨーロッパよりも先にデモクラシーの近代があったと考えることができるでしょうか?平等はヨーロッパのように市民が考えたのではなく、士大夫が考えたのです。それは、皇帝と民との間の貴族が官僚となっていく時代で、民と直にむすびついて大きな権力をもつ皇帝のもとに臣下(官僚)は平等であるというような理念です。これを民主主義の思想であるとはいえるでしょうか?

整理しますと、グローバルデモクラシーを考えるために、アジアにおけるコスモポリタンとは何かを考えています。ここから、アジアにおけるコスモポリタンとは何かをポストモダン的に、地域的に考えるとき、江戸思想として展開した思想史を考えることになるでしょう。江戸思想は多様性の方向をもつのですが、天下の公(国家を越える宇宙)を考える思想が出てきます。そして西欧(縦軸)とアジア(横軸)を逃してやる斜線としての東洋とは何かを考えていくことができます。アジアのグローバルデモクラシーにとって障害となるのはナショナリズムです。フランス革命の時代はナショナリズムは平等を実現する運動としての役割をもっていたが、今日の後期近代におけるナショナリズムにそのような役割があるのか疑わしいと言わざるをえません。今日のナショナリズムは縦軸(一国民主主義)と横軸(自立的一言語主義(国語))から構成されるとしたら、グローバルデモクラシーは縦軸と横軸から解放されたフレームのなかの斜線をなすものであると思います。このフレームは江戸思想が形作ります。江戸思想は明治維新の近代を批判的に相対化する視点をもっているからです。‬


領土性と脱領土性のあいだにある両義性は、<生まれ故郷>のもつ両義性と同じものである。(…)<生まれ故郷>は外にあるのだ。――(中)p349


寸劇布マスク

犬「安心だけの布マスクはいりません」

安倍「君達どうした?別に、”ありがとう、ご主人様“って言わなくてもいいんだから」

犬「犬だから自由に吠えたいんだ!」


鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?


安倍応援団の日本会議の問題は、どういう国にしたいのかという理念性を拒否している点にあると思うのです。残念ながら思ったほどには左翼からも声がきこえません。ヨーロッパ諸国は戦後、平等と多様性を重んじてきました。権利のない社会に反対してきました。「鎖国」をして非常事態体制でも権利のある社会を壊しているようにみえないのです、個人に補償をしています。市場至上主義も停止です。平等を重んじつつ、文化多元主義を保とうとしています。ところが安倍日本は、非常事態宣言もしていないのに、どんどん権利のない社会を作っている感じです。ウイルスとの闘いなのに、まるで権利に対する闘い(権利を抑圧する)をやっています。多様性を破壊しています。また平等に関しては、多国籍企業を規制するためには、一国主義ではやっていけなくなってきた、グローバルデモクラシーの時代にいかにやっていくかについての理念が要請されています(本来「要請」はこんな意味ではないでしょうか。) 現在はやむを得ない鎖国となりそうですが、実は日本は鎖国がはじめての経験ではありません。近代からは悪い評価しかきかれませんが、鎖国の時代に学問と教育と文化が開花したのです。識字率はヨーロッパよりも高かったのです。鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?人びとは学んだのです。ウイルスの問題が解決したときに、国をどう開いていくかを考えて準備するときです。五輪ばかりにとらわれていたのではそれこそ本当に「鎖国」の‪自国中心主義に陥ってしまいます。


f:id:owlcato:20200404164256j:plain


軍国主義解釈改憲的復活。日本が依拠できるのは何も無い。国家祭祀の禁止だけだ。ブレイク詩と『ユリシーズ』(ジョイス)が私の中に反復してとらえて離さない理由は、それらが国家祭祀からの断絶を以って行う出発を書いた文学だからである


f:id:owlcato:20200404163740j:plain



puppet strings ー up in the air and down




平気で安倍は「公金を使って助成するのはふさわしくない人びと」と差別していますが、「おまえは公職につくのが相応しくない戦争犯罪人の孫」と言われたらどうなのでしょうか?


