MEMO 思想史

1、西洋古典叢書official pageの京都の知と繋がるFacebookのおかげで注釈を読みながら何とか数行を読んだだけだが、新宿の本屋で買ってしまった。思い返すと、ヨーロッパはヨーロッパであるためには、自らを神話的なものとリアルなものを以って語ることが大切である、と、ヨーロッパの彼らからよくこの話をきいた。正直彼らの真意を理解できているとはいえない。よく知らないが、おなじ感じで、日本文化を支えるものとしてある『古事記』を読めばいいということになっているみたいだ。これは何だろうか?仮にそうだとしても、沖縄問題を考えるときに『古事記』が読まれるのかがわかならないのである。現代の問題を考えるために、言語支配者の圧倒的優位のもとで言語マイノリティであった原初的古代を読んだりするのは、日本知識人が日本知識人であるためにやっていることなのではないか。『古事記』から考えると、「沖縄を日本に返せ」という発想しかなくなるようにおもう。

「我は『古事記』を読む、ゆえに、我は母国語•日本語とともに<一国>民主主義の日本人として存在する」。しかし『古事記』は訓(よ)めないことを考えると、これはなにか根源的錯誤があると思えて仕方ない。復古主義の近代が思考を規定しているのは明らかだが、21世紀は復古主義のなかでそれとは別の考え方ができないのだろうかとおもう。「日本人は皇室と日本語」などといつまで言っているのだろうか?


2、1980年代の「江戸万歳」は終わりました。これから、江戸をどう語ろうとするのでしょうか?


津田左右吉は、『日本の皇室』のなかで、多分象徴天皇制を評価したうえで、江戸時代(近世)に政教分離が成り立っていたとみています。本当にそうならば、戦後(現代)は近世が支えているというかんじです。明治(近代)は、うまく天皇を東京に連れてきて、明治維新を王政復古にしていくのですが、ほんとうにそれでうまくいったかどうか、これは現在のわたしの関心です。武家政権の批判とされる言説は危険だったので、ヨーロッパのような政治思想は無かったのですが、あえていいますと、江戸時代は西洋列強の時代の鎖国をふくめて、「完璧」だと考えてみようと思っています。鎖国を言うならば、鎖国が無いと思われている現在、東京五輪ファーストで海外留学生を受けいれないやり方こそが鎖国そのものではないでしょうか。江戸時代に許されない差別はありました。しかしその規模は帝国主義の明治が作っていく差別の比ではありません。しかしこういう文章を書くことができるのは明治(近代)のおかげと言わざるを得ません。ちなみに、中国は「近世」「近代」「現代」を、「現代」というのですね。近代批判を現代批判と表記しています。これに関しては、やはり「近世」と「近代」と「現代」を分節化してほうがいいのではないかと思っています。そうすることで、色々多様なものがみえてくるからです。明治10年代は、言論を自由に展開できた、面白い思想家がいますー岡倉天心清沢満之、「人民people 」の思想をもつヘーゲル左派みたいな福沢諭吉も。「近世」と「近代」のあいだというか、この間こそは「現代」を支えるものとおもいます。「現代」を支えるものは、現代そのものに属するものではなく、また「近世」あるいは「近代」に属するものでもありません。「現代」と呼ばれるものは、「近世」あるいは「近代」と呼ばれるものと差異的に関わるだけです。Wx別の見方「江戸」+ Xx別の見方「明治」+ Yx別の見方「昭和以降」、という感じで。「近世」「近代」「現代」は直線上にある、点、点、点ではなくて、フラクタル的に概念を展開するものだとおもうのですね。全体(「近世」「近代」「現代」)が部分に宿るのです。その部分は、江戸時代の「近世」、明治時代の「近代」、あるいは1970年以降の「現代」です。


