1 目覚めは死、絶えず夢を発明し続けなければいけない。純粋で無垢、野蛮な子供が、夢を発明する絶対権力と戯れる、それがロシア。レーニンのときは映画を制作したが、現在は戦争を?
2 リアリズム文学が描く中流階級の没落など知ったことではない。神話の神々が大地を闊歩する脱階級的視点へ行くも、その制作主体が貴族知識人であれば、階級的視点の隠蔽が必ずある
3 『古事記』は7世紀後半に書かれた自己の存在を説明した序文がある。本文の書き出しは「天地初発之時」である。もし序文と本文とが一体不可分であると考えるとどういうことが言えるか?『古事記』自身が『古事記』の存在を証明する。もっと後に書かれた可能性もあるが、『古事記』の制作を語った他の文献はないのである。言語の集中が保たれいること、すなわち言語であるわたしは存在しているというその画期的な書き出しの意義が最後まで貫かれているならば、『古事記』の根底にひとつの民族が存在するという主体をめぐる言説(言語の拡散において生じるような)に絡み取られることも無いはずである。
4 フクロウ猫の黙示録
一国社会主義の完成態である帝国ロシアの皇帝は、帝國主義の根底にひとつの民族が存在する(ウクライナ人ロシア人は同じである)と言う。だからそれを戦争と呼ぶことはできない。国連も皇帝プーチンにしたがっているのは偶然ではないだろう。集団虐殺を止めるためには人類が消滅しても原発を攻撃するプーチンは、そのヒューマニズムとともに、スターリンと同じくらい人間的な人間らしい顔をしているからである。驚くべきことに、ロシアのウクライナ侵攻は理由があるとする安倍晋三と、知らないことは黙っていろと動揺する日本の反米だけを言っていればいいとするリベラルはプーチンのおかげで植民地主義の方向をもって互いに和解することになった
集団殺戮をやめさせるヒューマニズムは、原発を攻撃したつぎは、生物化学兵器か..アインシュタインは第四次世界大戦は投石だと言ったが、投げる人間が生き残っているのかしら?
5 ライプニッツの哲学はレンブラントが描いた、言説(学者的議論)というものを表象した絵を見ればわかってくるだろうか。力は差異化である。階段をあげっていくこの形而上学に、宇宙の鏡を包摂するためには「窓」はない。
6 Poussanが描いた絵を見て、デカルトの哲学とは何かを考えることができるか?遠近法は西欧の原罪だと言われるが(ロシア思想?)、シンメトリーと類似性で構成される空間(延長)が観察する者(主観性)に、消失点から自立した明晰な思考を与えるーわれ見る、故にわれ存在する
7 フェルメールの絵を見て、スピノザのすべてがひとつであると語る哲学とは何かを考えることができるか?最高のものを包むものは自身においてそれを超えるものをもっていなければいけない。そうして無限なものは部分において在る。全体は部分の近傍でジョイスの言語のように生成される
8 デカルト、ライプニッツ、スピノザの哲学は、Poussan、レンブラント、フェルメールの絵によって思い浮かべることができyぷ。サルトルの哲学はジャコメッティの彫刻で表される。自身の肖像画で表されるのはヘーゲルだけである。精神というのはこういう顔をしているらしい。
「精神」はSpirit、Geistである。朱子「鬼神論」の精神との対応をみると、陰陽二気論は生死についての自然の語られ方を作った。今度は死が自然に向かって自然の語られ方を作る。精神はこの語られ方に存する。悟性的理性が世界にもたらす矛盾的分裂を解決できるのは精神である。ポストカント的に、物としての理念が精神
10 『言葉と物』の第九章で再びヴェラスケス『侍女達』が分析したフーコは、ニーチェとマラルメの差異を語る。ここからいかにして第十章で「器官なき身体」のアルトーを呼び出すのか?
11 厭世的気分になると、漱石『草枕』の文を思いだす。所詮は明治の国民が読める厭世感だけれど、知的に書いている
12 ラファエロのアテナイの学堂(1509ー1510?) ラファエロは新プラトン主義の世界を表現したルネサンスの巨匠と言われる。学堂はギリシャ十字(縦横が等しい十字)の形の中にあり、キリスト教神学と非=キリスト教のギリシア哲学との調和を意図した。
プラトンが指を天に向けているのに対し、アリストテレスは手のひらで地を示している。これは、プラトンの普遍が天上界にある観念論的なイデア論の哲学に対し、アリストテレスの普遍と特殊が地上にある哲学の現実的なさまを象徴していると考えられる。ソクラテスは両者に背を向けていて、議論の数を数えている?イスラムから大きな影響があったにの関わらずイスラムの学者はイブン=ルシュド(ラテン名アヴェロエス)のひとりだけである。サイードは『オリエンタリズム』の中でこの問題について論じた。
ラファエロ「アテナイの学堂」に描かれているこの気になるひとはディオゲネス。中央の階段付近でだらしなく腰掛けている。ポリスの理念を否定し、貴方は何人なのかと聞かれると「自分はコスモポリーテス(世界市民)だ」と言い、史上初めてコスモポリタニズムという語を作った。
13 「顕現」epiphanyというと、なんだか、本質が現象するというようなマルクス読みのひとがこだわる物の考え方みたいなのだけれど、これはトマスアクナスの思想から来るものであった。ジョイスは近代文学のチャンピオンだから議論が起きるが、『ダブリナーズ』のジョイスは普通の人々の言葉に美の顕現をみていた。普遍言語への探究に対して、普遍的なものは卑近なもの(日常言語)に顕現するのであると。
神学の根本は信仰、哲学の根本は理性。方法論の違いだけであって、信仰も理性も辿る真理はおなじって、そういう顕現って何だろうか?全体としての意味されるものを拒否する現代とは違う
いい加減なことを書くが、朱子学の「這裏」も、トマスアクナスの「顕現」も大体おなじなんだろう。現代は中世のように悟ることが難しくなったからと言って、悟りを否定する必要がなくて、何が先行するのかをゆっくり考えればいいじゃないかとおもう
14 本居宣長は『古事記』の神の意味を明らかにすることは諦めたらしいが、その代わり神の名の正しい読み方に努力した。現代の音声学的アプローチは、神の名に含まれているm(両唇鼻音)、 b(有声両唇閉鎖音)が大事だったと考えているようだ。音声中心主義の近代は遠くへいく。一生懸命日本語の起源を探す。しかしながら神の名は漢字で書かれているので、漢字の表意性(意味作用)をゼロにできない。このことを考えるだけでも、漢字を不可避の他者とする日本語の面白さを知ることができると思う。たとえ漢字の表記で意味されるものがわからなくとも、意味を伝えようとする意思を無視できないんだよな。これが言語に沿って絶えず意味の意味を問う思考の形というか..