フーコ『言葉と物』がウィリアム・ブレイクに言及しているとおもわれる一文。こういうことです。


「我々にしか属さず、認識することによって世界の真実を我々に開いてくれる、有限性に自分自身が繋がれていると信じている我々は、我々自身、虎の背にくくりつけられているということを思い出さなければならないのではなかろうか?」


Ought we not to remind ourselvesーwe believe ourselves bound to a finitude which belongs only to us, and which opens up the truth of the world to us by means our cognition ーought we no to remind ourselves that we are bound to the back of a tiger ?

ー Foucault


f:id:owlcato:20200406072913j:plain


‪「我々にしか属さず、認識することによって世界の真実を我々に開いてくれる、有限性に自分自身が繋がれていると信じている我々は、我々自身、虎の背にくくりつけられているということを思い出さなければならないのではなかろうか?」(フーコ『言葉と物』渡辺一民訳)‬


‪「有限」と「有限性」との差異についてですが、「有限」を理解することは特に難しいことではないですが、有限「性」はなにかグッとくる言葉ですね。形而上学的何かがはたらくからだとおもいます。la finitude, フランス思想を受容しているアメリカ人が読む英訳ではa finitude としているようですが、「有限性」の語は、文法ではとらえきれない沈黙のなかに、思想を与える枠組み(根拠を根拠づける)の痕跡をもっているとおもいます。わたしが子安先生のもとで江戸思想を勉強しはじめたときでしたが、渡辺氏は「フーコも、演劇も、明治維新の近代に負うている」と言ってきたことがありました。たしかにそうで、明治以降の翻訳語の創造なくして一文も読めないのですが、西欧の形而上学のかわりに、忘却されまた抑圧されたアジア(朱子学的)の形而上学が、漢字(「性」)によって存在感をもって現れてくるのは何だろうかとおもっています。‬


本文で言われていることはなにかについてですが、まずおさえておきたいことは、一度確立された支配的な物の見方のなかでそれとは異なる物の見方をつくるのは非常に困難であるという点です。思想史的風景を与えておきますと、バベルの災厄以降、課題となったのは秩序をとりかえすことでした。それにこたえる形で、表象の物の見方が確立されていきます。そして表象とは異なる認識という物の見方をつくったカント。(それほど違っていたか?)。そしてカント以降の人間学的眠りを差異化したのがニーチェの思想。(ここではブレイクの虎をおもいえがいているようですが)。簡単な整理ですいません。これらと対応する形で、古代における四書(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)の読みを根本的にかえた宋代の朱子から展開した近世の仁斎(“ポストモダン孔子”のデビュー)、仁斎の言説を差異化していった、徂徠の”一番弟子”である宣長の物の見方を考えます。




金メダル ドイツ

銀メダル 韓国

銅メダル 台湾


頑張って賞 イタリア

言うことをきかない賞 フランス

ピークを過ぎたで賞 スペイン

政府が感染したで賞 イギリス

大統領がマスクするつもりない賞 米国


敗北した国 日本


(中国は情報が無い)


小島

呂大圭と同じく、元に投降するのを潔しとせずに死を選んだ人物として、文天祥がいる。彼は状元(科挙主席合格者)として宮界のエリートだったが、権臣賈似道(かじどう)に楯突いて地方に出されていた。臨安(抗州)に危機が迫ると呼び戻されて宰相となり、元との交渉にあたる。宋政府は無血開城天無条件降伏の道を選んだが、彼自身はレジスタンス運動に身を投じ、捕えられて大都(北京)に護送される。元世宗(クビライ)から臣従するように説得されたが応ぜず、刑死した。
彼の「正気歌」は朱子学の世界観にもとづいて、天地の正気が艱難時の英雄たちの行為として現れることを、いくつもの事例を列記して述べ、三網・道義の前には生死は論ずるに足りないとして、自分が宋への忠節を貫いて死ぬ覚悟を詠った詩である。尊皇攘夷という文言が登場するわけではないのだが、後世、宋の皇帝の忠節を尊皇、元に屈服しなかったことを攘夷として解釈されるようになる。

