書くこと 800−900

1「代理戦争」という名で米国、ウクライナ、ロシアという二項対立での思考ならば、米国、台湾、中国という二項対立での思考である。帝国ロシアと帝国中国の多を一にする問題を見失う

この現代アートの彫刻は、海の中に置かれたり、道端やビルの上などロンドンの街の彼方こちらに展示されたとき、死について考えさせるものだと言われた。ガス室の中のユダヤ人を表現していると評したひともいた。芸術家はユダヤ系だったとおもう。さてナチスの犯罪を立証するその決定的フィルムは出てこない。記録フェチだったナチスガス室の内部を撮影しなかった筈はないから何処かにあるに違いない。しかし問題は、これからガス室のフィルムが出てきても、それを見た極右翼は何も感じないのではないかというもの。ヨーロッパの極右翼は、戦争責任をとらない日本と違って、ナチス戦争犯罪は裁かれたところから出てきてはいるが、それでもフランスに2割超える支持があるのはヤバイ感じである。ヨーロッパはイスラムとの関係を確立するために普遍主義を再構成しなければいけないが、極右翼とかbrexit によって非常に悪い形で模索することになりそうだ

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日本の思想家たちが語る中国、思想史のなかの中国ならば考えることはできる。方法論なくして、中国自身を考えることは私にはできない。同じように、ロシアそれ自身は考えられない

カントは認識の限界を言う。純粋理性でしかとらえられない物自体を認識できない。思考する為には先験形式ー空間と時間ーにおけるその現れをとらえて悟性のカテゴリーで構成する

思想史は思考不可能なものの語られ方ー言語の言説化ーを作る。表象可能なものの奪還は、思想の産物である人間の認識が知をあまりに深く分割して思考できないものを思考可能にするか

敵性英語の時代に校長先生が持っていた英語の本を1ページづつ破って全生徒にあげた話を聞いた。しかし旧制高校では英語を勉強していたんじゃない?結局民だけが馬鹿になる国なんだ

17世紀の本居宣長の読みによって『古事記』は発見されたにもかかわらず、口語訳の三浦佑之と上野千鶴子は『古事記』が読み継がれてきたテクストであると言う。書かれた言語とともにある思考する人間が、どこまでも遡って日付もなく文字も無い思考できない存在がなにを考えるかを考えることに意味があるのだろうか?三浦と上野の主体の言説に絡み取られる言語は、アメリカのグローバリズムに対する抵抗だとしても、戦前の『古事記』解釈のそれほど異ならないとしたら、考える必要がある。圧倒的な専門知の前にわれわれはなにも言えない。しかしプロの知のもとに巻かれて思考不可能になったものをわれわれは巻き返して思考できないものだろうか。本居宣長は『古事記』の根底にひとつの民族が存在することに対して、「『古事記』を読むことは現代を読むことである」ときっぱりいう子安宣邦氏は『古事記』の根底にそれを書く他者が存在する思考のイメージを打ち出している。子安宣邦著“古事記”講義―「高天原神話」を解読するは、日本における“論語”の読み方を問題にしたように、日本における“古事記”の読み方を問題にした、ナショナリズムの解体である脱構築の本である。われわれは思考不可能なものを思考する。


古事記』の序文を読むと、中国知識人と朝鮮知識人の影響のもとに彼らに育てられた日本知識人が書いたものであることは明らかであるが、宣長の『直毘霊』を読むと、序文を否定しないが、そういう外部的なものによる成立のあり方を隠蔽して、漢字を借り物とした上で、日本人の道は大和言葉で伝えられてきた声の独立性に支えられている<一>に存すると強調する。他方で、『古事記』を読み進めていくと、宣長は神にたいして絶対的に服従する注釈がある。神の生成を語mる『古事記』は多神教的な<多>を語っている。神と言っても、そこで救済が語られることはない。死んだら女神伊邪那美が行った穢らしい黄泉の国に行くだけである。宣長の思想において、<一>と<多>とが両立しているが、これはどのように可能となることなのか?これはポストモダンがいう微分多様体なのか?何か興味深い思想ー帝国の多を一に還元するから自立した多元主義の方向の?ーがある..


稗田阿礼は女性だったと絶えず言われる。宮廷女性だったか?『古事記』を完成させた元明天皇。中国知識人と朝鮮知識人と太安万侶の日本知識人のサークルの中心に女性がいたのだ


古事記』の山はわれわれの山である。山はわれわれの語りに存在する。山と神がいる。山は思い出されると(山が)目覚めるような妖精的な名づけではない。


『日本書記』と『古事記』の違いは歴史と神話。ここにも差異化の運動がある。『古事記』は、『日本書記』における神の語られ方を差異化して、国家を越える宇宙の神から書き始める。


本居宣長は『古事記』の神の意味を明らかにすることは諦めたらしいが、その代わり神の名の正しい読み方に努力した。現代の音声学的アプローチは、神の名に含まれているm(両唇鼻音)、 b(有声両唇閉鎖音)が大事だったと考えているようだ。音声中心主義の近代は遠くへいく。一生懸命日本語の起源を探す。しかしながら神の名は漢字で書かれているので、漢字の表意性(意味作用)をゼロにできない。このことを考えるだけでも、漢字を不可避の他者とする日本語の面白さを知ることができると思う。たとえ漢字の表記で意味されるものがわからなくとも、意味を伝えようとする意思を無視できないんだよな。これが言語に沿って絶えず意味の意味を問う思考の形というか..

