MEMO

玉石を磨いたときに現れる筋のある模様に筋道が表象されるのがアジアのコスモス(「理」)

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思想は常に遅れる。方法としての思考でなければならない。差異であり、同時性であり論理的先行性であり、一体多元性である。垂直的な絶対無限かつ横断的な絶対的平等性の斜線を書く


多孔性としての襞

Le Pli est poreux


白紙の本は、白紙である一頁一頁が無(アンチコスモス)の署名を構成している。Godard『映画史』において、観客席に向けられたカメラによって明白に隠されている白紙のスクリーンが目の前にあるように

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DURAS『インディアン・ソング』は凄いのは、明白に隠されている画面が目の前にあることだね。『古事記』でも明白に隠されている言語が目の前にあるー本居宣長が起源を言っても


アイルランド文芸復興運動とはなにか?『フィネガンズ・ウェイク』(FW)に、古代観の差異、すなわち「われわれ自身」(our own self )における<復古>としての古代か、それを「割れた召使いの眼鏡」(『ユリシーズ』、Joyce)とみた構成主義的多様性としての古代かの差異がある。アイルランドの文学的言説の、その言説上に構成されるアイルランドの自己像の差異である。そして独立か自立かの政治をめぐる議論と深い関係があるに違いないとおもうのである。


おそらくフーコにおいてカントが問題となっている言説の隙間に、江戸思想史は伊藤仁斎を論じる。


「人間はその固有の形象を断片化された言語(ランガージュ)の隙間につくりあげたのである」

(フーコ、渡辺訳)


‪L'homme a composé sa propre figure dans les interstices d'un language en fragments. 

Michel Foucault


開かれている漢字文化によって天皇を批判的に相対化できる。問題は、天皇が漢字文化を歴史的に担っていたこと。天皇の構造は盤面に並ぶ16個の駒から表象の表象をなす一駒を取り除くことで成り立つ。この一駒が天皇である。他の駒は自由に動いて同一的差異のヴァリエーションを作る。これが乗り越えるべきパラドックスである。「ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ」

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万葉的世界に表象されるのは文化的同一性形成の言説である。「令和」とは閉じた文化を指示している名であるが、しかしそれは漢字である限りにおいて閉じることが不可能だったのだ


私は真実を語る。君に語る。私が君に真実を語っていることを確証してくれるのは、実際に私が、私の振る舞いの主体として、言表行為の主体と絶対的に、完全に全面的に同一であるという事実である。-フーコ 主体の解釈学-


ペンローズPenrose のイラストをじっと見ているとわかってくるが、これは多が一体となっているような一体多元の領域ではないかと勝手に考える。一体多元の領域というのは、投射するか投射されるかに関わらず、自らが外にむかって開かれている。言語的契機をもっているからだろう。しかし<一>はここには現れない。<一>は内部に絡みとられるので他に投射することができないからである。<一>からはそれが<一>である限り、多が一体である一体多元の領域が生まれることは不可能である。

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子安先生の講座で『朱子語類』の原文を一緒に読んでいただいたことは本当に有り難かった。漢文のなかで差異を考える視点をもつことができるとは!朱子学から影響を受けたと言われるライプニッツについてドゥルーズは語っているが、眠いので的確に書けないが、バロックというのは差異において他者としての無限♾を考えていくことになったと。他者としての無限♾は、ちょっと言葉がみつからないが、質的な多様性である(思想的精神的である)と言おうとしているみたい。バロック芸術の特徴である折り目があるところでこそ外部に向かって思考の反復が成り立つ


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Les monades de Leibniz sont soumises à deux conditions, clôturé et sélection. D’un part elles incluent un monde entier, qui n’a pas d’existence hors d’elles; d’autre part ce monde suppose une première sélection, de convergence, puisqu’il se distingue d’autres monades possibles, mais divergents , exclus par les monades considérés ; et il entraîne une seconde sélection de consonance, puisque chaque monade considère va se tailler une zone d’expression claire dans le monde qu’elle inclut ( c’est cette seconde sélection qui se fait par rapports différentiels ou proches harmoniques.)


ーDeleuze, LE PLI


紀記的世界に表象されるのは国家統一形成の言説である。しかし統一なのか?大国主は、自分の神殿を建てることと引き替えに葦原中国統治権天照大御神に譲ることを認めたのは、交換である。交換とはなにか?神々においてすらですら他があって自らがあるのである。われわれ自身ではやっていけない


Nur erst, wenn dir die Form ganz klar ist, wird dir der Geist klar werden.

シューマン「音楽の形式がはっきり把握出来て、初めて音楽の心、精神が分かる様になるだろう」


日本近代はとっくにボロボロだけれど、アメリカの近代もボロボロ。トランプで見えてきちゃったみたいね。いつのまにか中国がすっかりポストモダンになっている世界は出口無し..


アメリカ民主主義を、報道と言論の自由をトランプは破壊してきた。この問題の解決は再び、言論の自由を破壊してきたトランプに委ねるのか?不可能だ。people が解決すべきだ


「神話への反抗」は、神話がこれを行うと私は考える。神話とは何か?構造主義は神話は無意識と考えてよいと教える。無意識はリアルでないと思われがちだが、無意識はリアルである。神話は、無意識がリアルであるように、リアルなのだ。記紀神話(『神代記』)において記されるように、神々は<我々自身>の神話ではやっていけなかったと記した神話は古代における国家統一の困難を隠蔽しない。そうならば被造物の人間はもっと難しいに違いない。これは現在にとってリアルだろう。1500年前に他言語が自言語に先行する漢字文化が神話を通じて神話への反抗をリアルに伝えていたのだ。


朱子学に表象される中華帝国の<一>性形成の言説。言説「孝」の普遍性を解体したのは近江の聖人と称えられた中江藤樹。ローカルな彼の異常な孝行は幕藩体制にとっても事件であった


Wir sind nichts; was wir suchen ist alles.

 We are nothing; what we search for is everything.

- Friedrich Hölderlin


アドルノ美学はロゴスの支配に背く美を語る。古典主義的全体性に表象される美は無くした小銭に対する憤りだ。18世紀宣長多元主義も理念性の支配に背く美学的批判と文学がある


「大学」の根本原理は「修身斉家治国平天下」というもの。そもそも、戦前から「大学」でやってきたのだけれどこの名称でいいわけ?「天下を平らかに治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて次に天下を平らかにするような順序に従うべきである。」


形而上学の歴史は、絶対的な<自分が語るのを-聞き-たい>ということである」(デリダ『声と現象』)

わたしは形而上学にも国家祭祀にも「純粋さ」とシモーヌ・ヴェイユが語るものをみとめることができない。「汚れ」とは他者であろう。『純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」(Simone Weil)


この政府は放射能で汚染された水を海に放出しようとしている


リーマン・ショックとはなにか?