東湖の詩は文天祥を模倣して書かれているのだから当然であるが、二つの詩は同じ構成を採る。、すなわち、冒頭で理気論による世界像を展開し、人間もその一部であることが示される。そして、正気がはたらいた事例として古今の人物の事績が語られ、自分をその系譜に位置づける。終盤では自分の置かれている不遇な状況を描写し、しかしなお正気をはたらかすことであるべき生を遂げる決意が表明される。人生は倫理的価値を実現するため、すなわち天地の道理に適うことのためにあった。正気は個々人の生命を超えてつながっており、それゆえ尊重されねばならない。
私たちは何のために生きるのか。この古今東西つねに問われてきた倫理的設問に対して、「正気歌」は明快な回答を与えている。生命それ自体よりも高次の価値として尊皇攘夷という理念があり、しかもそれは人為的な約束事ではなく天地自然の道理だとする見解である。私たちの生命は天地から(父母を通して)賦与されたのだから、道理のためにはみずから進んで提供しなければならない。これが彼らの実践倫理であり、そのようにして生命を捧げた場合、「英霊」として天地の正気に溶け込むことができると思念された。作者の文天祥藤田東湖がこうした生を実践したこともあって、この生き方が規範として敬仰され、多くの「英霊」を生み出すことになった。



Wiki


皇帝祭祀(こうていさいし)とは、中国皇帝が執り行った国家祭祀。中国の皇帝は皇帝祭祀を行うことにより、祭祀王権としての側面も持った。


皇帝祭祀の起源については諸説があるが、今日一般的と思われる説明に従えば、などで行われていた自然神に対する祭祀である社禝と、で行われていた祖先神に対する祭祀である宗廟を合わせたものである。


緊急事態宣言のまえに、この男はなにをやりたいのか何を言っているのかわからない安倍の説明に対する緊急事態宣言


緊急事態宣言は補償で人間扱いしてくれるが、それでも人口に還元される怖さはあります。戦争メタファーが流通する、日本新自由主義国家の緊急事態宣言という名の自粛のもとでは、否応なく、人口という空間に自身を監視し尽くす透明な網目が成り立ち、そこでは、一人一人が隅々まで監視されていた権利(?)すら持てなくなるのかしらとおもいます


新聞の大見出しは、「表層批評宣言」か!目をこすったら、なんだ、「緊急事態宣言」かよ..



‪「さしあたりまったく確実なこととしてわれわれの知っている唯一の事柄といえば、西欧文化のなかで、人間の存在と言語の存在が、共存して互いに連接しあうことはけっしてできなかったという一事にほかならぬ。二つのもののこの非両立性こそ、われわれの思考の基本的特質のひとつであった。」

ーフーコ『言葉と物』‬(渡辺一民訳)‬


f:id:owlcato:20200408105928j:plain


The only thing we know at the moment, in all certainty, is that in Western culture the being of man and the being of language have never, at any time, been able to coexist and to articulate themselves on upon the other. Their in compatibility has been one of the fundamental features of our thought. ーFoucault



MEMO 


帝国は二つある。ローマ帝国のように自身を含んだ帝国のあり方(しかしローマ帝国漢帝国はそれぞれ自己の起源を語るが世界帝国の分割に過ぎない)。大英帝国がとるのは世界帝国との境界を生かすことによって成立す帝国のあり方。問題は、文明と世界帝国の関係。(文明の言説と世界帝国の言説の関係も含む)。


1、周辺の野蛮を統合していく文明と世界帝国の言説(例、ギリシャは周辺の野蛮を同一化していく。ローマによって世界帝国が成立する。『ユリシーズ』は文明的に自ら構成した多様性と戯れる世界帝国的な(?)本。)

2、帝国におけるコスモポリタニズムの言説。(漢字文化圏における朱子学的普遍。江戸思想は野蛮(東夷)による普遍主義の脱構築的解体。<一>に還元されない<

多>のあり方。)

3、言説<アジアは一つ>。(中国は世界帝国であり続けた。文明は、ヨーロッパ文明のようには断片的にならなかった。岡倉は中国美術ではなくあえて日本を拠点としたアジアの美術を考える。日本は世界帝国ではないが、境界にすべての文化が共存すると考えてみる)

4、近代の超克を語る言説。(明治維新の近代の失敗。中国の民主化がなければ日本の民主化がないし、日本の民主化がなければ中国の民主化がない。しかし日本が帝国主義化することによって二つの間に互いを必要とする関係がなくなってしまう

5、帝国か民主かを問う思想(帝国はグローバル資本主義の分割。帝国は共存する。またナショナリズムと共存する。ナショナリズムは音声中心主義のラディカルモダニズムが推し進める自立的一言語主義と一国民主主義である。それに対して多様性とエクリチュールを不可避の他者として重視する方向。)


