靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?


靖国神社の問題は、何といっても、死者のあいだにhierarchyを作り出す点ですね。戦争体験は語られているが、伝わってこないのは、靖国神社の言説に絡みとられているということにも原因があるでしょう。さて靖国神社は近代国家の産物です。ここで儒家神道と国家との関係について知る必要があります。この両者は一直線上にあるとして説明してしまうのでは簡単すぎるかもしれません。活動的知識人たちを集めた後期水戸学の言説(荻生徂徠本居宣長平田篤胤の思想の影響のもとに、「国体」の思想が政治神学的に構想される「命名制作論」が核にある。)が明治国家の構想をつくりだしましたが、明治維新後は、明治国家は平田篤胤の弟子たちの思想家たち(スピノザ的な汎神論を展開した人もいました)を政府から追放しました。「日本しかない」というような主張に顕著ですが、理念的なものを軽視する日本会議に結びつくのは、平田篤胤系ではなくて、国家神道の方向をつくる本居宣長系であると考えられます。国家神道は即ち国家祭祀。繰り返すように、これらは明治国家が作り出した制度ですが、徳川幕藩体制も国家として考える必要があると考えると、どういうことが言えるのか?国家祭祀は国家を通じて近代が制作したという点がはっきりしてきます。そう考えることによって、例えば中世の仏教の平等思想に、近代を批判する視点があったという指摘もなされますが、はじめて意味をもつように思います。近代は死者のあいだにhierarchyを作らない中世の理想を実現することに失敗したのです。ここで中世を実体化してとらえようとは考えていません。そのように思考実体にとらわれることは、近代原理に対抗するアジア原理を実体化するときとおなじ限界をもっています。(正しい映像ではなくただ映像があることが要請されるように、朱子学コスモロジーが言うようにただ理が気のうえに要請されるということだと思います。)中世は外部の思考としてあること、文明論的一元的同化主義、開発と戦争を批判する物の見方があるということが大切なのです。アジア原理を思考形式の理念的方法として再構成するこういう考え方は、アイルランド時代にジョイスの文学の読み方(デクラン・カイバード「神話的リアリズム」)から学んだことですが、現在は東京の講座「明治維新の近代」(子安宣邦氏)で学んでいるところです。