Joseph Stiglitz(2009年)が指摘していたようにグローバル・デモクラシーの時代にこのときイギリスに求められていたのは、改革、a new global financial architectureだった。改革は失敗すれば、最貧国がストーレートに比類なき残酷さをもって痛みを受けることになる。10年間わたしは経済を語るときにこのように他国のことを考える意見を日本新聞で一度も読んだことがない。リーマン・ショックとはなにか?この問いは、だれがリーマン・ショックとはなにかを問うのかを問うことを含んでいる。


明治維新から確立した東京中心主義を解体すべきだは多元主義の主張である。少数民族の教育を奪うファショ的主張をもつ人物がそれを言うんだよな、日本という国では。どうして?



集中した権力を解体することはデモクラシーが要求する「正しい」多元主義です。これを主張する者はどんな共同体も均く言語にアクセスできる権利を否定してはならないとおもいます


グローバル的東京中心主義の解体をいう多元主義少数民族の教育を奪うファショ的主張とが両立しているのは、「維新」の復古的言説が王政復古の言説に絡み取られた歴史の反復的痕跡なのか


国家が侵入した危機に直面した復古的言説の課題は国家が囲いこむことの不可能な自立的空間の制作にあった。薩長の安倍や大阪維新みたいに対抗国家、対抗都市を作ることではなかった


答弁するスガの姿を見たらまるで虚空における死者の私的言語。日本は危機だと騒いでいるのにあんなのが首相でいいのか。パニクって解決を先延ばしにするだけだから危機を深める



アイルランドと日本の近代は良い悪いではなく事実として復古主義的言説から始まる。問題は古代に遡る思考の実体化ー再建ゲール語と江戸思想の伝統無き音声中心主義的明治の対抗近代


漢文を読めなくなった大正に人文知はピークを迎えた。ドゥルーズ派は小林秀雄ほどにはベルグソンを読めていないが、「公」と「私」を解消した生命主義では本居宣長を読めただろうか


幸徳秋水(1871~ 1911)


老子』現代語訳 第1章(全文)


「人間が名を与えることを越えた無名の状態こそが、万物の始まりとしての真の道であり、同時にまた、やむをえず名を与えた後の有名の状態も、やはり万物を生み出す母としての真の道なのである。〔したがって〕、人間は無欲の態度に徹することによって目に見えぬ道を把え、同時にまた、有欲の態度に徹することによって姿形のある万物を把えるのだ。

この道と万物との両者は、同一の真の根源から出てきたものであって、名前(表現)こそ異なるものの意味(内包)は同じである。そこで、この両者を否定しつつ真の根源に向かって遡及し、その否定をくり返しながらさらに真の根源に向かって遡及していくならば、ついには多数の霊妙な宝物の蔵されている〔門〕にたどりつくであろう。」


文革は二度起きたー一度めはラディカルモダニズムの和服において、二度めは反近代の軍服において


文革は二度起きたー一度めはラディカルモダニズムにおいて、二度めは反近代において


津田左右吉の近世の知識世界についてのほとんど全否定的な記述を読んでいると、明治維新が前代儒家知識の全否定的な〈文革〉であったように思われてくる。」(子安宣邦氏)。


どうして永久革命の音声中心主義的ラディカルモダニズムの思想家は和服の中にいるのだろうか?津田左右吉は来るべき新しい言語を完全に自分のものにするために、まだ和服を脱げないでいるかのように過去の言語(漢字)に定位しているように見えるのだけれど。否、反対に、革命のためにはあえて古いコスチュームを着なければならなかったのだろうか?そうすると、しかし「保守思想家」といわれる「保守」の意味とはなにか?私はわからなくなってきた



津田左右吉のラディカル・モダニズム天皇ファシズム皇国史観に抵抗できた。問題は、その音声中心主義からの漢字の知識人の永久革命的全否定、これはファシズムの言説ではないか


どうやらアメリカはバイデン氏を大統領として新しく迎えるようだ。しかし「新しく」とは何か?グローバリズムの問題も地球環境の問題もトランプのように先延ばしするならば...


Bye bye  Trump

Bye bye  音声中心主義の論理一直線

新しく再び形而上学における、

文とともにゆっくりと展開して

他者のなかで意味を形成する論理が

要請されるのではないかしら


集中した権力は教化してくる。集中した権力のもとでは、だれも教条主義にとらわれることなく自由に喋ることができない。集中した権力を解体することは人間にとってデモクラシーの多元主義である。何がデモクラシーであるかをめぐって互いに互いの体制を批判し合えばいいとわたしはおもう。だけれど個人に保障される言論の自由だとして、現在戦争しているか戦争状態の相手国の宗教を風刺的に揶揄することに問題はないのだろうか。「われわれ自身」と「彼ら」とのあいだの敵対的な境界線をつくりだすナショナリズムが生じている。「われわれ自身」とは別のあり方を自由に共同体が語ることが不可能となってくる現在があるとしたら、やはりそれは共同体にたいして権力が集中しているからではないのか?共同体が語る権利が奪われる


共同体が語る権利は詩人である柳田邦男と吉本隆明が代表しているか?只搾取しているだけだ。個人として喋れなくなるような、彼らが書く共同体にあなたは本当に生きたいと思うのか?


哲学bot より

スピノザ:当時は無神論者として弾劾されたが、造物主としての神ではなく、あらゆるものを自己の様態、変様として産出する内在的原因として神をみる思想(「神即自然」、理神論)であった。また、デカルトと異なり心身を別の実体と見るのではなく、同一のものの異なる側面とみる(心身平行論)。


「学問の自由といえば、ひれ伏すのか」と威張ったサルから言われてもね。学ぶひとは謙虚でなければいけないし、学ぶうちに自ずと謙虚になるのは学は無限に大きいからではないか


ちょっと待ってよ、現在は戦前と同じ学問の自由の弾圧だと言い切ってしまうの?それでは戦前の問題ー国体概念と天皇ファシズムによる学問の自由の弾圧ーを見逃してしまうことになる


民主主義を教える筈がない官僚養成機関の大学出身の官僚達からきたメモを読むだけの首相の沈黙。この惨めな姿は、どうせ惨めなら沈黙するよりも沈黙しない惨めの方がマシだと教える


どんな「女」も「男」よりも面白いのは幻想をもっているからか?私は「男」だから、「幻想が幻想をうむ」などと言って幻想を遠くからみるのか?それも幻想だと分からずに


昨日箱根オフィーリアに会いにいった。昔は「絵空事」のキリスト教に苦しんだが、今は土人の迷信で生命力はある。ただ二時間の接触で私の似非文明の免疫力が落ちて風邪をひいた


<不可避の共通なもの>とはなにか?