15 漢字が与えてくれる意味作用を西欧のアルファベットで考えることができるのだろうか?代わりに、数の意味を考えて、真であるが形式証明できない命題を構築的に思考できるのか
16 プーチンは米国の爆撃のヒューマニズムを差異化しながら、ロシアの語られ方を作る。「レーニンがウクライナを作った」と語る。事後的に、一国社会主義を継承する皇帝の欲望は広がる
17 『日本書記』と『古事記』の違いは歴史と神話。ここにも差異化の運動がある。『古事記』は、『日本書記』における神の語られ方を差異化して、国家を越える宇宙の神から書き始める
18 書くことは並べること。並べることは差異化の運動。宇宙がそれほど根源的であるわけではなかった神話は、先行したリアリズムを差異化するために、曖昧な始まりの観念をやめて、明確な始源的始まりのイメージを事後的に語り始める
19 時間の歴史が存在するという。ホーキングのおかげで、宇宙の始まりは時間をめぐる学者的議論にあるということがわれわれにもわかってきた。マルクス主義の始まり的終わり(革命)の<語られ方>も、近代経済学の終わり的始まり(ネオリベが前提にする収穫逓減の法則と絶えざる開発)に対する対抗であった
20 ウクライナを語るのに台湾の話をしているの?「台湾有事は日本有事」の安倍発言に中国は「内政干渉だ」と言う。安倍と習近平は共謀して自分に都合よく自国の国民に拍手させている
21 「記憶を胸に刻んで」という新聞は、自ら担った安全神話は崩壊して11年経ったということを消そうとしている。政治災害なのに自然災害だったと都合よく置き換えられてしまった
22 もしウクライナがEUに加盟していたら今日とは違った。台湾もEUモデルの東アジア共同体に属すべきだと思うが、最早依拠できるEUのイメージが極右翼によって貶められてしまった
23 系譜学において起こっているのはまさに知の反乱です。それは科学の内容、方法或いは概念に対する反乱というよりは。先ず何よりも、中心化しようとする権力作用、私たちの社会の内部で組織される科学的言説の制度と機能につきものの中心化する権力作用に対する反乱です。-フーコ「防衛講義」-
24 サドは悪徳の<語られ方>を作った。ジュスティーヌの美徳の言語の内部からそれに沿ってジュリエットは悪徳を差異化していくことによって、欲望の成り立ちと共に表象の空間が壊れる
25 有限な人を無限にするのは学であるのに、世界を読み解くのに無限の時間がかかるようではかつて学んものが容赦なく亡くなっている。世界を読み解くためには有限の時間でできるかかそうでないかはチューリング の停止問題を構成するのか?