文明を考えるときに日本史で考えてしまう問題。世界帝国を考えるときは古代に遡る民族的世界史を見渡す必要があるが、1870年以降の民主主義をその世界史で教えることは間違い


コロナウイルスの詩


王冠のホームレス

わたしこそ、人間との関係においては他者

問題は、存在ではなく、犬達に吠えられる伝達であり、

人間ではなく、それが構成した距離から

自ら離れる二重化であり、

本源的誤認の可能性ではなく豚がやる隠蔽のやってる感である。

問題は、

明晰な哲学的意識のうちへの、人間が自己を認知することのないあの根拠づけられぬ諸経験の領域全体の奪回ではなく、

資本主義を再び効率よくはじめる人口の配置である



La tigritude est un concept inventé par l'écrivain nigérian Wole Soyinka, en réponse à la pensée développée autour de la négritude, notamment par Léopold Sédar Senghor et Aimé Césaire.


• Wole Soyinka said: "A tiger does not proclaim his tigritude, he pounces". In other words: a tiger does not stand in the forest and say: "I am a tiger". When you pass where the tiger has walked before, you see the skeleton of the duiker, you know that some tigritude has been emanated there. 

Wiki



社会学者がウイルス感染に取り組む人類の視点を指摘しておきながら、「運命共同体」というようでは、日本知識人は死者を弔う天皇の見方からしか世の中をみれないのかと違和感あり


その哲学者は、新自由主義が社会を置き去りにしたと指摘しながら、金融よりももっと健康と環境の役割を大きくせよと言えず、自国中心主義に行かぬドイツと韓国と台湾の評価もなく、民主主義における透明性も気にしていない。日本における「全体の調和」を言うならば、国家中心主義に戻る全体主義なの?



‪おばあちゃん(ローズ)が海の底にブローチを落としてやる。ジャックとの過去が蘇る場面。多分もっと遡る。人間が存在しない時間まで遡る過去を考えること。そうして理解できない時間の厚さに人間というものが現れるようだ。これは近代のイメージだ。映画は舟で社会をあらわしていた。映画は悪くないが、冒頭にベルファーストの搾取されていたプロテスタント系造船労働者達が「この舟は沈め!」と呪いの釘を打っていた映像があるべきだった。近代というのは自分が作ったものから追放される時代である。映画の中で描かれるように乗組員はスコットランド人だろう。だから救出のときは平等に扱ったといわれる。しかしみんなが脱出するためにはボートの数が少なかったー経費削減が悲劇を生んだ。「タイタニック号の船長」は映画の中ではかれなりに責任を取っている‬。「最悪のときに責任を取ればいいというものではない」とは言わなかった。アベ日本は最悪の映画に違いない



『江戸思想史講義』は、ネットで感想文ー特に馬淵と宣長に焦点をおいたーを書かれていた方の文を読まさせていただいたのですが、参考になった点も多々ありますが、丸山眞男『日本政治思想史研究」からの影響から自由でない感じもします。『江戸思想史講義』、この本についてまず言わなければならないことは、エッセンスは「方法としての江戸」にあるとおもいます。これは学説を整理している本ではありません。解体思想史的に、ポスト構造主義的に書かれた、「方法としての江戸」を貫く本です。宣長がはじめて語ったことを明らかにすること、これと同時に、後期近代の行き詰まりに直面した市民の思想を多元主義として展開なさっていることも重要だとおもいます。「方法としての江戸」を市民として読むこと、ここにおいて宣長を問う意味が出てくると思われます。そういう視点で書いた宣長論があったでしょうか?