マルチチュードの言説に、不可避の共通なものを内在的にとらえる視点があるとおもう。ヨーロッパ近代に絡みとられない内在的視点は溝口の「中国の衝撃」においてある。そしてここから、東アジアの多元主義に背をむける柄谷の帝国(世界資本主義の分割)の言説が、彼の『資本論」の正しい読み方をアジア知識人に教える教説とともに、展開されることになった。「アジアをめぐるわれわれの言説はすでに一国的ではない」(子安氏、講座『江戸思想講義第二』4 、中国の「新天下主義」について)


真淵は「古言」を学ぶために『万葉集』を読んだことと宣長が『古事記』を読むために「古言」を学んだことは違うように、フランス語を学ぶためにフランス映画を観るのとゴダール映画を観るためにフランス語を学ぶのとは違うよな..まあいいけど


「修身」は、「身を修めること」を意味し、第二次世界大戦前の日本の小学校における科目の一つ。1890年の教育勅語発布から、1945年の敗戦まで存在した。


1985年に首相の中曽根康弘靖国神社を公式と称して参拝した。弔旗・半旗掲揚は国立大56校 中曽根の合同葬、文科省通知受け


蓮見重彦の大正文学に対する違和感は日本帝国主義の成立と共に反復される「代表」の語から生じる。植民地化された国が無かったのように植民地化された国は勝手に代表されてしまった。また蓮見はナポレオン三世の独裁の成立が大統領の名の「署名」が先行したことを分析した。国民は勝手に代表されてしまった(国民投票によるクーデタの追認)。わたしは蓮見をよく理解できている彼のよい読者ではないけれど、「代表」と「署名」の関係は帝国主義と独裁の関係のように近いことをおもうのである。今日においても、説明もなく好き勝手なことをやっている菅内閣総理大臣の「署名」は事実上自民党に承認されているだけなのに、後に行われる選挙による承認が先行している。現在国民はいつの間にかこの男に勝手に「代表」されていると言わざるを得ない


漢字とは排他的に自己を生み出すための異質的他者でもなければ、受容者としての自意識が負い続けねばならないトラウマとしての異質的他者でもない。それは日本語の成立と展開にとって避けることのできない他者である。漢字とは日本語にとって不可避の他者である。それは自言語がたえず外部に開かれていくことを可能にする言語的契機としての他者である。


(ー「あとがき」にかえて、より。子安宣邦著「漢字論」岩波書店 2003年)


ルネッサンスは古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動である。古典的世界をたたえたのはイタリアのルネッサンスだけではない。アイルランド文芸復興も、ハイゼンベルクが現代世界と古典世界は調和できることを示したように、現代において古典的世界をたたえた。アイルランド文芸復興は復古主義(reactionism)である。復古主義とは、情勢や体制などが現在よりも過去の方が優れていると考え、その当時の状況に戻すことにより社会がより良くなる事から復古させようという主義(wiki)。ダブリン時代のわたしはイエーツの復古主義の精神を理解しているつもりでいたが、しかしほんとうはわかっていなかった。わたしの関心は、イエーツではなく、ジョイスベケットそして現代演劇だったから。現在は、子安宣邦氏『江戸思想史講義』を読み直して賀茂真淵の「復古」の古代を考えることによって、復古主義の意味を考えようとしている。復古主義アイルランドの文学的言説の、その言説上に構成されるアイルランドの自己像の差異である。そして第三世界に影響を与えていく独立の政治を展開させた。江戸時代の復古主義は、国学的言説の、その言説上に構成される日本の自己像の差異である。これはアジア諸国に影響を与えていく明治維新の近代の思想を与えていくのである。「復古」の古代観、こうしたことは、ポストモダン的、ポスト構造主義において考えることができることになった。わたしは要領が悪いから30年以上も要したが、そもそもこういうことに関心があることも自覚がなかったが(反公害運動は過去の権利を訴える思想だったのである)、自己にあっての差異を考えることなく、われわれの文化と言うことができないという思想史的認識を自分のものにしようとしている。


数十頁を訳してみたことがあるのですが、レジスタンス運動にいた経験からサルトルは、彼の日記の中で、われわれは全体主義に勝っても、資本主義が勝利するだけではないのか、わかっているけれど、しかしどうしても全体主義に負けるわけにはいかないのだ、と、そういうことを書いていましたが、これはいまの話ではないでしょうか。マクロングローバリズム(資本主義)。これにたいして、グローバリズムにたいする抵抗として、新しい普遍主義を再構成しようにも、対抗イスラムというナショナリズムという悪い形に絡みとられているようにみえます。フランス革命の平等を訴える理想は思考のスクリーンに投射されることがなかった、ここに問題があるとおもいます。フランス革命においてアナーキズムかあるいは国家かが問われました。フランスを語る言説の、言説上に構成される自己像の差異です。これについては、15世紀の、自己にあっての差異を消してしまったレコンキスタに遡りますが、西欧の国家はイスラムという他者を排除することによって成り立ちましたから、イスラムの近代は自らを全否定する形で西欧の近代を全面的に受け入れることはどうしても限界があるのです。


ピケテイ『21世紀の資本』に経済格差の解決が書いてあるのに、そこで、中沢新一唯物論哲学の不在を問題にするのは、河上肇において不可視の格差を『資本論』を読む記号にするぐらいのダメさなんだよ


17世紀からのヨーロッパ思想史は知の考古学から読み解くと自己(岬)にあっての差異しかない。そこは外部に開かれている(窓)、中心なき共通の場所として開かれていることが要請される。例えば、多数の部屋の入り口に繋がっている廊下(映画「アルファビル」のホテルのなかみたいな..)


多数の部屋の入り口に繋がっている廊下

(映画「アルファビル」のホテルのなかみたいな..)


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漢字とは多数の部屋の入り口に繋がる廊下のようなものではないか


推敲中

こんな世の中では息苦しさも息苦しい。汚染に関する真理の欠如。履く靴下の欠乏(爪で破れている)。居場所の欠如。隙間なく分節化されてしまっているー興味がないものと重要でないものと必要のないものによって。時間イメージの中に余白に関する僅かな希望がある。それからしか、ブレッソン映画の人気は説明できない


α 「過去は生活する人々は直き心をもっていたが後世にそうではなくなった」β「国に外のものがはいってきた」γ「文化同一性が無い」。αとβとγは互いに独立している別々の命題だが、近代主義とはαとβとγは一つのことであるという表象によって成立することになった。過去に帰ること(場合によっては人間が存在しない生命の時間まで遡る)によって他を排除しなければならないという物の見方と、このように構成されるようにみえる非表象的美学的表現は両立する。これは芸術である。問題は政治の美学化にある。政治がその一つであることが皆が理解できるほど隙間なく透明でなければならぬと語りはじめて、出発から他を排除する前提をもったら、その声は差異を否定し尽くすファッショ的言説に定位しているに違いない。どうだろうか?