世界は有限であると判断する者たちは、遠く離れた場所では、回廊や、階段や、六角形などが思いがけず消えている――これは不条理なことだ――と仮定する。
ーボルヘス
有限な人を無限にするのは学であるのに、世界を読み解くのに無限の時間がかかるようではかつて学んだものが容赦なく亡くなっているのも不条理だ。世界を読み解くためには有限の時間でできるかかそうでないのかが問われるが、これを問うとき、人間はパラドックスによって、解決を与えない議論を構成できる。二項対立では人間の思考の創造性を覆い尽くすことができない。
有限な人を無限にするのは学であるのに、世界を読み解くのに無限の時間がかかるようではかつて学んだものが容赦なく亡くなっているのも不条理だ。世界を読み解くためには有限の時間でできるかかそうでないのかが問われるが、これを問うこと自体が有限の時間でできるかかそうでないのかによるのだからうまく機能しない
26 建国神話というのは厄介ですね、一国社会主義の継承である帝国ロシアの皇帝プーチンは、KGBからアマチュア歴史家になってしまったんですね、なるほどわかります。やはり安倍晋三と仲がいいのかもしれません。プーチンは情報戦ではウクライナに負けたと言われます。なるべく早く、難民を出す戦争をやめて欲しいです。わたしは帝国論の視点で観ようとしていますので、世界資本主義の分割である帝国ロシアは、経済力と文化によって、周辺国を支配できますが、ウクライナの例のように周辺国が民主化の方向で自立しようとすると、帝国が軍事力がものをいう帝国主義になっていることを観察しています。そして帝国拡大EUは、ウクライナを周辺国にするだろうと見ています。帝国拡大EUの文化は、そうですね、ケルセンの価値相対主義の西欧議会主義といえるでしょうか。ヨーロッパは、他者の岬であるように、イスラムとの関係を構築できるような新しい普遍を再構成しようとしていますが、極右翼とbrexitによって悪い形にならざるを得ない感じですね。ホメロスに書かれてあるように起源へ向かうヨーロッパの建国神話はファシズムを生み出したものです。経済は、ソビエト崩壊後、アイルランドをモデルとした、東ヨーロッパの再建を行なってきました(ドイツ銀行に支配されてはいるのですけど)。ウクライナはこれを選択したということだと思います。ただ、あまりにも西欧化するち、若者達はみんなアメリカへ行ってしまうでしょう。これは東ヨーロッパが直面している問題です。ウクライナはEUにはいると、ユーロマネーになると、自分の国で雇用政策を展開できないです
27 社会契約説は何が正しくて正しくないかもわからないほどの自然状態だと生命危機のなかで人間はやっていけなくなるので自然権を譲渡して国家を作ったというけれど、今日ウクライナで見ている事態ーロシアは集団殺戮から人々の安全を確保するためにウクライナに国家を作っているーはそれとは別のものだ。国家こそが人間を殺す、何が正しくて正しくないかもわからないほどの自然状態なのである。人々は自らを帝国だと根源的に錯認する国家に抵抗している
28 法は言語で書かれています。法が権力の自己抑制の方向で、自らを根拠づけていくことができるのは、言語の創造性とチョムスキーがいうものによるものです
29 一方では権力の範囲を明示的に定める司法の規則がある。他方ではこの権力が生み出し、この権力が導く真理効果というものがあって、そうして生み出された真理効果が今度は、権力を引き継ぐようになる。つまり「権力⇔司法⇔真理」という構成の三角形があるのです。-フーコ『防衛講義』-
30 マンデラはガンジーを継承した非暴力主義ですが、物凄い武闘派の時代があったんですね、彼の追想文を読んで驚きました。ガンジーは、わたしはよく知りませんですし間違ったことを言うかもしれませんが、彼の対英の非暴力的抗議はその後に必ず起きた激しい民の暴力的抵抗を観察すると、非暴力は暴力を増幅させるような効果をもっていたと観る意見もあるのですよ。わたしは、左翼同士が消滅するほどの殺し合いに絡み取られたことに疑問をもった世代です。結局、スターリニズムは暴力に訴えたから、国家は暴力装置だと言われますけれど、国家を同じ程度に武装化させたのはスターリニズムだとおもっています。これを反省したうえで、わたしは今日主流になっているノンセクトの非暴力の市民運動を支持するものです。言論で覆すことができない絶対真理にたいしてだけは暴力が許されるとおもいます。非暴力主義を支持しますが、しかしいくらなんでもウクライナの人々の現在展開しているような抵抗の形を非難するなんて考えられません
31 英語の授業では先ず英文を読んでから日本語の訳を考えますね。これと同じ順番をもって、古代日本の知識人たちは『論語」を読んだのだろうとおもわれます。『論語』を朝鮮知識人が古代中国語で読んで、それから古代朝鮮語で教えてくれたのです。しかしそうならばその朝鮮語は残っているはずだが、現在どこにもないのはどうしてでしょうか?否、デリダが言うように、痕跡は必ずあるのです。だとしたら、嫌韓の人にはショックかもしれないが、方法論的に考えていくと、古代朝鮮語は古代日本語と「同じ」だから特に書き留める必要がなかったのです。否、言語学は「同じ」はご法度です。古代朝鮮語と古代日本語は同じだという話は日本の朝鮮侵攻を根拠づけました。「似ている」と言わなければいけません。真相は古代日本の奈良は中国と朝鮮の地方みたいな場所だったのでしょう
32津田左右吉は皇国史観を批判した学者でしたが、神様(実在しない天皇)にたいする名誉毀損を理由に逮捕されました。現在も、「天皇は神武天皇のY遺伝子がなくてはならない」などと言っています。神話に書いてあるからと言って、そのとおりのことが実在するわけではありませんが、北一輝が指摘したように、「万世一系」の観念が素面の日本人を狂わせるのです。皇室の神聖は神々の支配権との連続性に存しますが、これを書いたのが『古事記』です。神聖というのは、至高なものではなくて、ただ国家神道的な神々しさだけです
33 顕幽論は神聖性と至高性の対立する観念を語る。光は彼方に見える暗闇から来た神のものであり、また覆い尽くせない暗闇は交換できないものでは無い。知識人は何処から現れるのか
知識人は理念であり光であるが、理念の高慢さをおさえにかかる暗闇ー先祖がつぶやくーが覆い尽くせないところから存在する
34 ダブリンの渋滞している交差点に車掌も客も乗っていないバスが説明もなく在ったりするが、こういう人生では知らないことだけが役に立つので、知つてしまつたことは役にも立たない
35 アムステルダムが好きである。どんなものもはいってくる運河をみると、社会の設計とは信頼の設計であるとおもう。先ずは他を信頼するのだ。移民国家はリベラルの運河化である
36 アムステルダムといえばユダヤ人。オランダ人はユダヤ人に関心が無かったとしか考えられない。家の中を綺麗にしておけ、オランダ人をユダヤ教に改宗させるなぐらいしか言わなかった
37 ユダヤ人陰謀説はこれを軽蔑するしかない。ユダヤ人が分かると世界がわかるとでもおもっているのは勝手だが、ウィットゲンシュタインとフーコを知ると世界がわからなくなる
39 ナチスに支配されたフランスでは誰がユダヤ人の祖先をもつかは分かるという。イギリスはそうではない。ユダヤ人の祖先を研究したひとが調べたら自分がユダヤ人だと発見して驚いた
40 「明白かつ現在の危険」というアメリカの判例で展開したような表現の自由を保障した憲法的リベラルな原則はスピノザにおいて論じられた。それにしても、『エチカ』の哲学的高さを知るものは、学の無い商人出身の彼がどうして『エチカ』を書けたのかを考える。謎である。当時はヘブライ語で聖書を読みたいオランダ知識人が沢山いた。スピノザはヘブライ語をどのくらい知っていたかはわからないが、文献学の知識をもっていたので聖書の解釈を与えることができた。そうして知的サークルに入れたのではないか。聖書は神が単数形で記されたり複数形で記されているのは、論理学では矛盾だが、それはテクストの書いてあるその通りに読むしかない。論理学を通すと神学である。スピノザはそういうことを書いている。こういう話は文献学の宣長と神学の篤胤の差異を考えるときにわたしに役立つ。マルチチュード論はスピノザ『エチカ』を読み解いて、”存在としての共通なもの”の意味を展開しているが、これはわたしは理解できているだろうか?