書くことは並べること。神を、中国思想独自の「神」字で解釈し、「カミ」の訓みで解釈することは、同時的なことなのだ。言語の集中が起きる同時性は、思考の主体を表象する内部の秩序を炸裂させる


伊邪那岐伊邪那美の別れ。生者の国と黄泉の国の境界線の確立。魔法が溢れているにしたがって読み手の感覚が鋭くなっていく。宣長は仏教に対抗した救い無き古代死生観を語る。


知識人なんて死後のことに関心がないとおもうが、死を観念化しなければ世界思想たり得ない。宣長が『古事記』に読み取った古代の救いなき死は観念的であるが、イデオロギー的でなくはない。


アマテラスとスサノオの対決だけれど、mess混乱だ。スサノオは謀反心がないことを明かす誓約(うけい)だったのに、奴から生まれた男神をアマテラスが自分の子としてしている。

スサノオ天照大御神に示そうとする「清き明かるい心」は『古事記』にある天皇への忠誠を意味する宣命的言葉でこれが日本人の原初的倫理だとされたらたまったものではない。


これによってスサノオの子孫が天皇皇位権を獲得した。誓約に勝ったスサノオはアマテラスの統治する高天原で暴れまくる。アマテラスは弟を庇っていたが、天岩戸に隠れてしまう。天照大御神が石屋戸から出たとき高天の原だけでなく葦原の中つ国も明るくなった。天の主宰者の支配の拡大を伴って、カオス(=スサノオ)がコスモス(=天照大御神)に回収された。

神話は吉本隆明が指摘するように支配の正統化•正当化であるというが、そうだとしたらかくも支配が簡単にはいかなかったことを『古事記』が伝えるのはどうしてか。その理由はわたしは分からないでいる。



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インターネットは幅広い情報があるのに、どうしてそんなに時間をかけて、色々読んで、結局秘密警察プーチンとおなじことを喋っているのかと思ってしまうわ..

語学というのは勉強する時間に比例して進歩がある。哲学はそうではない。どんどん崩れる(根本を疑うから?)。わたしは自分の愚かさを隠すために哲学の道を歩みたい

10 現在起きていることは、「ロシアの正義とウクライナ正義と衝突である」という見方は受けいれがたい。これを言ったひとは、ロシアはイスラムの西欧文明の見返しに立っているという。しかしプーチンの戦争は、典型的な近代の制作主義ー自分の頭のなかで考えたことが正しいー永久革命的に。プーチンの戦争と彼が思い描いているスラブ主義とは別々のものではないか。イスラムが問題提起している西欧文明の見直しとは果たしていかなるものかは分からないのだけれど、西欧と西欧でないものを分け隔てるものは政教分離政教一致かによる。政教一致とは何か?ちなみに、下級武士が推進した明治維新政教一致の近代なので、この点はロシアの政教一致より遠いところに行ったと考えてみることができるかもしれない。しかし死に場所のある共同体をまもる伝統をゼロにしてしまった。戦う国家を祀ることだけが問題となった。ここが、西欧化を受けいれながら受け入れることができないところは伝統を残していったイスラムの近代と違う所。伝統を残したイスラムがあのアメリカに抵抗できるのはどうしてだろうか?また伝統を捨てきった日本がまったく抵抗を失ってしまったのはどうしてなのか?

11 思考不可能なものの思考をフーコは言語ー言説ー表象ー物の全体に展開した。書記言語の漢字で構成された『古事記』を仮名(借り物的表記記号)によって読めるものを思考するとは違う

12 仮名(借り物的表記記号)の読みだすものの思考は近代における価値中立的なものである。その思考は『直毘霊』を序文からとりのぞかなければいけない。だが宣長の思想闘争が失われる

13 人間は気がついていないが一個の鬼神ではないか


‪(人間の)起源とは、あらゆる相違性、あらゆる分散性、あらゆる不連続性が、もはや同一性の一点のみを、みずからのうえで炸裂して他者となる力をそれでもうちに秘めている、触知しえぬ<同一者>の形象のみを、形成するため、そこで凝縮されるような、そうした円錐体の虚頂点‬なのである。