推敲中

Picaso 

フーコは<もう一つの思想史>を書きはじめるために、<もう一つの絵画史>を書いた書き方が野心的です。ベラスケスが呼び出されました。(このあと、絵画史のなかで言及されることがない博物学のイメージです。) さて8年間いたアイルランドのような19世紀から対英闘争を展開した共和国のメインストリームの芸術がこの絵から影響を受けていることを公然と言っているのが疑問におもったものです。この絵はヴィクトリア朝大英帝国の自己イメージのあり方を与えることになりました。フェースブックのスイス人の友達などは人々の隷属状態を読み解いて、「馬鹿な連中だ」と吐き捨てました。それはわかります。結局どこから絵を解釈するかによるでしょう。再びアイルランドですが、王から独立するためにというのですかね、この部屋からいかに脱出するかという問題意識を以ってこの絵を観るのかもしれません。宇宙の秩序を震撼させる不条理の笑いをゆるさないほどに、完全な原理を以って隙間ー壁にあるーを埋め尽くすようでは外へ出ることは難しいと絵は教えているように思います。下の絵はピカソによる再構成で、見事に、宇宙の秩序を震撼させる空白としての不条理の笑いを取り戻しているのではないでしょうか。しかしこれとは反対の見方をしている可能性もあります。国家がなければ民族のアイデンティティの確立がないという見方です。その場合は画家の二つの位置に、民衆が民衆自身をみるということになります。しかしアイデンティティといっても境界というかかえって揺れて止まらないものを感じないわけにはいきません。そもそも民族とは何か?「明治維新の近代」に先行する津田左右吉・国民思想論(第一回、「民族」という始まり)のプリントをみながら色々思い返しているところです。冒頭の文はエテイエンヌ・バリバール「国民形態の創出」(1995)でした。「民族ピープルとは、あらかじめ国家機構のなかに存在し、この国家を他の諸国家との対立関係において「自分のもの」として認知するような、そのように想像の共同体である。」問題は、21世紀の新しい普遍主義を再構成できずに、「国家」が制作した「民族」(=「世界史」)を物語る言説の部屋を出ることができないでいること。東西の500年前から、ここが問われているとおもいます。


スピノザ、哲学者における禁欲的徳をわがものにする最小化に言説を対象とする欲望の最大化が成り立つ。中井履軒、「その身分何者でもなし」。借り部屋「天楽楼」は宇宙の中心である


言説は[…]ただ単に欲望を表明する(或いは隠す)ものであるばかりでなく、欲望の対象ともなるものであり、また言説は-歴史が絶えず我々に教えてくれる通り-ただ単に闘いや支配システムを物語るものであるばかりでなく、闘いの目的及び手段でもあり、奪取が目指される権力でもある

ーフーコ 言説の領界-


山崎闇斎の「敬説」と「主宰的な心」の言語は日本的<内部>形成の言説である。それはアジアで起きたバベルの災厄であった朱子学の<領土化>であるが外部の思考の解体的契機を保つ


伊藤仁斎『語孟字義』を見たのは中之島図書館においてである。この儒学を再構成し脱構築した本と共に世界はリゾームになる。ネオリベグローバリズムに対する抵抗のあり方を問う


推敲中

この数日間、近世の漢籍に対する欲求のことを想像しています。膨大な数の漢籍はそのまま公の図書館と博物館に寄託されているのでしょうか。戦災で失われたものも相当あるでしょう。文革の破壊以降、見えない本が現れたかもしれません。本の宇宙にブラックホールがあることを疑うのであります。このことも、透明とされているけれど近代の知のあり方を考えさせる事実かもしれません。

推敲中

『野生の少年』の素晴らしい脚本をフランス人と一緒に一生懸命読んでもらったものだ。感謝している。アルメンドロスの撮影にひかれた。彼は光源は論理的に正当化されるべきだという考え方をもっていた。リアリズムというふうにいわれるが、そう明確化してしまうことができない。当時はこういうことですとわからなかったが、高く遠いものと低く近いものとの関係をかんがえていたとおもう。‪高く遠いものを高く遠いところにおいてはだめなんだとおもう。高く遠いものだけではやっていけなくなる。低く近いものに、自分のまわりに、高く遠いものをおかなければ、高く遠いものは成り立たないんだね。天の自由みたいな神話とリアリズムとの関係もそうだ。卑近なところにこそ信があるというか‬



フーコはカントの<啓蒙>の特徴である<脱出>を語る。『朱子語類』と伊藤仁斎童子問』はアジアの啓蒙主義である。有限な人は「天命を知る」。無限である学びへ外部の線を書く


此方と彼方。分割が確立されるとその中でそれとは別の分割のあり方を考えることが難しい。しかし此方は暗闇の彼方の中に出向いていかなければ、いずれか彼方の方から此方がいる居所を探しにくるにきまっている。死に場所がなくなってきた江戸の近代において別の分割のあり方を考え始めた。これが鬼神論ではないだろうか


一国的始原の語りにアジアの近隣諸国と共通なものがない。開かれた漢字文化は、「神」を「カミ」と読む宣長によって拒まれる。自己は他においてでなければ、「われわれ」と言えず主体の形式をとることが不可能なのに


Le Maître dit ; <une seul phrase peut résumer les trois Poèmes et c'est " penser droit".>‬

‪ー Conficius, Les Entretiens‬



「徂徠<礼楽>論を構成しているのは人間についての<外部>的な言語である」(子安宣邦氏)。徂徠<礼楽>論は<制作論>である。ここから、いかに国家を発明していくか、聖人における命名制作の意味が明らかになる。また復古主義の戦略の意義も分かってくる。現在の問題は、 歴史修正主義に巻かれていてこれを巻き返すことができないのは、<内部>的な言語で語られる国家哲学ばかりだからである。<外部>的な言語を以って国家を制作する視点が必要ではあるまいか