41 共通なものはこれを空とか無が理念化できないものである。空や無は差異だから。部分と全体(包摂された部分)との間に共通なものはない。しかし言語的存在である人間は共通なものを存在の意味として考えることができる。共通なものは多数の方向性をもつ。部分の傍ら全体が存在するような多元主義
42
Nous entrons dans l'avenir à reculons
『湖に浮かべたボートをこぐように、人は後ろ向きに(過去を向いた姿勢で)未来へ入っていく、目に映るのは過去の風景ばかり、明日の景色は誰も知らない。』
ポール・ヴァレリー45 アイルランドは文学の国だから会計士だった首相も文学の定義を言える。Double Meaninでですと。その純粋なものがparadoxである。バベルの塔の頂点に位置する 46 書くことは並べること。注釈された『古事記』は神を中国思想独自の「神」字で定義するか「カミ」の訓みで定義するかで分裂したが、どちらも漢字を日本人民が依拠できない外部とみる 47 書くことは並べること。神を、中国思想独自の「神」字で解釈し、「カミ」の訓みで解釈することは、同時的なことなのだ。言語の集中が起きる同時性は、主体を表象する内部の秩序を炸裂させる
48 なぜ戦争反対と言えないのでしょうか?展開があまりに早くて、ウクライナが帝国ロシアから自立する民主主義を全体主義(ネオナチ化)と考え、全体主義(ウクライナ人はロシア人であると宣言した戦争犯罪者による市民への無差別攻撃)を民主主義だと考えているからですか?まさか?ウクライナから自由が奪われていることをわかっている多数派も、安倍を内面化していたら、プーチンー安倍が怖いということがあるのかもしれません 49 ロシア国営放送のニュース番組のなかで、「戦争止めて」「嘘をつくな」のボードをもった勇気ある女性は編集部のスタッフで、父親はウクライナ人。NHKはこれをニュースとして流したらしいが、彼ら自身はこれをどう思ったでしょうか。何年か前、アベチャンネルになるな!と抗議した数百名のデモがありました(「NHKをぶっつぶす」のデモとは別です)。マイクをもつひとたちはみんな、NHKに感謝の気持ちを伝えるのですね。特に過去の戦争について真実を教えてくれたと。あまりに感謝するので、これではたたかいにならないと思いました。デモに永田さんがおられましたが、NHKがアベチャンネルになってしまうのは勿体な過ぎると訴えていました。これはほんとうにそのとおりだとおもって聞いていました 50 ローマ帝国、ビザンチン帝国の継承を謳う帝国ロシアだけれど母国語ロシア語によってそれが可能だとは思えないのは、現在の音声化した母国語化した漢字の帝国中国の場合と同じである 51 『古事記』は神々の誕生と泥が固まった国土の出現を記す。FWも横たわる巨人の地理的表象。phoînix公園塔は勃起ペニス、泥炭(peat)の山湖は男神女神が別れる前の陰部
アイルランドは泥んこ大好き。
ジョイスの「自分で決めた亡命」は、「ヨーロッパでレンズ豆のポタージュ」を選んだ。これは
男神女神に別れる前の土地の陰部を表す泥のイメージ?
52
EUはケインズ経済学が教えるように財政政策と金融政策の両方を機能させなければいけないのに、貨幣のコントロールだけだから上手く行かない。雇用に不安をもつネオナチが出てくる53 「ヨーロッパでレンズ豆のポタージュ」は、ヤコブの提案(「このスープとあなたの長子の権利を交換しよう!」)でエサウが失った長子権を、ジョイスはイタリアにおける亡命で獲ることができない市民権と解した。前衛芸術家の政治的亡命ではなくて、むしろ普通の人々の仕事を求めて国を出る亡命を考えている。サイードの議論を喚起する
あいつは
アイルランドのけちな割れ豆を我慢するよりヨーロッパでレンズ豆のポタージュをこねまわしている方がまだしもだと言って女と逃げ出し、父息子となった。(宮田恭子訳、2004
集英社)
He even ran away with hunself and became a farsoonerite, saying he would far sooner muddle through the hash of lentils in Europe than meddle with Ireland’s split little pea.