国学」それ自体を考える態度は内部に絡み取られた近代に顕著な読みです。「国学」が近代にいかに語られるのかを市民は考える必要があります。たとえば昭和十年代の教科書がいかに、馬淵と宣長の出会いを自分に都合よく物語ったかを批判して近代主義を相対化している視点が不可欠です。戦後の近代主義者も自分に都合よく宣長を発明しました。「宣長問題」は宣長ハイデガーと比べて論じました。実証性とイデオロギー性の矛盾を指摘みせたのですが、それは近代主義の視点を宣長に読みこんだだけです。結局、戦後の宣長の理解は、驚くべきことに、戦前の宣長の理解と同様に、『古事記』の読みの連続性が存在したかのように語っていますが、『古事記』は宣長から語りはじめられるのです。これに関してですが、宣長の場合は、大和言葉があるとして、古言を解釈するためには古代人の心を考えていく必要を考えたのですが、このことは、馬淵のおかげで可能となった宣長の方法といえるでしょう。ですから、宣長は、戦前の思想や戦後の近代主義のようには大和言葉や古代人のこころを実体化することはありませんでした。古言を解釈するために古代人の心を読むといっても、「本居宣長」の小林英雄が宣長の心の中を追っかけていたのですが、かならずしも上手くいっているようにはみえません。難しいところですね。

今年から、「江戸思想史講義」の続きを展開なさる予定なので、とても楽しみにしています。仁斎や徂徠における朱子学脱構築的読みから宣長の言説が展開していくいわば思想の闘争の歴史をみることができますが、今日のコンテクストから言って、今日の中国のあり方を理解するために、「江戸思想史講義」を宋代から読みはじめることになると告げられております。現在これは大きな意義があるとおもいます。


ノアの方舟から放たれた鳩が嘴にオリーブの小枝をくわえ戻ってきたという創世記の話が、何を伝えようとしている観念であるのか曖昧でわかりませんが、明確なイメージをもっている話だとわたしは思うのです。ウイルスは卑近な他者を必要とするコミュニケーションであるとゴダールが言っているのがこれと何か関係があるんじゃないかとおもいます。メッセージは小鳥みたいに卑近な他者のもとに行って帰ってくるという点を指摘していますしね。メッセージを送るときは、その中にはいる他者を必要とします。ここから、表現のことを考えてみると、表現を生み出すコミュニケーションが成り立つためには、中にはいったものが外にでなければいけません。しかし表現ならば情報の世界に溢れているのです。大切なのは寧ろ、卑近な他者からの感化。ゴダールの場合は、中にはいってくる他者、映画における感化の大きな運動の意義がいわれます。‬感化が先行するというか、普遍主義を脱構築していく多様性の方向性ですね。卑近というのは、伊藤仁斎を読んで考えはじめたテーマでありますが、抽象的な高さはないとされますけれど、この人に近づくなという時代にあってそれほど平易なものではありませんね


ヴェニスに死す』(1971年)は、偉大な映画だけれど、音楽をずっと流していたのは、映画がテレビのコマーシャルから感染したというような非難もあった。しかしヴィスコンテイーはオペラ的なひとなのだ。ネオレアリズモ(ネオリアリズム)を切り開いた『揺れる大地」もリアリズムとはいえない。シシリー島の漁民たちのオペラ的なジェスチャーと身振りを発見できる。演劇の役者は映画を軽蔑した。お金のない役者が映画に行った。その映画はテレビを軽蔑し、テレビはビデオを軽蔑した。ビデオはゲームを軽蔑している。ゲームはなにを軽蔑するのか?youtube か?インスタグラムか、ここでゴダールが喋り始めた(宇宙人か?)



権力が最も恐れているのは、集団の力、集団の暴力です。権力は集団の力を個性化という技術で中和しようとします。この技術はすでに十七世紀、学校における階層化を通じて用いられています。-狂気、権力の一問題-



推敲中


挿話<ペーネロペー>では、身体の損傷は外敵に攻撃された共同体の損傷の表象です。ジョイスがそこに人間としての復活を書いたモリーの声は、起源の言説に定位しているならば、共同体の破壊(政治的災害)を推進した近代の問題の解決を再び近代に委ねることに。だから声は解体的に起源の起源を住処にするの


推敲中

la série, l'enchaînement, le devenir

漢字は他者からの贈与と考えてみよう。漢字「借り物」論が絡みとられる純粋な起源を忘却してこそ、他者の言語によって自己の言語との関係を絶えず構成した決定不可能性を記憶できる