「徂徠はまた「徳」の二つの定義を挙げて、この二つも定義間の甚だしい差異をいっている。一つは朱子の「徳は言たる徳なり。道を行って心に得る有るなり」という定義であり、もう一つは『礼記』における「礼楽、身に得たる之れを徳と謂ふ」である。この両者を比較して徂徠は、「...古書の身はみな我を謂ふなり。仏氏が身心の説出でて、而して学者その浅きを嫌へるのみ。礼楽は道芸なり。道芸は外に存り。学んで徳を我に成す。ゆえに「身に得たり」と曰ふ」というのである。身と心の二元的な仏家の言説の登場以来、「我」をもっぱら「心」で受けて、古く「我」は「身」で受けられていたことを忘れている。「身に得て徳を我に形成する」ということが古くからの徳の言説である。「身に得る」といえば学の対象は外に在る。古来、学ぶとは「礼楽」を学ぶのであり、「礼楽」とは「道芸」であった。「道芸」とはとは外に在って、それを身に得て習熟し、徳を己れに形成すべきものである。もはや明らかであろう。徂徠<礼楽>論を構成しているのは人間についての<外部>的な言語である。さきに私は徂徠<礼楽>論を、自然への対抗関係における<作為>の立場としてよりは、むしろ<制作論>ととらえるべきだことをいった。」(子安宣邦『江戸思想史講義』岩波書店 荻生徂徠/第6章 先王の道は礼楽のみ)


自民党なんか、国葬という名目で税金を盗んで私欲を満たす為に党葬をやっているのは、公の為と称して実は己れの私欲のために勝手に軍事化した薩長のやり方と同じだ


国家が与えた学問の自由ならば国家が奪う。だが明治国家以前に成立していた学問を奪うことは許されない。伊藤仁斎の身分に関係なく学問を行った古義堂があった。多元主義の学を守れ


憲法において学問の自由が規定されているのは、ただ規定されているのではなくて、戦前に学問の自由にたいする侵害が実際あったからなのです。滝川事件と天皇機関説事件を知らなければなりません。この問題をよく考えるために、国体概念について知る必要があります。佐々木・和辻論争は戦後間もなく時期に、憲法学者の佐々木惣一と哲学者の和辻哲郎の間でなされた論争です。日本国憲法制定に伴い国体が変革したか否かをめぐる国体論争でした。子安宣邦氏の新しい本『「維新」的近代も幻想』(作品社)の中で分析されていますから、歴史感覚をもってこの問題の全体をとらえることができます。


文があっても文字の媒介がないと意味を形成できない。アルファベット文化圏のなかで日本文学を考えることが段々難しくなってきたのも(漢)字から離れてしまったからではなかったか?だが『日本近代文学の起源』などはニューヨークでなければ文学を思い浮かべるのが難しいと思うのだけれど、あれはなに?


終戦記念日」は「敗戦記念日」だが、正しく「敗戦記念日」と言っても、もし日中戦争を思いうかべなければ意味がない。米国との戦争よりも中国との戦争を反省すべきなのに、反対になっている。わたしは竹内好は言うことが正しいとおもう。反省すべき中国との戦争を反省せず、それほど反省しなくてもいい米国との戦争を反省しているのは意味がないのではないか


戦争責任を果たしていないという認識は、少し大袈裟かもしれませんが、自分自身に対する抗議もあります。大正と明治について書こうと思えば書けます(多分)。江戸を書くことは、「前近代」とレッテル貼りされていますし、また対抗的な「江戸万歳!」も邪魔で、大変なんですが、不可能ではありません。しかし昭和を書くことは、日中戦争を書くことですから、そこで戦後民主主義育ちのわたしは罪悪感を感じてしまって非常に難しく感じるのです。認識を形成しないこと、これが自身にたいする抗議です。昭和は中国をどう語っていたかを書くことは大切で、そこから日中戦争の原因と解決を考えることは意味があると思っています。こういう認識の問題に取り組むことがなければ、偉そうなことを言いますが、本当の意味で(中国に対する)戦争責任をとることができないのではないかとおもうのです。わたしは思考が不足していて、読まれる価値があるか分からないですが、来年はすこしでもこれについて書きたいとおもっています


内心の自由」が問題となっているのに「風が強かった」「雨が降った」。「学問の自由」が問われているのに「見送り」。これじゃ、抗議する側の解釈改憲みたいじゃないの?


「学問の自由」も「内心の自由」もそれ自身を超えるものを要請している。われわれはNo!と言う。再び統合される内部化の不可能性をたたく。憲法はこの国を正しく分裂させてくれる


専門知の細分化によって「学者」は研究者となった。ポストモダンの時代に普遍的メタ言語をもっている「学者」はまだいるが絶滅の危機。学問の自由より生存権を主張する時ではないか


時代を読むというのなら、21世紀を読むことでしょう。それなのに18世紀を読んでいるとしたら、21世紀を18世紀として語ることの無理をおもいます。18世紀の近代は政教分離言論の自由は一体です。一体であることによって平等を実現すると考えられています。しかし現代は戦争している相手国、あるいは戦争状態の相手国の宗教文化を嘲弄的に批判することほど危険なことは無いのです。他国の宗教文化を嘲弄的に批判することは、自国が他国を差別するナショナリズムを呼びかけるだけです。フランス革命の時代ではナショナリズムである言論の自由も平等をもたらすことがありましたが、自己にあって相違があることをみとめない現代のナショナリズムは何の平等も実現しません。


天照大御神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説ね。神は隠れている所に神々は集まった。隠れているものは明白にそこにある。裏側に、起源となる別のものがあるわけではない


「あなたはロンドンではフランス語の文を書いてばかりいたし、東京に来たら12世紀の漢文を書いているようだけど、辻褄があうの?」と言われちまったぜ...


死神は連れていくトランプが「君の正体を当ててみようか」とお喋りをやめないのに苛立つ。その隙を狙って死神の背後を撃つボリス。死神の怒りが爆発した


サッチャー国葬のときは群衆の中の不審者を噛み殺す警察犬が数十匹待機していた。中曽根の国葬は街頭に群衆はいなかったが、自民党の犬たちが見守っていた


そもそも憲法をまもるつもりがなくて解釈改憲をやる政府が、政府解釈をまもるはずもないでしょうとおもいました。やはり民主主義に乗りつつ自由主義をまもる方向が大事ではないでしょうか。賛成します。その自由主義は、イデオロギーや「なんとか」イズムとからすれば間違っいても、自由に喋らせてくれと要求する声だとおもっています。こんなあたまのいい人は難しい問題を避けてしまうのですが、他国の民主主義を批判するためにはその前提として自国の民主主義を批判しなければいけません。そうしないと伝わらないからです。たとえば日本は他国と一緒に香港の民主主義に対する弾圧を非難をしないのですが、いつまでも日本は自分の民主主義を自己批判しなくてもいいのです。近隣の他国と一緒に民主主義を考える言論を拒む、<一国民主主義>、これが問題ではないでしょうか


普遍的メタ言語を再構成する為には悲観的かつ楽観的でありたい


ベルグソン、形而上詩の夢。生命はイメージを見る眼を持つ目的で人間に成る。時空構造かエネルギーか、情報か物質かが無分節な世界を考える。イメージが消滅したら生物へ帰るー本質無き分節化へ


キリストとソクラテス仏陀孔子を語るほどの<高さ>とヨーロッパ周辺から見渡す<広さ>をもっているのに、明治天皇を崇敬するとは、かくも昭和的なものとは人間なのだろうか


明治というのは対抗西欧の<高さ>と<広さ>がある。大正というのは卑小で等身大の<低さ>と<狭さ>である。昭和とは明治と大正を統合した時代とみることができるのかもしれないが、明治における王政復古の帰結として天皇に権力を集中させたまま、中国大陸で自分達が一体何をしているのか全くわからなくなった時代と言わざるを得ない。


明らかに反権力であるが、話を聞いていると権威主義だったことがわかるそんなひとに出会うと、このひとはずっと自分を誤解してきたし死ぬ迄自分を誤解し続けるかもしれないと思う


グローバル的東京中心主義の解体をいう多元主義少数民族の教育を奪うファショ的主張とが両立しているのは、明治の維新の復古的言説が王政復古に絡み取られた歴史の反復的痕跡?