ーJames
Joyce, Finnegans Wake
54
世界資本主義を推進しているプーチンは、世界資本主義を推進している中国共産党が天安門広場前で民主化を求める抗議者の劉暁波を米国ネオリベと非難したように、民主化を望むウクライナを非難している。劉暁波をネオリベと決めつけた日本左翼は今日、相変わらず反米か反米でないかで分類する構造主義的見方にとらわれていて、ウクライナをアメリカ側におけるものとして「どっちもどっちだ」と位置づけているのではないかとおもう。ウクライナを知らなければ黙っていようと言っていつようでは、結果的には、安倍晋三のロシアのウクライナ侵攻を擁護する見方とおなじではないか。世界資本主義の分割である帝国アメリカだけでなく、それと帝国中国と帝国ロシアと帝国拡大EUを全部、批判的に論じる民主主義の視点をもっていないと言わざるを得ない。帝国か民主か、グローバルデモクラシーの視点からのこの批判を日本左翼はもっていないこと、これが問題である。54 プーチンがもつロシアのユーラシア主義の思想。私は20年前に知っていた。アイルランドの米国化を心配した宗教画家は完璧だと語ってきた。彼は大アジア主義のことは知っていたが 55 フランス革命の近代はマリー・アントワネットを処刑してしまった。つまりマリー・アントワネットに表象されるものを排除したのである。フーコが分析するようにフランス革命はローマの軍国主義の復活だった。近代は主体をめぐる言説(「わたしは女性である…」)を男性原理の対抗として構成するが、そのために男性とおなじように色々なものに繋がっている態が否定されていることが起きる。革命前夜では女性たちがパトロン的存在として哲学者が集まる文化サロンを主宰していた。今日的には、ブルームズベリー・グループの中心に、ウルフ姉妹がいたのである。女性は生成する粒子だった(「wave 」)。それは原子的多孔性のネットワーク、思考の柔軟性の中心に在ったのである。 56 日本では哲学を語ると女性は離れていくが、フランス人は近づいてくる。まだ野蛮な者を啓蒙しなければいけない(笑)。オーストリア人は賢くて社交的。ヨーロッパの中心だったからかな イタリアのフェミニズム女性は目線を上げながら知的なことを語ることはできないから、私を必要としている。家父長的なものによる知の抑圧がないイギリス女性が一番自由ではないか 57 稗田阿礼は女性だったと絶えず言われる。宮廷女性だったか?『古事記』を完成させた元明天皇。中国知識人と朝鮮知識人と太安万侶の日本知識人のサークルの中心に女性がいたのだ 58 知識人と文化人
超越的な神との同一化を前提にする絶対平和主義の宗教とは別に、道徳は「暴力をゆるされない」根拠を問う。世俗的に言えば、抵抗というかたちで暴力が許されるのは、
言論の自由によっては覆せない絶対的真理に対してである。真理の問題は知識人が問う。真理を問題にする知識人は間違ったら真理にたいして責任を取らなければいけない。「
ウクライナは
アメリカにおけるものである」にたいして反証の精神が働く。反証しても経験的事実に照らして間違いはあるし、それについては責任を痛感するプレッシャーがある。昔は知識人は専門家にたいしていた。反論もできない圧倒的な専門知にたいして、絶望的に限界があると知っていても、何とか市民が思考できるように問題提起したのが知識人である。
反核体制派の
安全神話にたいする抗議はこういうものである。現在は知識人と対立するのは文化人である。文化人の場合は、彼らが依拠している大衆の理解の中に理解できる形で、思考の神話的秩序を示す。漢字は日本文化のオリジナルをあらわす借り物であると、対象を二項対立的に追っかけるだけだったりするがそのこと自体は大衆的である。みんな、間違っても真理に責任を取ることはない文化人になりたいのだろうし、文化人的発言に共感するようにみえる
59
ゼレンスキーが米議会演説で真珠湾を例に出した。是非国会で言って下さい。植民地を求めて帝国主義化した帝国ロシアと民主ウクライナとの戦争になっていることがわかります
自分は
ウクライナの「脱ナチ化」のために戦っていると信じて戦死したロシア兵。現実とのギャップの中で自分は何のために戦っているかわからなくなっていたのが多数ではないかな
60 わたしは憲法に書かれた、カントの理想を体現した普遍的平和を支持します。それは全体を見渡す理性の復権だとおもうのです。願いというものではなくて、言葉とともにある権利ですね。しかしそれはイデオロギーではありません。絶対に戦争は反対であるという文は何でしょうか?絶対に戦争は反対と言明するのは、神は存在しないと言ってしまうのとおなじようにそれを言明したらそれきっりです。もし戦争が起きていたら、どんな戦争に反対するかを初めて議論すべきだと思います。国家を対象とした戦争に反対します。それは国家悪だからです。故に私はプーチンの戦争に反対します
The universal and lasting establishment of peace constitutes not merely a part, but the whole final purpose and end of the science of right as viewed within the limits of reason.
