現代語訳「古事記」ブームの意味

Le philosophie est une lutte contre la maniére dont le language ensorcelle notre intelligence. (1921,Wittgenstein)

現代語訳「古事記」ブームの意味はなにか?

21世紀において、これからだれが、哲学の脱神話化と覚醒の意義を言ったウィットゲンシュタインの役割を引き受けるのだろうか?もうひとつ、そのとき哲学がたたかうべきだというときの魔法使いの杖とはなにか?ブームとなっている古事記の現代語訳が魔法使いの杖である。たとえば三浦氏は「こう語った・・・」、と、訳していることの問題とは一体何だろうか?漢字の背後に話し言葉(大和言葉)を読もうとすることは不可能な作業であるのに、しかしそれをあえて可能とするときわれわれの知性notre intelligenceになにが起きるのだろうか?国民文学としての「古事記」の発明。そうして古事記全盛だった昭和ファシズムは近代国家を国家神道的国家に変身させてしまったが、現在は書店の現代語訳と構造主義民俗学古事記を再神話化しているだけでなく、歴史修正主義者たちもまた古事記の再神話化をおこなっている。安倍自民党は国民からの要求に応えるべく日本会議から救済神学としての古事記的なものを発しようとしているとき、神話を更に神話化することの代償とはいったいなにか?いいかえると、(文化論的に想像された)大和国に無限に近づくことによって、われわれの言語・労働・生活から無限に遠ざかってしまうものは何か?おそらくはそれは政治だろうが、単純にファシズムの再来というよりは、救済しない安倍政治を終わらせることができないのだろう。'脱神話化は流行らない'では済まされなくなってきたんじゃないか