言語ゲームについての探求を通じて、遂行性とは別の種類の正当化の展望を描いたのが、ウィットゲンシュタインの力であった。それこそポストモダンの世界にとって重要なことなのである。失われた物語に対するノスタルジーそのものが、もはや多くの人々にとっては失われたものになっている。それは彼らが野蛮へと回帰したということではない。彼らがそうならないのは、正当化は彼らの言語実践そしてコミュニケーションの相互作用以外のどこか別の場処からやってくるのではない、ということを知っているからである。全く別の信念を前にして、「髭のなかで微笑む」科学が、彼らに、現実主義の厳しいと節制を教えたのである」

ーリオタール『ポスト・モダンの条件』ー知・社会・言語ゲーム(1979) 第十章脱正当化 小林康夫


普遍的メタ言語を失った言語ゲーム的なポスト・モダンの1970年代も、朱子学の教化を解体して卑近な言語を見いだす伊藤仁斎の17世紀も、脱正当化の後の正当化の復活はなかった


荻生徂徠は、伊藤仁斎における脱正当化の後の正当化の復活だったのか、単純な復活ではなくて、政治的な祭祀論の思想の対象が中国から人類になった。後期水戸学の政治神学の入り口?


思想の二本柱は論理と解釈である。論理でも解釈でもないのが制作である。命名は制作。近代国家の制作は天下概念を自らのうちに包摂することによって儒家の論理と解釈を消滅させた


真夜中浴室の小さな窓から中に入ってこようとした野良猫を押し戻しても鳴かない。昔何十年前のシドニー時代にオフィーリアに外ネコされたチコという名の仲良しの猫が逢いにきたの?


アイルランドに初めてアメラグが来たときのこと、ダブリンの人に試合の会場への道をきくと「あの道を曲がって真っ直ぐ群衆にしたがえ」という。群衆は、ひとが七人、犬が二匹だった


完璧な正方形と呼びうるのはモンドリアンの正方形だ。一つの先端で動揺し、みずからの閉鎖性を開き、二辺を巻き込んで斜線を産み出す正方形。[中p303] D=G


科学の言語である数学・数式は、人文科学の文にその背後に書いたひとの政治がみえてしまう厄介さはないのでしょうね。人文科学は書く側も読む側も互いに自らを隠している


撮影地に立つと、露出とかフレームもどんな意味もなくなって自失茫然となる。ジョン・ウェイン映画がアイルランドの風景を作ったようには。ウィットゲンシュタインをとらえた廃墟


教条主義的な知識人は帝国主義=議会制民主主義という公式を疑わない。これは柄谷がアジア知識人に『資本論』の読み方を教える解釈に反映されていると思われる。しかし社会主義が高度な互酬Xとして復活する「一体多元」の帝国はアジアにとって不可避の共通の場所であるが、そこに、それを実現する国家に複数政党は要らないと現在マルクスは言うのかね?やはり国家においても「一体多元」が要請されるのでは?三権分立や野党の存在とか。そうでなければ、宗教の自由と近隣諸国との外交が成り立つ不可避の共通の場所を制作できないとわたしは考えている


子安宣邦氏の講義「中国の「新天下主義」について−許紀霖『普遍的価値を求める』を読む」。現代中国を再構成する溝口と柄谷の言説、恐るべし。Inventing China だ


日本史は古代がない。それは中国文明なのだ。言語支配国の漢字の受容から1500年かかって他言語を自分たちのものにしたマイナー言語が現在、帝国中国を発明しようとしている


言語支配者による朱子学を通じた自己発明、マイナー言語の文の古学を通じた朱子学批判、これらは漢字文化圏の事件だった。近代の端においてマイナー言語は現代中国を発明できるか?


17世紀からのヨーロッパ思想史は知の考古学から読み解くと自己(岬)にあっての差異しかない。そこはエクリチュールの中心なき共通の場所として開かれていることが要請される


17世紀からのヨーロッパ思想史は知の考古学から読み解くと自己(岬)にあっての差異しかない。そこはエクリチュールの中心なき共通の場所として開かれていることが要請される


学問の自由の弾圧が戦争への道を開いたという話ね、黒澤明監督『わが青春に悔なし』(1946年)をみたらいいが、結局原節子の圧倒的存在感しか記憶に残らないのである



「ヨーロッパ帰り」というが「アイルランド帰り」とは言われない。アイルランド英語で大丈夫かと言われてしまう。小国を見下す「中華意識」は野蛮な東夷の国が発明したのではないか


オペラはルネッサンスではなくバロックの時代に現れたのはなぜか?白豪主義をやめた時代にシドニー・オペラハウスが完成したのはどうしてか?ヴェラスケスは画面の右端にギリギリ見える窓(外部)から差し込む光を以って描いた共通の場所はどこか?光を先験性の領域に行き過ぎないようにしていた闇は一体いつ現れたのか。明白に隠されている画面が目の前にあるのはなぜなのだろうか?