61 フーコを理解するためにはニーチェとマラルメの違いをおさえておくことは大切だが、これが論じられるこの章「人間の分身」に先行した章が、古典経済学と博物学の知に限界を感じた「表象の限界」である点を知る必要があるね 62 ラスコー洞窟が、見る者にすぐさま与えてくれる答えは、あくまでも難解をきわめたものであり、半ばしか理解できないものだということを認めよう。それは最も古い答えであり、第一番目の答えである。その答えを発せしめた時間の夜には、暁のぼんやりとした薄ら明かりしか射し込んでいない。ーバタイユ 『古事記』において、メッセージを受けた遠いものどうしが近づくのは、天柱に見立てた国柱をまわることによってです。これによって、伊邪那岐と伊邪那美hs地方神話から国の神話にやってきました
64 帝国の時代が始まった、湾岸戦争以降、特にイラク戦争では、アメリカの軍事力は圧倒的ですが、しかし単独では戦争できなくなって、ほかの国の協力を必要とするようになりました。世界資本主義も(米•中•ロ•拡大EU)に分割される中で、もはや世界中に米軍基地を支えるほどの財政的パワーがありません。米軍が世界中がら撤退する時代に、日本は米国に依存しない安全保障を確立するチャンスですが、われわれは原発体制の軍事化•核体制を受け入れることはできません。それは憲法に書かれている、全体としての理性の復権である普遍的平和主義にも反するとおもわれます 65
「
日本民族の印度韃靼的な血そのものが、この民族をして、これら両個源泉から汲み、かくして全アジア意識を映し出すかがみとなることを得しめた天賦の能だったのだ」(
岡倉天心『東洋の理想』)
帝問曰「朕即位已來、造寺寫經度僧不可勝紀。有何功德。」
師曰「並無功德。」
帝曰「何以無功德。」
師曰「此但人天小果有漏之因、如影隨形雖有非實。」
帝曰「如何是真功德。」
答曰「淨智妙圓體自空寂、如是功德不以世求。」
帝又問「如何是聖諦第一義。」
師曰「
廓然無聖。」
帝曰「對朕者誰。」
師曰「不識。」
帝不領悟。師知機不契、是月十九日,潛回江北。
— 『景徳傳燈録』巻三
帝は質問した。「朕は即位して以来、寺を造り、経を写し、僧を
得度すること数え切れない。どんな
功徳があるだろうか。」
師は言った。「どれも功徳はありません。」
帝は言った。「どうして功徳がないのか。」
師は言った。「これらはただ
人間界・天界の小果であって、煩悩を増すだけの
有漏の因です。影が物をかたどっているようなもので、存在はしても実体ではありません。」
帝は言った。「真の功徳とはどのようなものだろうか。」
答えた。「浄智は妙円ですが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。」
帝はまた質問した。「聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。」
師は言った。「この世はがらんどうで、聖なるものなどありません。」
帝は言った。「では朕と対座しているのは誰なのか。」
師は言った。「認
識できません。」
帝はその意を理解できなかった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の19日にひそかに江北に帰った。
「壁となって観ること」即ち壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずること。
プラトンが問うように、問題は、魂は真理にいつ達するのかである。
ベルトリッチは『暗殺の森』でゴダールを殺して、ファシズムの芸術を全体国家を支える暗闇を表現することができた。魂がいつ真理に達するかを常に問う知識人が森の中で殺戮される
魂がいつ真理に達するかを問うことは
チューリング の停止問題みたいだ。私は二項対立に絡み取られなければ、到達できる真理が存在するものであると理念的に考えよう
67
魂がいつ真理に達するかを問うことはチューリング の停止問題みたいだ。私は二項対立に絡み取られなければ、到達できる真理が存在するものであると理念的に考えよう68 昔ニーチェに扮するダンサーが本を読んで、ダンサーたちの輪に沿って歩く作品をみた。若いときはモーリス・ベジャールも、ダンスの練習のときは哲学の本ばかり読んでいたらしい 69 神字はシンとカミという2つの読み方が可能だ。宣長はカミと読むことを絶対的に選択した。つまり2−1。抽象的思考を喚起する現代ダンスを見ながら、N−1に一般化できると考えた 70 ポストモダンはあえて領土を理念化した。脱領土化は大地からの離脱である。再領土化でも脱コード化している。言語の中に国を制作した復古主義は国家を再発明できるようにした 71 アイルランドの芸術家たちはユーラシア主義に共感をもっていましたがね、ゴルバチョフの上からの改革が失敗したために、プーチンを選んだ国民には、亡命知識人が語るような民衆に過剰に期待する言説が成り立った可能性があるのでしょう。ここから、危険なナショナリズムが起きていたと思われます。最近、中国の学者たちが習近平にロシアから離れろと警告していますね。私は、帝国中国が、プーチンが依拠するロシアの語られ方を作ったこともあると考えています。もうそうであれば、帝国中国を擁護してきた知識人に責任がありますよ 72中国が武器を送ることを考えているらしいがプーチンとか習近平みたいなあんなくだらないものにどうせ殺されるぐらいならば私は卑怯者と言われてもたたかわずに逃げだすよ 73 世論は、戦争責任を果たしていない日本の極右翼(日本会議)を全然問題にしないのに、ヨーロッパのナチスの戦争犯罪を裁いた後に出てきている極右翼が気になって仕方ないらしい 74 『古事記』は兎に角名前が多い、漢字が読めない、カタカナだとどこを切って発音するの、主人公は誰?訓(よ)むのが難しいと漢字に絡まれた君は脱イデオロギーのテキスト論にいる 75 中国は「歴史の正しい側にいる」と主張。ロシアもこの種とおなじ自己証明にとらわれているようにみえます。ヨーロッパ中心主義を批判したポストモダンの時代、歴史の多元主義化のもとで、国外であれ国内であれ民主を踏みにじる我こそは普遍なりという普遍主義の<語られ方>が帝国の間で分割されています 76