ーFoucault フーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬


「円錐体の虚頂点」が嘗ての近代の力だったというか。人間が終焉する<他者>の時代は、円錐体も消滅するが痕跡として平面スクリーン上の線になるのではないか。平面の上で点たちとはりついている球体たちと共存している

14 ユリシーズ』はmirror in the shrineのマーテロー塔において始まる。西の端に立って鏡を見る。東ーアイルランドーを映し出した。私は東の端も見える。

挿話「テレマコス」の書き出しは侍女の部屋とおなじである。ここからみえる背後のあちらを見ること

15 映画監督の紋切り型の紋切り型(「ロシアは悪であるとは言えない」)に、全体主義に負けるなと拍手喝采。囁かれる陰謀、誰が何を喋るのか分からぬSNSはヌーヴェルバーグを継承する


ミクロファシズムとは、帝国が普遍の語られ方を作る時代に起きてくる帝国主義戦争をもつ。「ロシア(帝国主義)は悪くない」に、全体主義に負けるなと拍手喝采がロシアや中国のネット界で起きる。マクロ全体主義はナチズムとか天皇ファシズムだったように、ミクロファシズムも民主主義に対する攻撃であるが、多元主義の名のもとに民主主義の攻撃を行うのである。しかもフェイクニュースの言論を利用して、ナチスたいする自らの戦いを正統化する

15 選挙

イスラムとの関係を考える上で、フランスの極右翼政権の成立は何とか避けていただきたいです。ただ戦争を止めれない点ではマクロンもおなじですが。極右翼と言っても、前回はルペンはマクロンにたいして彼が関与した労動法の改悪を問題にしていましたが、維新と安倍政治ではあり得ないですね。ナチスの戦争責任を裁いた後の出てきたヨーロッパの極右翼と、戦争責任を果たさず戦前と同じことをそのまま主張している日本の極右翼はおなじであるというような誤解があるのではないでしょうか?

16 子安氏の『古事記』講義(作品社)は『古事記』を構成する書記言語の漢字で飾られている。母がこれを見たとき開口一番、「中国」。エクリチュール論を中国から切り離してはいけない

17 昨日は帰りの電車で、数年前に過労死した疑いのある後輩を思った。どうすれば良かったのだろう?茅ヶ崎の海岸を散歩させてやりたかったな。嗚呼、天をおもいうかべなければやっていけない。この感じは、書記言語のエクリチュールを見て大いなる他者の中国をおもいうかべなければやっていけないのと重なっている。アジアにいるとはこういうことなのか..

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19 わたしは民である。民であるときわたしは民衆論の知を学んでいるのではない。わたしはモンタージュ。ニューデイールにはモンタージュがあった。辛亥革命モンタージュが存在した

20 可視的なものに名を与えるのが博物学である。差異と同一の体系を構築する知だ。目に見えず耳に聴こえずのものを語る陰陽二元論めぐる言説が鬼神論である。帝国の宗教改革が成立した

21 昔、映画館はカフェにあった。観客は今日のようには黙ってはいない。暗闇に囁き声があった。映画館とは何だったのか?映画館の中はプラトンの洞窟の内部とどう違っていたのか?

22 ニューヨークに行ったときは毎日映画館に行った。Sontagも読めた。本屋に柄谷の建築の隠喩の英訳もあった。だが英語を読み過ぎたら日本が西欧だという錯覚に陥いるだろうな

23 ポストコロニアリズム+精神分析(ラカン)+フェミニズム

ウクライナのためにウクライナ人に代わって」ロシアが考えてやる。これは帝国主義の言語。「だから、ウクライナは生命と財産と身体のすべてをひとりの男性に譲渡しなさい」。これは男性を固有なものとする全体主義の幻想ですね。ウクライナが女性として表象される。

24 アイルランドEU加盟まで自身がヨーロッパであるとは知らなかったし、移民先の米国ではあり得ない。文学は、アイルランドの<語られ方>を作ってきたし、作らなければいけない。

25 自民提言案の「反撃能力」についてですが、他人の加害行為を過大評価し、自分の加害行為を過小評価してきた日本人。戦前は攻撃されてもいないのに攻撃されたと思い込んで戦争したのが盧溝橋事件ではなかったでしょうか

26 あり得ない。靖國神社の戦前は、だれのためにも祀ることはなかった。この戦争神社は戦う国家しか祀らない。

・安倍元首相が靖国参拝「勇気ある尊い犠牲の上に国は守られている」

ほんとうにウクライナの死者を弔うならば戦争記念碑へ行きなさい

27 岡倉天心は分割に関するいかなるものにも関心をもった。岡倉が提唱した東洋の美は分割に関する思考であるとおもう。西は東の語られ方を作った。これにしたがうと東洋の美は中国美術である。しかし岡倉は帝国主義の視点を隠蔽した地理的に表象される東西の分割の自明性を突き崩した。東洋の美は文明の博物館である日本において成り立つと考えたのである。和辻哲郎は九鬼修造と大岡周明と一緒に岡倉の講座に出た。初めてアジアから考えただろう。アジアは優先権をもった思考不可能なものである。しかし和辻は思考不可能なものを考える哲学史マルクス主義から書き始めずにギリシャ哲学から始めた。われわれはいかにも帝国の主義が書いたギリシャの書き出しを受け入れることができない。何故か?疑われるべき思考可能な東西の分割に、正しさを占有している西をあてはめては、思考における思考不可能なものの優先権を蔑ろにしていると言わざるをえない。