推敲中


子安宣邦著"「江戸思想史講義」(岩波書店、1998)の感想文ー「方法としてのアジア」、「方法としての江戸」、「方法としての知識人」


子安宣邦氏は最近のツイートで、山口昌男が「《重い》級友であった」ことを綴った。「彼と私とは知の関係史を作っている。私をマルクス主義に、そしてポスト構造主義に位置づけていったのは彼の存在であったかも知れない」と。マルクス主義構造主義。この<関係の冒険>からは、新たに普遍性の構築を模索しようとする知性が生まれたことを子安氏の回想は証言している。それ自体が歴史を構成する出来事といえようが、兎に角、そうして、1990年に、世に問われたのが『「事件」としての徂徠学』であった。

この『「事件」としての徂徠学』(1990年)から、『「中国」はどう語られてきたか』(2012年)まで、子安宣邦氏が直視し続けたのは、歴史を書くことの意義と、歴史を書くことの不可能性だったとおもう。顕著な二つの探求があった。そのひとつは、アジアからの眼差を受けながらも、何故かくもこの他者を語ることの不可能性が繰り返し生じてしまったのかという探求である。(「近代の超克論」「和辻倫理学」「国家と祭祀」「日本ナショナリズム論」)。他者に於ける他者性の痕跡を消すようにして行われる、自己の中の他者の措定の挫折を読者は読み取ることになる。もうひとつは、仰ぐ見る「大いなる他者」を求める探求である。「アジア論」には台湾儒学のことが記述されているが、この台湾儒学の将来に、江戸朱子学の再生を託してはいなかっただろうか。「中国論」の根底には、亡命者に見出していく「大いなる他者」の声の通低音が支配している。歴史、歴史、歴史である。


ところが、八十年代というのは、歴史の終焉と普遍主義への幻滅がもことしやかに語られた時代だった。かのサィード曰く、「ポストモダンの知識人たちは、いまや、真実とか自由といった普遍的な価値ではなく、専門的能力のほうを高く評価するということらしい。」。構造主義に転向していた多くの知識人たちにとっては、八十年代に起きたソ連の解体、ベルリンの壁の崩壊、天安門広場事件などは、特に驚くべき事件ではなく、既にその前の時代に証言されていたユートピア的神話的象徴に対する幻滅ースターリンヒトラー独ソ不可侵条約が齎した人民戦線の崩壊、強制収容所の発覚、顕在化した文革の犠牲、社会主義国間戦争ーを確認した事件としてあらわれとみえたかもしれない。八十年代に、ポストモダニズム構造主義的言説が流暢に喋り始めた。反ユートピア的言説とはいえ、少なくとも、啓蒙主義ユーとピアから排除された他者たちを取り戻すことの意義だけは訴えたけれども。また前衛的マルクス主義とは別の仕方で反資本主義の運動をなしていたことも。たしかに批評的な問題的提起から活発な論争が起きた。ただ日本に限っていえば、オタク知識人、今村 仁司のような同時代性の「フランス思想」を自慢する人々があらわれた。かれらはレヴィナスに言及しても、その暴力の概念を日本の暴力の問題に即して考えることは消極的であるようにみえる。結局、九十年代に入ると、世界的な傾向として、ポストモダニズはメインストリームの核に取り込まれていった。今日資本主義そのものとなってしまったのである。「専門的技能がすべて、手軽なもうけ話や一攫千金の野望達成の手段へと矮小化されるような、たえざる流通循環過程の領域。」(サィード)。日本の現在については、ポストモダニズムナショナリズムという憂慮すべき反動的事態も生じているのだが、今回はこのことを指摘するだけに留めておきたい。


サィード「知識人とはなにか」は1994年に出版された。この六年後に、彼の「故郷喪失についての省察」(Reflections on Exile)が出る。そして「江戸思想史講義」は、その間の1998年に出版されたことは注目したい。この本で子安氏が「方法としての江戸」で問うたものこそ、サィードが再構築しようとした普遍主義の「知」と深い関係があったのではないかと私は主張したいのである。子安氏は、「仁斎論」の最後でこうまとめていることに注目したい。


・<人間の時代>において「天」は「論語」テクストに人間孔子を読み出すことともに、読み出されてくる。すなわち、性理学的な思惟とその言語学的構成の外側に、もはや己れの存立根拠ではない「天」が、仰ぎ見る「天」が読み出されてくる。「論語」の「天命を知る」の言葉にみずから思い入れるものは、孔子とともに仰ぎ見る「天」を、もはや己の存立根拠にはない「天」を、恐れとともに見出すのである。


