江戸思想と昭和思想

江戸思想と昭和思想


伊藤仁斎がカントと同時代の思想家であったということの意味は何か。普遍主義の理論的前衛を批判したカントは、彼がはじめて発見した主体とその位置にある経験知というものを呼び出した。カントの前に、主体のことも経験知のことも言った人はいなかったのである。カントから近代とその批判がはじまる。だからカント的に構成できる「江戸思想」から、「大正」の読み直しが「昭和」の外部的視点を構成するように、昭和十年代ヘーゲル世界史の近代すなわち「昭和思想」を批判できる筈なのだ。ところでロシア革命を観察しその後にできたレーニンとスターリンの(ウクライナを併合してできた)全体国家を批判した社会主義者は(後にアナーキズムへ行く)幸徳秋水大杉栄だけではなかった。ある一定の時期の大川周明もその社会主義者の一人であった。だからこそ、このアジア解放の社会主義の思想はいかに仁斎の思想に帝国的言説に対する批判的読みの現代的可能性が存在していたかを知っていた。しかし左翼か右翼かと二項対立的に整理できない、この時代の思想的配置を抹消してしまったのは、ほかならない、戦後民主主義の二項対立的な言説であった。どうして、わたしは(「社会主義者」)は、あなたのわたし(「権威的右翼」)でなければならないのかという自己のアウデンテイテイを他(戦後民主主義)に委ねなければならない語りの苛立ちのもとに「大正」を読み直すわれわれはいる。そうして敗戦後、植民地主義の近代を自己批判した「日本精神」の大川周明は悍ましいタブーとなり、ファショ的言説の「清明心」の和辻哲郎は平和な日本文化の代弁者となる。だが今日の安倍応援団の日本会議にみられるように戦前のファショ的言説がそのままの形で登場してくるとき、彼らの「古事記」の読みの根底に「清明心」の言説があることをどうして見逃すことができるか!?

 

 
本多 敬さんの写真