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29 安定していれば何も変えるなという絶対保守主義は思想の死滅が起きてこれからは精神的に価値のあるものを考えることが無いかもしれないというのに、英文学を読むよりも無前提に財界が求める話すアメリカ語の優越性は漢字文化の精神を棄てるという意味ですべてを変えなければならないことに全然疑問も危機感ももたない。たかがコミニュケーションのための英語(ヨーロッパ人はみんなそう思っている)のために、‪すべてを変えなければいけないと‬そこまでする価値があるのだろうか?

30 ケインズ大英帝国の何も変えるなの時代とロシア革命永久革命的に変えなければいけない前衛の時代に生きた。ケインズは何も変えるな(貨幣賃金)とするひとびとのあり方を前提に経済が不均衡のままに(有効需要不足)安定してしまう現象を考えた。ケインズの立場は革命ではなくてコントロールできるものを微調整的にコントロールする改革だった。ももし思想をやっていたら、絶対保守主義による思想の死滅のことも考えていたに違いない

31 移民国家的文化多元主義の理念が、絶対保守主義の平面への投射が起きることはないのだけれど、現実には東京は移民国家的になっている。教育と権利への無関心はどうしたものか

32 言語は言語以外のことを喋ることができません。これまで言語はあまりに多く生命について語ってきました。現在は戦争を喋っています。言語はもっと言語について語るべきなのです

33 言語は言語以外のことを喋ることができません。これまで言語はあまりに多く生命について語ってきました。現在は戦争を喋っています。言語はもっと言語について語るべきなのです。どうせプーチンのようなくだらない奴に殺されるならば逃げるべきだと思う。帝国ロシアが自らの行いを正当化している、プーチンが作ったロシアの語られ方(言説)を徹底的に批判できる、言語の途切れることなく生成するセリーしか無いでしょう

34 転向論の言説が成立しているのは拘りを良しとする日本だけだ。西欧で問題となるのは思想家の戦争協力。日本は民族主義者はずっと民族主義者とされる。民主主義者の時期もあっても

35 『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社)は出版10年である。<言語支配者の中国人は、言語マイノリティである日本人が中国をどう語ってきたかをどう読むだろうか>も考える


35 朱子学の普遍(「聖人の道」)では思考不可能なもの(「道は路なり」)を考えたのが古学で、中国文明のなかでは思考不可能なもの(『直毘霊』の「神の道」)を考えたのが国学。古学から成立した日本近代においては思考不可能なもの(社会主義の人民)を考えた日本人は初めて外部(中国)で考えたのである。『日本人は中国をどう語ってきたか』を読むとは思想史ー壁に映し出された不連続性の集合ーこういうことを知ることなのである

36 漢字で書かれた歴史を語る文学が支えることができるか?


朱子学の普遍では思考不可能なものを考えたのが古学で、中国文明のなかでは思考不可能なものを考えたのが国学。古学から成立した日本近代においては思考不可能なものを考えた日本人は初めて外部(中国)で考えたのである。『日本人は中国をどう語ってきたか』を読むとは思想史を知ることなのである。そして思想史とは壁に映し出された、破れ傘のようにある不連続性の集合。壁は他者が読むために漢字で構成されてされている。漢字で書かれた歴史を語る文学が支えることができない

37 ロンドン時代のことであるが、私はユダヤ人が好きで文学を通じて彼らについて詳しくて中々雄弁だったらしく?、感心したユダヤ•ギャングにスカウトされそうになって、本当に困った

38 武器供与は日本が攻撃される危険があるから平和でなくなるというのは本当だろう。そしてこのことも本当。日本が平和なときは必ず日本の外で戦争が起きている。平和は戦争の徴である

39 わたしは絶対平和主義ではないのだけれど、殺し合いをやめよ、作品が完成したら平和になると信じているような芸術家魂のかけらである…

40 今回のツイッター削除依頼も歴史修正主義の問題ですね。


日本人はヒトラーファシズムしか考えてこなかったし、丸山真男はそれを以て厳密に純粋ファシズムの理念型を定義した結果、日本にはファシズムが無かったということを言ってしまうのですよ。戦後左翼は天皇を馬鹿にしていて天皇についてしっかり論じてこなかったといわざ言わざるを得ません。どうも和辻哲郎だけは、戦後は戦前の祀る神は祀られる神であるとする現人神のあり方とまったく変わらないと見抜いていました。これからは、安定していれば何も変えるなの絶対保守主義が主流の時代にはいってきますから、神の子孫である天皇が統治する神の道へ帰れと言い出すかもしれませんよ。公式参拝を前提にして、神の道に帰らない心の穢きものを反日とみなしてヘイトスピーチナショナリズムを展開する天皇教の安倍政治の歴史修正主義に日本人は依拠できるのでしょうか