江戸バロックの立場ですが、八十年代にあった「江戸万歳!」ではありません。江戸時代は天皇・貴族・寺社に独占されていた学問が彼らを嫌う武士によって町人と農民に解放されます。江戸時代こそアジアの知識革命であり、日本のルネッサンスです。議論は活発にありましたが、武士政権を批判することは大変危険でした。平等の思想(特にそれを実現する方法)を語る政治学はできなかったので、代わりに道徳学で色々論じたのです。現代はイデオロギーばかりで議論がありません。政治的自由は前近代も江戸時代よりもあるとおもっていますが、現在はどうでしょう。政治的自由の要である権力分立は事実上崩壊したでしょう?江戸ルネッサンスを成熟させるべきだったのですが、西欧列強のアジア進出という国際環境のなかで、かなり強引に、下級武士によって近代国家(明治国家)を作ったのですね。これはかなり講座波の見方ですね。

天皇の象徴性を過剰に超える統合性をわれわれは問題にしていますから、宮沢の8月革命説に言及なさっているのは大変いいとおもいます。大正の吉野作造なんかは変なんですが、天皇主権のまま民主主義が成り立つとおもっていたのですね(「民本主義」)。天皇の権力を見逃してしまうのですが、国体論イデオロギーに弾圧されてしまいますが、昭和の天皇機関説が何とか考えます。明らかに宮沢は天皇機関説を継承しています。宮沢が危惧していたのは、天皇の象徴的行為という戦前の言説である「大御心」(祭祀行為)を再び認めると国民主権の構造があやうくなるということです。日本において民主主義が成り立つのは象徴天皇制の成熟(国家祭祀ー祀る国家は闘う国家であるーを禁止すること)にかかっている、これがわれわれの見方です。


憲法と国家を愛国心から亡命させること、憲法と国家のあり方を語ること。対立している、憲法愛国心を見出すものと愛国心憲法を見いだすものとが互いに補い合っているようでは


Weimarer Verfassung ヴァイマル憲法


Das Deutsche Volk einig in seinen Stämmen und von dem Willen beseelt, sein Reich in Freiheit und Gerechtigkeit zu erneuen und zu festigen, dem inneren und dem äußeren Frieden zu dienen und den gesellschaftlichen Fortschritt zu fördern, hat sich diese Verfassung gegeben.


(Wiki 訳)ドイツ民族は、その諸部族の一致のもとに、かつ、国家を自由と正義とにおいて新しくかつ確固たるものにし、国内国外の平和に奉仕し、そして社会の進歩を促進せんとする意思に心満たされて,この憲法を自らに与えた。


ein menschenwürdiges Dasein


人間に値する生存


文化の日」の裏側には明治天皇の誕生日?


全体主義という4文字で何でもかんでも説明したつもりになってはいけない。デモクラシーが進んでいた国と遅れた国とのズレからできるだけ説明する試みは一定の意義がある。フランス革命から150年を要した民主主義をドイツは第一大戦後ワイマール憲法で僅か15年という短い期間にやったことがナチスの極端な反動を招いたとみる分析がある。これは遅れの問題である。言説の非常に圧縮されたなかでは自由が反民主主義といわれ、反対に反民主主義が自由だと考えられてしまう。民主化アジアにおける20年、10年という期間においては尚更であるとおもわれる。実際に、日本知識人の影響のもとで、帝国が民主であると考えられあるいはポストモダンの未来と考えられている有り様ではないか。何となく日本は明治維新から150年を経ているが、だから何だろうか?日本帝国主義が完成して満州事変へ行く準備をする大正時代の統制をデモクラシーとたたえている。いやいや、大正は戦争に邪魔された。戦後は本物の民主主義はワイマール憲法から影響を受けたとするわれわれからだとする話が勝手に出来上がってしまった。それなのに事実上社会民主主義の要である社会党が消滅したのは先進国のなかでこの国だけだ。アメリカとだけ戦争したらつもりになっていて、アジア・中国にたいして戦争責任をとってはいないと言わざるを得ないこの国では歴史修正主義の問題もナチスを裁いたヨーロッパと比べて比較できないほど深刻である。ヨーロッパの言論では転向しただけの知識人が問題とされることはなく、実際に戦争協力した知識人が問題とされるのにたいして、日本は転向しただけの知識人の罪が問題とされる。結局戦前を理解する意味の幅が非常に狭いので、思想史も、言論において戦略的に展開した言説も読むことができず、歴史修正主義者を有利にしているようにみえる。市民はこの歴史修正主義を批判できる思想史の視野(150年)をしっかりもたなければ、おそらく明治末から大正初めに成立したとおもわれる「国に逆らったら怖いぞ」の恐怖は市民にいつまで続いていくかもしれないし、この国は(ヨーロッパ諸国と違って)市民の自発的取り組みに協力することがないとおもわれる。もちろんこれは私自身の問題である


私からわざわざ彼らの方へ行かなくても、暗闇にいる人々が私の鍵がかかった部屋にやってくるだろう

私は心に鍵をかけたのに仮面が邪魔する

絵画そのものが仮面

自然ー内ー存在

部屋に全体性を表象する自然が存在しない

ギリギリ見える窓からはいる光で照らされた

この私とむこうの身体との間の距離があるだけだ



(本居宣長が「天」を「あめ」と読ませてそれがなんの意かわからないと注釈しだが、このやり方は<なかで>を不可能にした。子安氏の指摘によると、漢字を意味なき記号としてしまえば思考の崩壊が起きるだろう、つまりファシズム的である。日本人が宣長を好きな理由がここにある。他者との間に、独立した彼方と独立した此方という境界線をひいてしまう。)


言説<アイルランド>を語ることはやめた。ヨーロッパの周辺から語るとは何だったのか?共同体がグローバリズムの外部から侵入されたように、境界を身体の損傷として表象する。また私は語っている


西欧中心主義の知と対抗西欧の知(廣松、柄谷)、この西欧知を批判的に相対化する為のヨーロッパ周辺からの視点も、音声中心主義が語り始めると、王政復古の視点に依拠してしまうのか。外国語を読む力はそれほど衰えるものでもないのに


日本ナショナリズム批判の視点なきポストモダンの思想は空虚であり、ポストモダンの思想なき日本ナショナリズム批判は盲目である。しかし現実はそれほど相補的になっていないらしい


ツイッターは対抗言説のメディア。呟きでも、読んでくれる他者を迎えるために書いてきた。ところがここからファッショ的な音声中心主義に成ったのが他者を歓迎しないトランプの声


高校時代の友人のお父さんは航空会社のパイロットだったが、戦前は新しく開発される飛行機を試す優秀なパイロットだった。2000人の教え子達全員が特攻で死んだ事実を聞いた。教官の彼ひとりが生き残ったという。これはずっとどう考えていいのかわからないでいると言っていた。その体験談をわたしなりに理解しようと思うが戦争体験のないのでやはりわからない。しかしわからないからわからないと言ってわたし自身済まされる問題ではない。吉田松陰の「誠」の言説、この一字は日本人の心の中から洗脳してしまったということなんだろうか、伊藤仁斎の「誠」の他者との関係から考えた思想は全く生かされていないこと、と、常にここから考えるようにしている。思想史のアマチュアなので理解できていない難しいことがあるが、語り伝えられる経験をもとに理解できる思想の問題として、何とかわたしと同じように戦争体験のない若い人達に伝えていくしかないとおもうようになってきた