79 『古事記』の山はわれわれの山である。山はわれわれの語りに存在する。山と神がいる。山は思い出されると(山が)目覚めるような妖精的な名づけではない。 80 書くことは並べること。並べることは世界である。『古事記』は生成する神々の名が次々に出てくる。名とは何だろうか?集合というのはわからなかったが、名とは集合のことである。「これはパイプである」という文は集合(パイプの)を指示している。「パイプ」は個物に言及していない。集合とその構成要素は別々である。これをつきつめていくと、名は対象をもたない。そうすると、世界は名と名づけられないもので成り立っている。たとえば、詩人が語るのは名であるけれど、しかしどうもそうではない。固有名というのがある。固有名は場所を指している。神話の「山」は名である集合であるけれど、固有名みたいなものじゃないか。神話においては、「山」はわれわれの語りのなかに存するのであって、われわれの「山」である。神話の「山」は山と神があるのである。詩人が語るのも、死に場所としてのわれわれの「山」であるという感じである。詩人は山と言うときは逃げ去った神の痕跡をさがしているに違いない 81 シェークスピアの「ハムレット」に関心をもっていても、劇団に興味がある人はそれほど多くないのは残念である。況やその劇団が拠点とする芝居小屋の存在に関心をもつひとは稀だろう。しかし鄙びた裏道にある芝居小屋の中の壁を見よ。ロゴスは無いし人間もいないのに眼差しをもっていることに気がつく。それは純粋な表象作用である。おそらく疎外に生きるわれわれにつきまとう即自的な影かもしれない。上映前の、死装束のようなスクリーンがそうである。なにしても、徴は表象とともに至る所にあるのだ 83 ダビリンはFWを読んで河に河と女神が存在すると語ってきたし絵も描いた。『古事記』を読む現在、これから、山や島々に神がいると語るかも。言語のなかの神を再語りする面白さ 84 インターネットがあったらホロコーストは起きなかったとエーコとカリエールは喋っていたが、確かにプーチンのロシアは侵略が簡単にいかない。危ういが台湾侵略も難しいのではないか 85 『古事記』の序文を読むと、中国知識人と朝鮮知識人の影響のもとに彼らに育てられた日本知識人が書いたものであることは明らかであるが、宣長の『直毘霊』を読むと、序文を否定しないが、そういう外部的なものによる成立のあり方を隠蔽して、漢字を借り物とした上で、日本人の道は大和言葉で伝えられてきた声の独立性に支えられている<一>に存すると強調する。他方で、『古事記』を読み進めていくと、宣長は神にたいして絶対的に服従する注釈がある。神の生成を語る『古事記』は多神教的な<多>を語っている。神と言っても、そこで救済が語られることはない。死んだら女神伊邪那美が行った穢らしい黄泉の国に行くだけである。宣長の思想において、<一>と<多>とが両立しているが、これはどのように可能となることなのか?これはポストモダンがいう微分多様体なのか?何か興味深い思想ー帝国の多を一に還元するから自立した多元主義の方向の?ーがある.. 86
横になって、顔のしたにあるような
仮面をもった一文を考える
漢字も眠るのだろうか
眠っている間、夢を見るのだろうか
87 国会の
ゼレンスキーはリップサービスか。そうかもしれません。これに関して、シリア人から言われた言葉をおもい出しました。原爆を二度落とされた日本はアメリカに負けていないとわたしにいうのです。平和国家となって経済的繁栄を実現していると。これは解釈改憲で公式参拝による国家神道の復活と軍国主義の復活を知らない過大評価か、リップスサービスとおもいましたが、普通の人でもそう考えていることはたしかです。少なくとも平和憲法は普通に国民の「勝利」のはずだし、戦争が多い国ほど理想に見えるものだと考えました。況や戦争を強いられている国は..88 第二外国語として、スペイン語とロシア語を選ぶ子どもたちが多い。理由はスペイン語話者の人口が多いこと、またロシアの国土の大きさ(地上の8分1)による。わたし的には、フランス語とドイツ語は頭のいい人たちに占領されていて劣等感に苛まれるし、英語は昔だったら一生懸命中国へ行ったが現在はアメリカに行っているという感じで立身出世の嫌な野心で充満している。昔は、イタリア人からは何か好かれるし、結局イタリア映画が一番好きだし彼らの美意識を尊敬するから、イタリア語なんかいいと思ったが、しかし彼らは日本人に向かって人生を見失っていると説教したい。深いところで断絶があるかもしれない。幸せをもたらす第二外国語は何処の国の言語か、これが問題である 89 今日3回めの接種。記録用紙に、1922年3月24日と書いてしまった。1922年は『ユリシーズ』の出版の年
明治日本が実現した、皇帝が臣民に教育を与えるという明と清の帝国的理想は新しいものです。数十年で破綻したものを大袈裟に日本文化と呼ぶのですか?国家が教育を与える制度としては容認できるが、
天皇は日付が無限に遡る神に連なるので、これは問題だったとするわたしの友人の意見があります。
津田左右吉は神を冒涜した罪で捕まりました。わたしはそもそも国体の中心にある
教育勅語の役割を認めません。古代は男尊女卑がありますが、家父長制を神格化した、
万世一系的男性原理の連続性は近代の男尊女卑ですね、これはわれわれの精神を形成する文化ではないので廃止できます