「せめて」、東條の戦争責任を言うべきだったとする意見があります。どうでしょうか?軍部が明治憲法における天皇統帥権を利用して戦争体制を拡大させたという見方ですね。しかしそれはわたしの構成ではありません。わたしは憲法に書かれていなかった死者を主宰する権力を問題にしています。戦争する者の死後の安心を与えたのです。しかし国家はだれも祀ることがありません。国家は戦う国家を祀るだけです。だから国家神道である靖國神社は戦争神社と言われるのです。遡れば、クーデターで成り立ったような、正しい始まりをもたない国家日本の問題です。長州は、京都から文化権力の中心にいた天皇に政治権力を集中させてしまいました。そうして日本人の心のなかを隅々まで政治権力が覆う危険がでてきました。大正デモクラシーの時に天皇の政治権力を解体するチャンスがあったのですが、そのまま満洲事変を経て昭和10年代へ突き進んでいきました


絵は、『古事記』の序文である、日本は他国より優れた神の道をもったと語るとイデオロギー的に書かれた『直毘霊」を読んで描いたものです。『古事記』は民族学者や上野さんのような文化人類学者が言うように「読み継がれた」テキストではありません。昭和10年代の軍国主義教育を通じて読まされたのです。これはファシズムを支えてものになりました。


「天つ神の御心を御心として」は「直毘霊」のなかの一文ですが、天皇の植民地国に対してもつ「大御心」を喚起します。戦後憲法天皇の言葉を制限したのは「大御心」を禁じる必要があったのです。象徴行為説(清宮)によって「大御心」が復活する危険があります。



41 ポストモダンの終焉は考えたことがなかった。日本はこれからは、安定していれば何も変えるなという絶対保守主義へ行く。事件もなく差異を失って皆同じならば固有名詞を失ってしまう

42 ユリシーズ』は北の地中海人を物語っている

43 軍隊にお金を使うのは時代遅れ。日本は戦争を回避できるために、強力な外交を展開するために世界中の情報を収集できるスパイ王国になれ

「戦争機械とともに、そして遊牧生活において、数は数えられることをやめて<暗号>になる。そして<暗号>として数zは「団体精神」を構成し、秘密と秘密をともなうもの(戦略、諜報活動、謀略、待ち伏せ、外交交渉、等々)を発明するのである。」(D=G)

44 これは?思想空間ある全否定の作用をもつ点、点、点。『直毘霊』ーおそるべき宣長の漢字文化の全否定

45 荻生徂徠の「聖は制なり」を批判した本居宣長は、永久革命的にゼロから作る近代の制作主義に絶望しきっているポストモダンのわれわれの側にいる

46 ジョイスの文は疲労困憊になるが意味を伝えるつもりがあるから一生懸命調べれば何とか解釈できる。だがアルトーのインディアン(神?)の言葉を真似た文は意味を伝える意思がない

47 本は面白かったで終わってしまう。芝居も「面白かった」である。ロゴスが支配しているからか?映画は見終わった後に誰も何かを言える。反復なき反復の系列があり差異の生成がある

48 「天」、「聖人」、「物哀」は、読まれる漢字ではなくて寧ろ暗号なのだ。一字一字は日本思想を解体する作用をもつ。また市民大学の講座という団体精神を形成する。思想史遠足もある

49 そりゃ、ずっと安倍政治だもの


「韓国が変わったことはなく、日本が右傾化した」 文在寅氏発言

50 ミルトンは言う。「希望もないところでは恐れもない」。と。このわたしも全く恐ろしいことがなんだ、日本にいて..
51 書くことは並べること。並べることは世界である。宣長の全否定とか津田の漢字嫌いのラディカルモダンの曖昧な観念と、曖昧なイメージー「中国論」に召された多様な言語のようにペンローズエッシャー的天地間の往還ーとを衝突させよ

天地間の往還とは伊藤仁斎的、清沢満之的、最後の親鸞吉本隆明的である


52 論争的な宣長『直毘霊』は儒家による神の<語られ方>を問題にした。聖人と言おうが神と言おうが結局道をどの程度重視するの違いによるだけだ。道を強調するのは野蛮な国だから

53 Κρῆτες, ἀεὶ ψευδεῖς, 
The "lie" of the Cretans is that Zeus was mortal; Epimenides considered Zeus immortal. "Cretans, always liars," 
54 ヨーロッパの中心は何処か?