ここで<もはや己の存立根拠にはない「天」>とは、知識人における「語りの特権性」と子安氏がいうものと関係があるだろう。知識人が「語りの特権性」をもつのは、かれが専門性も否定していく外部的な位置と関係した立場をもつからである。サィードもつぎのように言っている。「知識人とは、あくまでも社会のなかで特殊な公的役割を担う個人であって、知識人は顔のない専門家に還元できない。つまり、特定の職務をこなす有資格者階層に還元することはできない。」「まもるべき砦となる職務もなく、また、まもりを固めて防御すべき縄張りもない知識人には、つねに、不安定で遊牧民的なところがある。」。また、文中の<仰ぎ見る「天」>という言葉はそのまま、サィードの次の言葉を喚起しないだろうか。「知識人が真の知識人といえるのは、形而上的で高尚な理念に衝きうごかされつつ、公正無私な、真実と正義の原則にのっとって、腐敗を糾弾し、弱気をたすけ、欠陥ある抑圧的な権威にいどみかかるときなのだ。」「わたしをとらえて離さないのは、同化精神よりも、やはり反骨精神であって、知識人のありようをめぐるロマンスなり、利害なり、挑戦なりは、すべて、現状に対する異議申し立てのなかで光をはなつものだ-」。「知識人が、公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、姿勢なり、哲学なり、意見なりを表象=代弁したり、肉付けしたり、明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人であるということだ」


結局、サィードは「方法としての知識人」について語り出したのだ。そうならば、あえて図式的に分りやすく整理してしまうと、「方法としての知識人」とは、即ち、「方法としての江戸」といえないだろうか?もちろん、これは、私の勝手な推定であるけれども、ただしここではっきり言っておきたいこととは、江戸儒学者の研究は決して、アナクロニズム的な衒学ではないという点なのだ。「方法としての江戸」は1990年代の問題意識を反映して行われるのである。すべて金で支配しようとする新植民地主義の世界的復活とネオリベグローバリズムに対して、原発推進のための新安全神話に対して、抗議するわれわれは、<仰ぎ見る「天」>とともに在るのだ。実際に、子安氏は序文でこう書いているではないか。


・「方法としてのアジア」とは、中国研究者竹内好が「思想史の方法」をめぐる連続講座で行った講演の表題である。世界認識への竹内の独自の立場を伝えるその言葉は、彼の論集のタイトルともなって一般にすでによく知られている。竹内のいう「方法としてのアジア」とは西欧近代を包みかえすいわば方法的視座としてのアジアの提示であった。「西欧をもう一度東洋によって包みかえす、逆に西欧自身をこちらから変革する、文化的な巻き返し、あるいは価値上のの巻き返しで、西欧の生み出した普遍的な価値をより高めるために西欧を変革する、・・・その巻き返す時に、自分の中に独自なものがなければならない。それは何かというと、おそらくそういうものが実体としてあるとは思わない。しかし方法としてはありうるのではないか」と竹内はいうのである。「実体としてのアジア」が、近代ヨーロッパ帝国の世界支配に対抗するもう一つの帝国=日本が、かつてその盟主の名のもとに仮想したアジアであったとすれば、「方法としてのアジア」とは西欧近代とその世界史的展開への、西欧の外部における批判的な視座の確保の主張である。「方法としてのアジア」とは変革への可能性を見た中国に己の視座を据えながら竹内が、現代史に終始かかわり続けることを通じてわれわれに残した貴重な遺産ともいうべき視座、即ち、<歴史への批判的な視座>である。「方法としての江戸」とは、この竹内の「方法としてのアジア」を貴重な示唆として構成される歴史批判のための方法的な視座である。西欧近代を追走しながら、その対抗として自己形成した日本の近代を読み直し、とらえかえすべき批判的な視座、それが「方法としての江戸」である。「江戸」といっても、それは決して対抗としての実体的な江戸・徳川日本の主張ではない。「実体としての江戸」の語りとは、西欧的近代の転移としてある近代日本に対抗するもう一つの近代、すなわち徳川日本の再構成的なナラティヴでしかないだろう。だが「方法としての江戸」とは、日本の近代史の外部に構成される<歴史への批判的な視座>の主張である。