'discours'
work by takashihonda
21世紀にはいって、ハード&ネグリ「帝国」、それに答えた柄谷「世界史の構造」「帝国の構造」、そして子安「帝国か民主か」は、それぞれの言説の位置と機能から、後期近代における帝国の時代の到来を分析することになりました。帝国主義の時代は終わりました。これからは帝国の時代です。なにを語るにしてもまたなにを考えるにしてもここを介してでなければ不可能でしょう。現在進行中である、その帝国の時代にどのような人間の新しい経験と思考がうまれるのかはまだよくわかっていません。が、グローバル資本主義時代の四つの帝国的言説の特徴と一つのブラックホールと私が考えるものについてそれを弦楽四重奏の如き編成として思い浮かべながら、間違いを恐れずに、私なりにやや大胆に分析してみますと、
▼帝国ヨーロッパの言説とは、フランス革命から始まる自由と平等のゴダール的モダニズム
(どこから来たのかどこへ行くのかを物語る国家の神話的連続性と、それを拒むアナーキズムのリアリズム的非連続性、この両者の方向性を包摂する)
▼帝国アメリカの言説とは、立憲的連邦主義のフィンガンズウエイク的ポストモダニズム
(どこの国の言語で読むことができないようにいわれるような、どこの国に属さないほどの純粋理念的な多様性によって、他の国を部分として構成的に包摂してしまう全体性)
▼帝国中国の言説とは、マオイズムと新儒教のポストモダ二ズム
(官僚資本主義の(非西欧の古代から語りはじめて到達することができるという)<中国的近代>への脱領土化)
▼帝国ロシアの言説はツァーリ的一国社会主義のポストモダン的モダニズム
(作家の20世紀的労働者としてのかつ19世紀的民族主義者としての身分証明書を要求する皇帝の劇場的<国家>への回帰。国民が作家である。)