オーストリアがずっとヨーロッパの中心だったという見方があります。現在はEUの本部はベルギーにありますが、拡大EUで再びウイーンが中心になるかもしれませんよ。スイスから行くと気がつくのですが、ルネッサンスのイタリアの都市の自治が無ければフランスの個人のあの抽象的な自由の議論がないだろうとおもいます。ただ、イタリアはドイツと日本と同じように19世紀に成立した新しい国家なので、統一が欠けたような?変なものがあります。ミラノ人はほかの都市(フィレンツェ、ベニス等)の人間よりも、日本人の私に近づいてくるという(笑)。フランスとかイギリスは500年の国家の歴史があるので、イタリアで起きるようなことは起きませんというのがわたしの観察です。
芸術というと、フランスと考えていたのですが、わたしの勘違いで、芸術はイタリアなんですね。オペラなんか本当に自分たちのものなんですね。政治はフランス。ドイツは哲学思想。イギリスは下着とブーツ。残念ながら、わたしは中世のことはあまり自信がないのですが、オーストトリア帝国(神聖ローマ皇帝の継承?)とローマ法皇との間の影響圏をめぐる争いは、19世紀イタリアの独立運動にも現れるのですね。
ミラノ人がわたしに近いてきたのは、もしかしたらアイルランドからきたわたしのジョイス文学の知識に興味をもったのかもしれないということだったかもしれませんが、それぞれの都市出身者は他の都市出身者と交わろうとしないことはたしかです。何か歴史的な背景を考えさせます。
ルネッサンスのイタリアは、マルチユードの思想家として再発見されているマキャベリがいました。わたしはマキャベリのあまり良い読者ではないですが、わたしのようなものでもカラヴァッチョの飛ばない天使と労働者階級のマリアを描いた絵画作品から、自由について議論された時代をなんとか想像できます
55 あえて書きますが、戦争を反対する平和主義は思想ですがそれ自身はそんなに大した思想なのでしょうか?自由に喋ることを非難しないでくれ、これが軍国主義に反対する大切な思想です
56 ポストモダニズムにより歴史学はその基盤を揺るがされた。」そうなのかな?だけど歴史学が語る真実が何かひとりの人が設計した都市にみえることがある。それは貧しいね
57 自民党文科部会を開催。九州大学川本芳昭名誉教授から「邪馬台国卑弥呼の呼称と国号日本との関係」と題して講演して頂き、邪(よこしま)、卑(いやしい)は、当時の中国が周辺国を文明が劣ったものとして蔑称の意味でそれらの文字を当てたことが良く分かりました。今後どうすべきか考えます!だってさ。アホくさ、ナショナリズムか?

卑弥呼の500年前は漢字文化の成熟の時代に孔子が過去の古典(六経)を編集していたわけでしょう。悔しいとはおもいますが、中華文明との圧倒的な差が日本を規定していることはたしかです。この事実を受け入れて、日本の古代と言われているものは中国文明だったこと、日本が歴史に登場するのは12世紀とか応仁の乱以降であることを教えるべきです。18世紀までは、荻生徂徠などは東夷に聖人は生まれないと言って中国を称えていました。明が清にとって変わられると、これに関しては秀吉の朝鮮出兵が明の滅亡の原因のひとつになりましたが、中国を支那と呼んで下にみて、19世紀の尊皇攘夷は日本を中国と名乗るようになりました。教育勅語は中国の孝徳的なものの実現ですね。帝国の宋•明•清の皇帝的理想が明治維新において実現しました。
58 エクリチュール論から不可避の他者を切り離してはいけないように、映像論から不可避の他者を切り離してはいけない
59 昨日の映画は主人公はスターリン支持者である。父がコサックである。彼は娘に自分が経験した虐殺のことを物語る。この話が、まさかフルシチョフ体制のもとで起きたストライキの工場労働者にたいしてKGBと軍隊が行った虐殺と重なる。ストライキ1918年から1920年にかけてコサック階級は共産党から排除され、コサック諸軍は廃軍となった。内戦後、裕福なコサックの一部は欧米諸国へ逃亡したが、残されたコサックは共産党による苛烈な弾圧の対象となったという