3、9/11はなにを意味していたのか?思想は9/11をどのように理解するのか。ポストモダン的に言えば、9•11は存在しなかったとあえて言わなければいけない。9•11をどうみるかの見方しか存在しないのだ。そうするとどんなことが言えるか?十分に考える力もないが、ヨーロッパにいた時代を思いだしながらここでかんがえてみようと思う。ロンドン同時爆破事件(2005年7月7日) を報じてきたBBCは報道の真実性•中立性を保つために政府が頻繁につかう「テロ」という言葉を控えると発表したときのことを覚えている。厄介なのは、当時ロンドンのようなマルチカルチュアリズムは平和の時代は最大の恩恵を受けるが、戦争のときは最大の損失を被る。ロンドンにいたわたしの観察では、ブレア政権はわれわれ自身と彼らとの分割を強調しはじめた。言語はどんどん透明になっていく。そうして国家とテロを理性と狂気の関係に置き換えて問題を理解しようとしていた。しかしやはりこれはやり過ぎである。冷静に考えると、そもそも国家はそれほど理性なのか?テロは国家にたいするテロしかないのか?国家テロというものは無いのか?またテロは狂気と等しいとされているがほんとうにそうなのか?しかし狂気とはなにか?多元主義の言説が、「われわれ自身」をめぐる二項対立の対抗言論ー理性は西欧であり、狂気は非西欧であるというようなーに収縮していってしまうそこで起きてくる問題は、純粋な理性(西欧)が純粋な狂気(非西欧)の隅々まで説明し尽くすようなラディカルな近代である。(われわれ自身というのは、自己自身のほかになにも指示しない言葉である。純粋な理性は、自分自身への関係しかない点において、純粋な狂気とおなじである。差異が無い透明な言語化の果てに、純粋な理性ははじめから純粋な狂気ではないだろうか)


4、ヨーロッパは民主主義を成立させるのに500年を要しました。日本は近代化のスタートがはやくて150年の歴史があるので、今日における言論の自由なき民主主義の問題を何とか理解できます。中国の歴史に自由な議論が二度だけありましたー諸子百家春秋時代辛亥革命の数年間です。中国の民主化は、30年前にはじまったばかりです。このように極端に短い凝縮した期間のなかで、民主主義を全体主義だと言ったり、反対に、全体主義を民主主義だと言ったりするような根源的錯認が起きるのではないでしょうか。(ドイツも、フランス革命の150年間を、10年間に凝縮させた結果、ワイマール体制のなかから、あり得ないナチスが出てきます)。毛沢東?それは民主主義にとって最悪の固有名です。抗日のゲリラ戦の軍人としては活躍しましたが、独立後に起きた彼を神格化した文革ファシズムは2000万人を殺したアジアの災害と言わざるを得ません。資本主義を推進して格差を作り出しているのはだれであるかわかっていないのは、資本主義と格差を正すために自分達の存在理由があると宣伝している中国共産党です。アジアでは開発と戦争と同化主義はどんどんすすみますが、政治的な言論の自由はまったくすすみません。中国のせいです。中国はソビエトと異なる「独自の社会主義」だからでしょうか?しかし民主主義の感覚は何処にも存在します。8000万人の党員がいる中国共産党の一党支配のほうがより民主主義だったと発見させてくれたのは、10万人だけに支えられている独裁者習近平のおかげです。文革ファシズムの研究と天皇ファシズムの研究は十分とは言えません。これからの課題ですね。中国に民主化を求めるためには、先ず日本がもっと民主化する必要があります。


毛沢東フィーバーは、今年7月1日に創立100年を祝った中国共産党が直面する矛盾した現実をあらわにしている。国家主席習近平のもとで、党は中国人の生活のほぼすべての側面における中心になった。中国が成し遂げた経済発展を党の功績だと主張し、中国人民に対して党に感謝するよう求めている。」


5、歴史を書くこと


1、古学は江戸幕府が公の学問とした朱子学を解体した。17世紀の古学における豊かな注釈を利用して、12世紀の朱子がいかに紀元前5世紀の『論語』を読んだかを考えることができるか。


2、17世紀の古学における注釈を利用して12世紀の朱子が紀元前5世紀の『論語』を読んだかを考えるときは、『朱子語類』の裏側にヘーゲルがあるような…初めから19世紀が見ている。


3、国学における古学は、文献学に、人を人が存在しない原初的なものに結びつける。思想的には中国文明からの自立を論じた。近代国家日本は国学の側の古学からしか誕生しない。