推敲中


『仁斎論語塾』の二次会のときだったのだけれど、最近「思想史研究会」講座から参加してきた仲間と喋っていると、「注釈」についてのイメージが彼と違うことに気がついた。その人がもっている「注釈」は語の説明なんだね。点と点との翻訳的対応をおもいえがいているように感じた。しかし私の考える「注釈」はむしろ線と空間との関係である。思想は自らをあらわすためには言語を要する。命題が言語となっていく時代がある(フーコはこれを「古典主義時代」という。はじめて言説が命題のかたちで言明されるようになった。) 命題とは、自らをも分析する、分析の順序をもっているという線的構成である。それに対して思想というのは平面なんだね。われわれは空間を考えるときは絵をみるときのように同時的に全体をみる。そうだと考えると、問題は、線はいかなる権利にもとづいて、平面をあらわすことができるかということ。言語は分析の順序をもってみていくかぎり、空間を同時的にとらえることができない。線は不可能性をいかに解決するのかである。おそらく解決できないだろう。そこで注釈の出番ということになる。空間の普遍的なものは存在しているのではなくて線において要請されているのである。「注釈」はこのことを書くのである。それは「注釈」を超えた思想かもしれない。語というよりは、言説への従属を拒む<言葉>なのだ。そうして『童子問』の仁斎は、中国における言語支配者の垂直的に遠く高くある普遍主義に対して、水平的に自分のまわりにある卑近なものにこそ普遍主義があると考えたとき、<言葉>から「理念性」を発見したのである。17世紀のその「理念性」は垂直と水平から成る思考の斜線であったとわたしは理解している。‬


フロイトは自らをミケランジェロの普遍的なダビテ像に投射したり、ユダヤ人起源を考える『モーゼと一神教』を書いた。サイードフロイトのコスモスポリタニズムが政治的だとみる


コスモポリタニズムーアジアに表象される<一体多元>の言説ーは成り立つのは、それを実現する国家における<一体多元>によってである。<一体多元>なき国家は民主なき帝国


ポストモダン思想は世界は原因しかないと語る。ゴダール映画に顕著であるが、論理的に先行するものは何かと構成していく思考-イメージにおいては、運動-イメージは重要ではない。

映画は何かについての表象である。映画は消滅したが、敢えて映画を表象してみると、つまり表象を表象してみると、表象の表象に先行するものといったら、言語的存在の人間が自らの意味を問うことぐらいしかないのである。


どちらが先で、どちらが後なのか?

どちらが原因で、どちらが結果なのか?

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「一体多元」であるとは、無限遠点によって自己にあっての差異であることが要請される。絶対無限=天=絶対的平等性においてでなければ、どうして<一体多元>が成り立つというのか

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思想史は原因と結果の実証的認識に根づく。しかし例えば『朱子語類』が原因で『童子問』が結果なのか?解体=思想史は外へ出ていく同時性をみる(17世紀の世界は原因しかない)

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人類史的に言って、原初の線は抽象的である。その後文字が抽象的になり絵は具象的になっていく。文明において文が成立する。抽象の線は帝国の解体によって芸術集団へ行く。<党-国家>の意味のままでは脱帝国の後に抽象の線は無くて帝国しか復活しない。ポストモダン思想における抽象の線は反-<党-国家>なのである。


トランプと小さなトランプ達に顕著な乏しい語彙と繰り返し。音声中心主義にファッショ的言説が極まる。書記言語が「書くがだれが読むだろうか」と他者を待つ。声は「文字は必要がない。あなた=わたしはわたしの声を直に聞けば伝わる」と自らに言うとき、神ロゴスから言語の媒介を必要とする他者の到来を排する


トランプは核ボタンを押す不合理なことはしないビジネス的合理主義が彼にあると言われた。結局それ以上でもそれ以下でもなかった。合理的に、親から離した移民の子を檻にいれた!


視差とは、見る場所の違いによる、天体などの見える方向の違い。徳川日本の『江戸思想史講義』と明・清の『江戸思想史講義第二』の差異から、伊藤仁斎の見える場所の違いを考えよう


『江戸思想史講義』の徳川日本の場所からみると、他者(天を仰ぎ見る孔子)を解釈する伊藤仁斎がみえる。『朱子語類』(宋代)からアプローチする『江戸思想史講義第二』の明・清の場所からは、体系化に取り組む伊藤仁斎は論理的にみえる(体系化の無理ー>性理学を棄ててしまうー>道の言説へ)




「おそらくいつかドゥルーズガタリの歴史哲学的問題提起を受けて、オリエントから別のプラトーが提案されることだろう」


儒学国学の側にも脱構築がある江戸思想史に差異しかない。不可避の他者で成り立つ漢字文化が重なるそこは、方法としてのアジア、共通の場所として開かれていることが要請される


斎藤茂吉『万葉秀歌』(昭和十三年発行)は、「国民の心に刷り込まれた万葉の秀歌」(『江戸思想講義』子安宣邦氏)である。「口を漏るるは、国民の自然の声」であるという言説的評釈によって透明化される「古代日本語の優秀さ」を語る『万葉秀歌』は、古代先帝のもちえた荘厳雄大な気風に言及して「大御心」を指示していたのである。


和歌革新の言説は万葉再評価とともにある。「茂吉らが万葉の古歌を語る言葉は、同時に彼らの歌の理想を語る言葉である」(『江戸思想講義』子安氏)。言説とは何か?「革新」を語る言説は訓古注釈の言説を超える。「誠」の一字は万葉の本領であるという。「写生」「自己の真実」「自然への観入」を言うこの近代主義の言説は近世の国学者において言われていたものである。「万葉古歌の再評価とともに和歌の革新が唱えられるこのアララギ派の言説は、まぎれもなく近世の国学者真淵の万葉主義的言説の近代日本における再生であった」(子安氏)



「始め」が語られるのは常に「終わり」からである。「学び」の始めにおいてもそうである。「あがたいのうしの御さとし言」は、「師真淵の教えを語りながら、宣長のその言葉は真淵の万葉主義としてあるような万葉の学びを実は脱構築してしまっているのではないか」(『江戸思想史講義』子安宣邦氏)宣長は、真淵の万葉主義として確立した物の見方のなかでそれとは別の見方をつくる。真淵の「漢心」を廃して「古言」の正しい理解によって「古意」を明らめるという方法は、宣長においては『古事記』注釈のための方法的前提としての作業となっている。


真淵は「古言」を学ぶ為に『万葉集』を読んだことと宣長が『古事記』を読む為に「古言」を学んだことは、旅する為に本をもっていくのと本を読む為に旅するのが違うように違うのかな


儒学の側も国学の側にも脱構築がある。「古言」「古意」にアプローチする為に「漢心」を排するのは手段から、排するのが前提になるのは差異化なのに、近代は実体化に絡みとられる