ロシア映画フルスタリョフ、車を!』のように良い映画とは、公と私、天下的公、そして国内亡命知識人の埋葬されない墓の場所を描いている。この4つは映画史から編集できる

60 大学時代の労働法の先生が言っていたが、昔はマルクス経済学の殆ど全員がスターリン主義者だったが、収容所群島が発覚して宇野経済学へ行った。しかしストライキの権利を考えない
柄谷行人が『資本論』の読み方と一緒に教える「高度な次元の互酬原理」は、彼が文句無しに称える宇野経済学の「労働力の無理」説から要請される。しかし帝国中国の「礼」(ヘーゲル客観精神)として構成されるが、リアルなストライキの権利が消されているのではないか
62 国家を覆す小説の構想は対英闘争のアイルランドにあっては切実である。アナーキストのオスカー•ワイルドが考えたのは、アイルランドのためにアイルランド人に代わって考えるイギリス人を必要としないような、他でもない卑近なアイルランド人の一日を書くべきだと考えた。それはジョイスユリシーズ』においてユダヤアイリッシュのブルームの一日として実現することになった。ブルームは国家からの独立を主張する考えをもっていないが、その一日は、読むためには一生を要するぐらいに宇宙を構成する密度をもっていて、大英帝国が絶えず召喚する英雄になれとする戦争よりも遥かに充実している自立したものである
63 アケルマン監督の『オルメイヤーの阿房宮』2011。近代の一生懸命遠くに行って探す欲望を欲望化している深さに驚く。東南アジアの嵐で氾濫する川の畔で表層の豊かさが表象される

アケルマン監督の『オルメイヤーの阿房宮』2011をみて、言葉が非常に少ない芸術的な映画を久々にみたとおもった。もう芸術的な映画は作られないんだとも気がついた

64 現代アフリカ文学はコンラッドをあえてアフリカ文学の父としたように16世紀のスペンサーがアイルランド文学の父とされているのは、敵味方の境界線を侵犯して敵をやっつける戦略だ
65古事記』の根底にそれを語り伝えた一の民族があると考える境界線は、父=オイディプス的に起源を捏造するが、序文は漢字文化の知識人達によって歴史が書かれたという
66 原初的な共同体にとって女性の身体の損傷は外敵による共同体への攻撃を表象するから、天照大神が声が口から現れたように天岩戸から現れたことは神々の共同体の復活を意味する。天だけでなく中津の國の支配を確立することになったと伝える
67 連休は毎日映画館へ行く。今日はベルファーストという映画を霊魂に見せよう
68 映画『ベルファースト』。労働者階級のプロテスタントの家族の視点から北アイルランド紛争を考えるこんな映画ははじめてみた。殆ども話が監督の体験にもとづくという
69 わたしは表現主義、新表現主義(キーファー)が大変好きで、フェルメールの静かな均衡美のブルジョワ的な絵を練習でスケッチしたりすると、どういうわけか、爆発する野獣の世界みたいになっちゃうんですよ(笑)。舞台の照明について触れておられましたが、舞台の照明は思考の原点ですー物を照らす。わたしはポスター原案などでブレヒトに影響された劇団にお世話になっていますが、彼らは表現主義から距離を取ろうとしますね
70 なんの思想も含まれていない「敵基地攻撃能力」にかくも賛成している世論をみると、木下尚江の言葉が突き刺さります。「吾人は断言す、日本国民は倫理界の畸形児なり」。今年何とか論じたいとおもう、和辻の国民道徳である倫理学が問題だとおもいます
71 絶対悪とはどのような立場・観点から判断しても悪であること。たとえば「核兵器は絶対悪である」と言われる。「敵基地攻撃能力」も絶対悪。絶対悪と絶対保守主義がこれからの日本か
72 徴は至るところある。映画の記号の構成は簡単ではないが、仮名(借り物的表示記号)ならば考えられる。訓(よ)みは原初的テクストを構成している表層を殺戮している徴だ
78 映画の記号の構成は、その曖昧な観念が映画を構成している表層を殺戮してしまうことがおきる。表層にこそ豊かな徴がある。説明のない明確なイメージが存在している
79 だれでも芸術家であることはないが、だれもが批評家として芸術に言葉を喋りたがる。芸術が足りない。「もっと芸術を」と叫ぶ大統領も必要だ
80 今日は映画『チタンTitane』を観た。ジェンダーを超える、肉体的ホラー物がカンヌ映画祭で大賞をとった。abject art の映画化であるとおもった
81 四日間続けて映画を観たが、どの映画も本を読むひとがいなかった。昔のフランス映画は本を読むひとが撮ったから映画の中で本を読んで議論するひとが多かった
82 正しいことを言うのだから非難しないでくれと言うのがルネッサンスガリレオの裁判をおもう。それから500年後に、フランス革命は間違っても公に言っても非難するなと言い始めた
83 天皇主権の明治憲法を起草した伊藤博文は注釈を与えた。国の形について日本書記や古事記が支えると。現在、靖國神社は国家と憲法三権分立の上にあると言っているようなものだ
84 詩人ならば朝起きたら自分はライオンかもしれないと疑う。人間であるために詩を作る。憲法記念日はあなたは朝起きたらこの国に憲法が無いかもしれないと疑うべきだ。憲法とは何かを論じる


85 知らぬ幸せ。新聞を開くと、上場一部の大企業で素材技術などでアメリカの武器の生産に関わらないものはないのです。イラク戦争で日本企業は全体で百兆円儲けたと言われます。