4、20世紀は現代中国語と宋代の口語文の知識を以って12世紀を読むときは、絶望的に、20世紀のために読む。20世紀は独自のものを永久革命的に作り出さなければ化石となってしまう


7、前と後の思想


明治なんかに精神史があるのか?いや、明治の前の時代の反時代的な権利を観る思想史は思想史に宿る精神史が何とかみえるかもしれない。この意味で、江戸思想史なくして明治に精神史がない。戦後日本は思想がなかった。否、竹内好がいた。彼は恰も権利性をもって破綻した前の時代の思想からものを言った。近代の超克論の再構成である。ちなみにゴダールの映画史は精神史だったので、彼の映画史は過去から精神(Geist)としての呟く映画たちを呼びだした。しかし竹内は文革のとき沈黙した。彼の後に思想がない。その結果、平成に思想史も精神史もない。このままだと令和に思想も思想史も、精神史もないだろう。しかし中国が関心をもっているような学者の議論はある。その議論は竹内好から来るものである。思想と精神がなくとも、学問は存在している。文化•芸術と思想と学はそれほど一体ではなかったということか、ヘーゲルが思弁的に考えたようには。包摂されない道としての学のことは伊藤仁斎が言った。遅れて後から来たような、前の時代の権利として言われたこの‪多元主義の‬ことは現在の思想史に書き記されるべきである。


8、「アルファベット文字は、直接的にはいかなる言語も語らぬがゆえに、すべての文字(エクリチュール)のうちで最も無言である。しかし、声とは無関係でありながらそれは声にいっそう忠実であり、声をよりよく代理(表現)するのである。」(デリダ)


• 思想史の言説空間がとらえるアルファベット文字のあり方のことについてだけれど


• 大いなる他者(=言語支配者としての中国)が消される自立的言語(母国語)の体制は、「漢字借り物」論の固有言語の観念をもっている


・「漢字借り物」論は、固有の日本語を考えているつもりでも実は知らずにアルファベット文字を考えているだけなんじゃないか。そうだとすれば、


• これがほかならない、国家が定位している声の近代(=西欧)である


• 「われわれ自身」とともにある固有言語の観念は今日におけるナショナリズムとともにあるが、これはアルファベット文字の近代が作りだしたものではないか。500年の歴史しかもっていないものなのに、これを無限に遡って起源なき起源に結びつけるのである。


’L'écriture alphabétique est la plus muette qui soit, puisqu'elle ne dit immédiatement aucune language. Maid étrangère à la voix, elle lu est plus fidèle, elle la représente miex.’(Deridda) 「アルファベット文字は、直接的にはいかなる言語も語らぬがゆえに、すべての文字(エクリチュール)のうちで最も無言である。しかし、声とは無関係でありながらそれは声にいっそう忠実であり、声をよりよく代理(表現)するのである。」


9、古事記』を訓(よ)んだ和辻哲郎の「祀る神は祀られる神である」を支えるのは、解釈の成り立ちの構造である。しかし<祀る><祀られる><神>と名づけれた、表象されるものは、洞窟の外部の限界を構成する不可避の出入り口をもっている。訓(よ)むことができない『古事記』を言語の存在として考えることになるのは外部においてである。

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10、The first thing to say about “Kojiki" [The Records of Ancient Matters] is, in an important sense, that it is unreadable. Writing is unable to pass through the Chinese reading of a character ex post facto. Text adresses itself to which constitutes its outer limits.


わたしなんかは朱子学理解度ランキング下から何番目だと思うが、話を聞いていただけども、朱子学を勉強したこの何年間、形而上学的思索がどういうものかすこしはわかってきたか。デカルトというのは、要請される知または実証主義的経験知のしらふに行くのでもなく、形而上学的知の覚醒に行くこともないというんだね、何となくそれはわかる。デリダだから明らかにできた差異というか、これほどわかりにくいこともないし、翻訳で益々わからなくなるが(溜息)、フーコのデカルト論を差異化している、デカルト懐疑主義のラディカルさ、差異こそが、他者の岬を支えているとおもう。

われわれの疎外の原因は何か?これは表象政治論が答えなければいけない。しかし日本の表象文化論の哲学者は哲学の問題としてどう考えるのか言わない。リベラルなことを言うだけである。哲学を信じていないのだろうか?


