横井小楠という変革期の「精神の器量」 「第二章  明治は始まりに英知を失った  横井小楠と『天地公共の道理』」子安宣邦氏著「『維新』的近代の幻想」(作品社)より

横井小楠という変革期の「精神の器量」


「第二章  明治は始まりに英知を失った  横井小楠と『天地公共の道理』」


 

明治維新の近代を批判的に語ることができなくなってしまうのは、明治と江戸を分割することによって「言語の拡散」(フーコー)が起きていることによるのではないか。五カ条の御誓文も拡散した言語としてだけ残っていて、もっぱら明治に確立したものの見方からのみ理解するため、意味がわからなくなる。明治維新の近代を批判的に語るためには「言語の集中」(フーコー)が必要となる。変革期におけるものの見方を知るためには、ここでは江戸のものの見方について考えなければならない。明治維新に確立したものの見方のなかに、それとは異なるものの見方として横井小楠の思想が見出せる。

横井小楠は、「長崎に来航したプチャーチンとの交渉に」派遣された「開明的な幕臣」の川路聖謨に書き送ったといわれる「夷虜応接大意」のなかで、公武合体論を唱え、「有道無道を分かたず一切拒絶するは、天地公共の実理に暗くして、遂に信義を万国に失ふに至るもの必然の理也」と説いた。「信義をもって通信通商を要求することは公共の道理であってそれを拒む理由はない。『理非を分かたず一斉に外国を拒絶して必戦せんとする』過激攘夷派の主張は、鎖国の旧習に泥み、公共の道理を知りえぬ必敗の徒の主張である。」つまり、その思想は、鎖国的な一国的割拠見に依存するのではなく「変革期の基準として機能する理念」である、と子安氏は読み解く。「天地公共の道理」の言説は、薩長の各藩が勝手に戦い自分の軍事力を高める一国的割拠を否定するものである。私には、これは伊藤仁斎朱子の克己復礼の教説を脱構築的に注釈したものにみえる。横井小楠は天下的公の儒者であり、その「儒者的英知」によって「グローバルな視圏の拡大」が可能となる「精神の器量」がもたらされた。

彼に、「幕府諸藩の体制維持に収斂する政治的思考と行為とを『私事』『私営』と断ずる」普遍的な公共の視点をもたらしたのは、幕府によって広められ文明論的展開をもたらした書物の「海国図志」であった。ここで、子安氏は、彼の「実学」が道徳的内面性に裏打ちされ、変革期におけるものであることを見逃さない。私には、変革期における道徳的内面性が、自らの中に閉じてしまうことを許さない天地公共の明確なイメージを持つ必要を促した、とみえる。こうして、われわれが横井小楠を考えるとき、早すぎた近代の超克に行きつかざるを得ないのである。