86 プーチンは一国社会主義と連続性があると思っています。一国社会主義の完成が、現在の帝国ロシアの皇帝プーチンだとみています。帝国という意味は、ロシアは周辺国を軍事的に支配しなくてもいいからです。経済と文化の力で支配できてしまう。しかし周辺国の民主化が起きるとこれを決して許さない。軍事的に支配するやり方は帝国主義とおなじです。それは、帝国アメリカ、帝国中国、帝国拡大EUにおいても言えることです。世界資本主義が、自らを分割した帝国を通して、世界を支配しはじめたのが、イラク戦争以降です。日本左翼にこの認識がないと、経済問題を解決するためにローカルが宗教を利用すること、グローバルデモクラシーが要請されていることが、理解できないとおもいますね

87 フランス映画の偉大さとは偉大でない人間を描いた点にあったのだが、あのようにセレブを描いてはどうしようもないだろう。『アネックス』

『アネックス』は道化師を人生に還元している退屈。光を濫用している。映画から奪ったものを映画に返すことができない監督の映画とはこういうものか

88 わたしは新大久保が好き。在日とコリアの人々が投稿した思想を読めるのでFacebookも好きである

89 この十数年のあいだに読みはじめた古典だけれど、楽しいとおもったことはないが、外国語を読むときのプレッシャーは無いから苦しくなることもない。ずっと読んでやらないといけない

90 世界はコメディアンが必要だー笑いは互いに争う人々を武装解除させるー。テレビのタカ派大臣の高笑いやネットもなかも差別の笑いとかはあるんだけれど

91 国境なき記者団報道の自由度ランキングによると、日本は71位。一応戦争もしていないのにどうしてそんなに隠すことが多いのか?政財官は万歳だろうな

92 戦後憲法は先ず天皇主権を否定した


江戸時代は、津田左右吉によると、象徴天皇制が成立していたという見方があります。一番いいのは、権力が集中した東京にいると利用される危険もあるので、天皇やりたくないと言って(笑)、京都に帰っていただいて、天皇博物館の永久館長になっていただくのがよろしいかと。

それにしても左翼はむやみに天皇を否定するわりには、強力な共和主義の理論を作らないのが不思議です。多分天皇主権を否定した象徴天皇制の成熟に期待しているのが本音かもしれません。

戦後民主主義の問題は、民俗学的に、天皇をわれわれのなかにおけるものとして水平化しようとすることです。書かれて歴史を、語られた文学にしてしまおうとするのです。しかしむしろ事実のままにはっきりと古代は国家日本を確立した権力者として措定すべきです。そうすると、『古事記』は国家アイデンティティを作る天皇の編集であることがクリアーになります。大和言葉とか大和民族が語り伝えてきたものというような昭和10年代に教育がやったウソを、現在の安倍政治のナショナリズムの時代に復活させることは、どのような意図があるとしても、大変危険だと言わざるを得ません。

近々その点について触れた本の書評を書きます

93 日本は報道の自由度ランキング71位で、既に権利の無い社会なのに、口に猿ぐつわしてと独裁権に賛成する者が多い

•緊急事態に権利制限「改憲して対応」59% 朝日新聞世論調査


94 ハイデガー存在と時間』に、”単独性としての民族”という言葉があったか。これは思想家の思想の言語の外に出て理解してはいけない。私は彼との対話において読み返す時間があるか

95 ロンドンではドウルーズの本はカント『実践理性批判』と並んでいるが、東京は『純粋理性批判』の横にある。日本人は全体主義の問題を道徳の問題ではなく認識の問題だと考えている

96 日本のファシズム天皇ファシズムであるのに、ナチスファシズムを理解しようとして純粋全体主義を論じている。認識の問題である。行い的言葉を捉える道徳と倫理の問題ではない

97 バルザックの神秘的感覚で書いた短編で、不老不死を求めた老人が黄金の身体をもつという話があったが、これは『直毘霊』が強調する皇位の継承における連続性をおもってしまった

98 構造主義は終わっているしポスト構造主義の思想も亡くなってしまうかもしれない。日本では思想というものが終わり、これからは、過去はよかったとする絶対保守主義が主流となる無思想の時代。近代とは別のあり方を論じるポストモダンを論じる文芸誌もない。フェースブックはありがたい。ヨーロッパのポストモダンはルソーをどう読んだかを書いておこう。

99 おなじカトリック国なのに、プラトンの影響が非常に強いアイルランドとどちらかといえばアリストテレスの影響が強いフランスとは互いに違うんだね

100 文革を肯定し天安門前広場抗議弾圧を批判しなかった加々美光行が死んだ。日本人ー革命家、学者、ジャーナリスト、作家ーは中国の語られ方を作った。Inventing Chinaを考える