産業革命があった国は世界の少数派です。世界の多数派は、産業革命が無かった、あっても、20世紀のかなり後半にやっと実現したような国たちなんですね。産業革命と民族資本の形成を不可能にしたのが帝国主義です。さて産業革命とは、物の見方を変えただけで、人間の精神に何か影響を与えたのでしょうか。イギリスのような産業革命が起きなかったけれど、フランスで政治革命が起き、ドイツでは思想革命が起きましたね(おかげで、反時代的に、いま、ここで、人間の精神なんかについて考えています)。進んでいたイギリスは自慢の言論の自由はあるのですが、政治革命と思想革命と結びついていないので、情熱のない言論の自由の様相を呈しています。それでも、ポスト大英帝国のイギリスを支えるのは人権と結びついた国際報道であるとはっきり考えています。アジアのほうを見渡すと、この150年間、産業革命があって、経済と技術、マネーがどんどんすすみますが、人間の精神を支える言論の自由の方向性をもった政治革命が起きてきませんね。どうしてなのでしょうか?政治革命が起きないこのことを考えると、日本の近代は、良い悪いはべつとして、復古主義による近代化しかなかったとおもうのですが、しかしこれからは、“明治に帰れ”とは別のあり方を考える必要があるとおもうのです。何かこの国の衰退を恐れるひとがたちが出てきているようですが、戦争と開発と同化主義はどんどんすすんでいくのに、精神的に価値のあるものを作って行けるのか、むしろこのことをわたしは恐れています


commonwealthとネグりとハートが呼ぶ公共性の意義


2010年十月以来、ネットと社会の相互関係の中に生きている。反原発デモの例の様に、自由の為に連帯の重要な意義をみとめこれを求める民主主義を観察した。又全く逆のこと、即ち、同じ人々が救済を求めんが如く隷属の為にバラバラの分断に向かい石原や橋下の様な政治家に集まる民主主義も観察する。自由の為に連帯を求める愛が、隷属の為にバラバラの分断に向かうこと。この矛盾は、スピノザによれば、行き過ぎた愛の崩壊によって生じてしまう。では、いつ人々は差別主義者の憎しみを棄て、愛のもとに戻ってくるのか?<他者>を拝し動物の如く生存するだけの孤独に耐え切れなくなったときに帰還する。いつ人々は、石原や橋下の様な、<他>との相互関係で豊かになる文化を拝す差別主義者の憎しみ(「痛さ」)を棄て、愛に戻ってくるのか?効率の名のもとにただ動物の如く生存するだけの惨めな孤独に耐え切れなくなったときに公共空間に帰還する。これはウィトゲンシュタインの私的言語批判の新しい解釈を喚起する考え方であり、commonwealthとネグりとハートが呼ぶ公共性の意義をあらわした考え方だ。

最後に、20世紀精神史を総括する上で、commonwealthの考え方は決定的なパラダイムである。

ドレフュス事件からスペイン市民戦争・第二次大戦の大空位時代までは、「西欧の不可能なアイデンティティー」が中心テーマ。

・1970年初頭までは、「ヨーロッパ」(但し19世紀的ヨーロッパ中心主義ではなく、植民地主義を反省した多文化主義アイデンティティーとしての)

・今日まで(2012年)。新植民地主義の復活を背景とした、多国籍企業グローバリズム、ネットと、怒るマルチチュードの時代。20世紀精神は、共通のものを表した概念を表現する。アイデンティティーや同一性の概念ではなく、単独性といった関係性の概念が鍵。例えば、commonwealth

今日、ネグリは、現代における顕著な四つの人間像について語った。即ち「債務を追う人間」「メディアに媒介される人間」「恐怖する人間」「代表される人間」のこだ。それに対して、人間の尊厳の保証にかかわる「コマン」は、媒介なきソーシャルな劇場として、いかに、この四つの人間像とは別のものを呈示できるか。つまり、どんな抵抗する主体性を生産できるか、だ。