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芸術とが戦争の基盤となり得るとジジェクが言う所を、われわれは世界史知がロシアの<語られ方>を作ると言いたい。帝国知の基盤である世界史知を批判しない限り問題が解決しない
しっかり考えておかなければいけない有名な史実ですが、わたしが高校生のときは教科書にそういう記述がなかったように記憶しています。
仮に、世界史の教科書に記述があったとして、わたしはそれを知っただろうかとおもうのです。わたしは、古代史に遡って近代・現代史を語ることに反対です。近代・現代史は、1870年以降から成り立つものです。
フランス革命の
アナキズムを発展させたのはパリコミューンです。他方で
フランス革命の
国家主義を選択していったのは
ロシア革命の
ボルシェビキで、
スターリンの
ウクライナ国家への抑圧はこの中で理解できるものではないでしょうか。何というか、古代中世を現代に連続性あるものと物語る世界史は帝国ロシアに都合の良いものなんですよ。芸術と思想が戦争の基盤となり得ると
ジジェクが言う所を、われわれは世界史知がロシアの<語られ方>を作ると言いたいです。帝国知の基盤である世界史知を批判しない限り問題が解決しないとおもいます。ロシアの戦争は彼らの支配を世界史に沿って正当化する知の戦争という側面があります
93 文学で暗示されているような、暴力と性的虐待が根強くある問題がアイルランドにあるのですが、これは大飢饉のトラウマによるものではないかと分析する研究もあります。飢えた人間はストレスをかかえるのですね。アイルランドは、19世紀に800万人いたのですが、現在は半分の500万人です。人口減理由は移民と大飢饉(100万人ぐらい?)です。思い出すと、Holodomorの話をする人がいました。植民地時代のアイルランドは、大飢餓に何の対策を取れなかったイギリスに失望してこれから独立したいと思ったのですから、況やウクライナの場合は人為的大飢饉を作りだしたロシアから独立しなければやっていけないとおもってきたのでしょうね。 94
ロンドン時代に、ユダヤ系の友人に、「どうして豚を食べてはいけないのか」と聞いたら、「豚の遺伝子は人間と殆ど同じだから人食いになる」と青ざめた。このとき私は理由が無いことを知った
人類学は自然と文化を見渡すことができる学である。レヴィストロースは禁止は文化か自然かと問うた。これについて
デリダが語っていた。
インセスト禁忌はたんに禁止であるだけではない。それは「~してはならぬ」とだけでなく、同時に「~せよ」とも命じる。
インセスト禁忌は、この禁忌の拡張された社会的表現である外婚と同様、一つの互酬規則なのである。人がみずからと他人に女を拒むとき、まさにそれによってこの女は供与される。(中略)すなわち、私がある女の使用をみずからに禁じ、その結果この女が別の男にとって処分権〔使用権〕の対象になる瞬間から、どこかに、ある女を権利放棄する男がおり、この権利放棄によってその女が私にとって処分権の対象になる。禁忌の内容は抑止することに尽きるのではない。禁忌が制定されるのは、直接的にか間接的にか、即座にか時間を置いてか、ただ交換を保証し基礎づけるためなのである。(福井和美訳『
親族の基本構造』)
95 矛盾を禁止するように無矛盾を前提にすると、無矛盾は形式証明できない。無矛盾では、真理が無限の高さになってしまって、魂が真理に到達できないのではないかという哲学的問題が起きる
96 無矛盾では、真理が無限の高さになってしまって、魂が真理に到達できないのではないか。西田幾多郎の「絶対矛盾」は、無矛盾という「対象論理」を禁止してこそ、直観的に到達できると言っているのではないか。しかし西田は対立の解消を否定しているのだから差異を保つのかといえば、そうではない。「絶対矛盾的自己同一」なのである。西田は差異を保つ多元主義ではない。 98 中国共産党に対するギリギリの批判を含む子安先生の中国論についての本が、何と習近平独裁のもとで新聞の書評が出た事実は、中国というのは、反中•嫌中が勝手に言っているような単一社会では決してないことを考えさせるものである。なるほど、独裁の状態になっていても、日本に無い自由をめぐる議論は活発であるという 99 病院のテレビのニュース番組で情報戦を分析していたけれど、これは冷戦時代と勘違いしている時代遅れのどうでもいいような細かい話だと思った。それよりは、言説の戦争である。物の見方は一度確立すると、その中にあってそれとは別の見方をするのが難しい。プーチンの物の見方を作った言説とは何かを考えるべきだとおもう。世界資本主義に対して、グローバルデモクラシーの普遍主義を再構成すること、これが、帝国の見方によって、非常に悪い形になっている。プーチンはアメリカの普遍主義とは別の普遍主義を見いだそうとしても.. 問題は、帝国が作る普遍の<語られ方>にあるとおもう。 100 トルストイの小説に書かれたような女の子に「付き合ってください」と言ったときは観念過ぎた。「何々とどう付き合うか」は大きな問題である。『世界』は中国とのバランスをとりたい
荻生徂徠の影響の下に後期水戸学は、国家の<語られ方>をはじめて作ったことである。それは現在のわれわれが国家を再制作する可能性を開く画期的な意味をもった。幕末の活動家的知識人は言語のなかにすむ国家を制作した。その言語とはほかならない漢文であった。だから
自由民権運動の
中江兆民は、
朱子学的思考に規定された「天命の自由」と「人義の自由」を発明しなければならなかった。中江に先行して、これは北村透谷の漢文
エクリチュールで書かなければならなかった自由の理念が存在した。
明治二十年代の「透谷も天下国家を議論しようとする悲憤慷慨の精神の持ち主であったと言える だろう。彼が漢文体に託した思想は政治と連動する「経世の志」や「悲憤慷慨」と背 反する思想ではなく、むしろそこから進化したものだと捉えられるはずである」(Lu Chen)