マルクスが言う通り、資本は単独では価値を生産できない。資本は、価値を生産するためには、必ず従属した労働を必要とする。ここに、資本が国家を利用して労働の政治活動を妨害したがる理由がある、とネグリは分析した上でこう言う。しかし労働は益々言葉やコミュニケーションに関わる技術と資本に結合していくのは、それが本来的に従属を欲することがないからではないかと。たしかに、エンゲルスに注目したドゥルーズガタリが強調していたのは、あらゆるものをあらゆるものに繫げるの人間労働の抽象的な生産性である(「アンチ・オィデプス」)。現実にこの言葉とコミュニケーションを生産する労働に支払われないのは、ネグリ&ハートが結論したように、市場それ自身の失敗なのである。だからこそ、資本主義を超えなければならないというのだ


明治日本に啓蒙主義が入って来たのは、功利主義といっしょなんですが、あそこの大学はそこにずっといるのです。啓蒙主義を損得の計算だとおもっています。しかしカント的啓蒙主義は人格主義とするのが正統です。議論は人格におけるものだと思いますーだから誰でも議論できるようにお互いにすることが大切。またデモは人格をかけた義憤ですが、同時に自分の力の無さを知る場でもあります。国民主権と言われてあたかも全能だったと自らを考えていた自己に対する抗議があります。どうしたらいいのかをはじめて考える場です。わたしは、デモも必要だし議論も必要だと思います


小学生のときはいじめてくる奴を撃退すると喧嘩両成敗みたいな感じで罰せらますよね。あれは正当防衛だと言いたいとおもいました。

日本人は自分の誤ちを気にしないが、他者の過ちを過大評価する、と、日本左翼は指摘しますね。たしかに、戦前は、攻撃されてもいないのに、攻撃されたと思い込んで、防衛するために相手国を攻撃することがありました。個人について成立する違法性阻却事由としての正当防衛を国家におけるものとして考えることができるか。国家の正当防衛についてはイギリスも思想家が論じているようですが、憲法の絶対平和主義と両立するものでは無いようです。しかしかくも絶対平和主義を導く憲法の言語の論理として文法的ですが、人々が受け入れることができるものなのかとは思います。残念ながら、自衛隊の米軍との共同演習は北朝鮮にたいする、憲法が禁じる「武力よる威嚇」に該当しますが、反対しない野党は自民党の解釈憲法をすでに認めていると言わざるを得ません。問題となってくるのは明時代の海帝国として成立した国家アイデンティティを求める中国の台湾侵略と沖縄(中国からすると、中国の冊封体制に属する、朝貢貿易相手国琉球です)です。慎重に考える必要がありますが、自衛隊を日本の外に出さないことを明確にした上で、台湾との間でアジアにおける安全保障について意見を交換し合うことが必要という意見があります。厳しい現実が目の前にありますが、これは曖昧な「核抑止力」よりも効果があるのではないかと考えます


現在は危機の30年?


「E.H.カーは国際政治における現実主義と理想主義の問題を研究の対象とした。カーはその著書《危機の20年The Twenty Years’ Crisis》(1939)で,戦間期の国際的危機について,ヨーロッパに支配的である自由放任主義による利害調和の考え方が〈ユートピア的立場〉であり,これに対して,ファシズム国家は力ばかりを強調する〈リアリスト的立場〉であって,それぞれが一方に偏しているところに危機が存在していると指摘した。カーは道義が重視されている国際政治において,権力の要素を分析し,国際問題を解決するには,政治秩序の一機能でしかない法は有効性をもたないとし,〈政治的なもの〉による解決を強調した」(コトババンク)


MEMO

 


無政府主義的な態度はギリシアの悲劇家と哲学者によっても表現された。アイスキュロスとソポクレスは、国家によって布かれた規則とオートノミーとの対立を説明するためにアンティゴネーの神話を用いた。ソクラテスアテナイの当局に絶えず疑問を投げかけ、意識の個人的自由の権利を主張した。キュニコス派は、人間が作った法律(ノモス)と関連付けられた権威を退け、自然法則に従って生きようとした。ストア派は、国家の存在を伴わない市民間の非公式で友好的な関係に基づく社会を支持していた Wiki