書くこと 900ー1000

1、ガリレオは正しいことを自由に言わせてくれと主張したが、社会契約説は王権神授説に対して間違っても自由に言わせてくれと言った。日本は契約論が統治の根拠しか意味を見出せないが

2

アボロジニーの歌は土地の情報をもっているらしいのですが、地図を見ないアイリッシュもそんな感じではないかとメディア研究の教授が話していました。どんなに遠いところも人に尋ねて行くのです。前近代的なものなのか、測量と地図によって植民地化を進めたイギリスにたいする反発なのかわかりませんが

在英アイリッシュのロック歌手は、「犬とアイリッシュはお断り」という張り紙がドアに貼られていた1950年代に、公園で死んだ祖先のために歌うと言っているのがいました。

オーガスタ・グレゴリーなんかのテーマがあります。アイルランド人は政治的抑圧から解放されたとき忘れていた歌を歌うことができるというものです。『ライジング・オブ・ザ・ムーン』はオーガスタ・グレゴリーの戯曲。 アングロ・アイリッシュの関係を考察する政治劇です。 1907年アイルランド国立劇場によって最初に制作されました。 これは、ジョン フォードの「月への昇華」の「21」のエピソードの基礎となっています。映画をご覧ください。ちなみに、「静かなる音」を制作したフォードはアイルランドIRAだった祖先探しのためにIRAに800万円を払いました。


アボロジニーの歌は土地の情報をもっているらしいのですが、地図を見ないアイリッシュもそんな感じではないかとメディア研究の教授が話していました。どんなに遠いところも地図を見ずに人に尋ねて行くのです。こては前近代的なものなのか、増税するために測量と地図によって植民地化を進めたイギリスにたいする反発なのかわかりませんが。

アイルランドの歴史で大切なのは、70年代の「血の日曜日事件」です。イラク戦争のときに米軍は当時の英軍がIRAに対して行ったと同じような過剰評価をイラクのゲリラにやっていると抗議したのは、U2でした。Good Friday におけるU2の影響力はだれも認めるでしょう。イラクは遠い国で政府は米軍に食料供給をしていただけでしたが、10万人のordinary people が爆撃されるイラクの人々のことをおもっておもわずダブリンの街頭に出ました。establishmentを確立させたイースター蜂起もこれほどの人間の数を知りません。結局米軍のイラク爆撃は止められませんでしたが、アイルランドの政治は政権交代と同性愛の大統領が登場するなど一気に民主化しました。元々は草の根運動であったシンフェインはポピュリズムの政党として、既成政党を批判するこの動きを利用して特にリーマンショック以降、議会に台頭してきました

芸術史はポストモダン的には、芸術の語られ方を作るものである。芸術は実体としては存在しない。芸術史の成立は、芸術が批評の中に存在し始める17世紀から。世界は外へ行く

思考可能性(社会契約論と社会主義)に、思考不可能なもの(復古主義昭和維新?)。これからは憲法を活かした文化多元主義の移民的国家観を思考せずば、絶対的保守主義

映像が先行する。死体が動物に喰われ無いようにと兵隊が埋葬する何というヒューマニズム。しかしその野獣は何処から来るのか?一国社会主義の完成態である皇帝の台座から

スターリンヒトラーとの独ソ不可侵条約によってナチス化した。東欧活動家達を処刑した。ドイツとの戦争に勝っただけなのにこれを神話化してウクライナ=ナチスを侵略している

ポスト構造主義の成立は、ヒトラーとの独ソ不可侵条約スターリンナチス化を知りながらハンガリー動乱までスターリンを支持したサルトルへの不信感とともにあった。思想界においてそのポスト構造主義の終焉が生じているのは、絶対的保守主義と共にスターリニズムに共感をもつ者が多くなって来たからではないか

9 宣長『直毘霊』は天地陰陽的な聖人の道の中国文明からの自立を求めた思想闘争が展開されている。天皇の天下を治める道による近代日本の成立の過去を良いとする現在は絶対的保守主義

10 連休中に新作の映画を五本観たのに、ゴダール気狂いピエロ』を見なかった。横浜でやっているらしい

11 昨日は五反田の喫茶店でオペラをDVDで聴きまくっているらしい男性が隣にいた。3時間は途切れず喋っていた。音楽を聴く自分を愛しているような人の話を聞くと私はほんとうに安心する。日本人というのは絶えず自身の豊かを否定して孤立しているものだから。伝統をゼロにした日本近代の罰だろうか

12 ロシアは世界一民主主義がない国と言われますが、デモをTVで見ていると日本よりよほど自由にやっています。警察主宰の自ら秩序化するデモの中は外よりも言論の自由が無いです

13 プーチンほど人間性に溢れた顔をした者はいません。ウクライナに抽象的な平和主義を求める人々の誰よりも高く、ウクライナの真の平和を望んでいるでしょう。ジェノサイドです

14 負の互酬であるヘイトスピーチはアジアを覆っています。それを最初にやったのは、日本の安倍晋三です。文在寅ではありませんよ。日本メディアはプーチンみたいに嘘をつくな

15 カントとヘーゲルの間に揺れるときは、わからなくなる。アジアの倫理観「隣どうしを大事にしよう」へ行く

16白井氏は、これからの日本思想史を背負う学者なので無視できません。彼は、中国からみた、アメリカから独立できない日本の精神の従属のあり方を論じておられるようですが、思想史をみるとややっこしい話で恐縮ですが、実はその中国からの見方も日本人が作ってきたことがあります。その点を私は考えてみたいと思うのですね。日本人の精神の従属は外部無しで日本人の内部で語ることができるのだろうかと

17 思想史は親不孝の始まり。絶対に完全な考え方は存在しないことを呈示する。思想家が語ることを深読みする必要がない。言説史とは思考と思考不可能なものとが並べる方法である。思考不可能なものが思考となって、そこから思考不可能なものとなったものと向き合う

18 ナダルとの間に共通がないように見えても、ラケットを少しゆっくり又は少し早めに振れば、ボールはネットに引っかからず外へ出ない。力の及ぶ範囲と力の及ばない範囲には壁が無い

19 ナショナリズムはダブリンとロンドンとでみたし、今日東京において目撃しているけれど、倫理学の知、知識人、民族主義、戦争の<関数>みたいなもんだ

20 体制の違いを無視して経済だけを話しあった日中国交回復。北京から帰った父は言った。「50年は持たない」。現在われわれはどんな中国とどのようにアジアを作るのか全く分からない

21 帰国後は木のお風呂に入れなかった。学徒出陣で中国へ行った京大出の叔父さんが私をお風呂を入れてくれる役割だった。手榴弾で焼けただれたその裸を普通に思っていた。本物の太平洋戦争は<事変>とされた偽物の日中戦争を証明を与えた。米英開戦のとき中国の日本兵は喜んだという。叔父さんはどう思ったか。叔父さんの本棚が母屋の一番奥の薄暗い廊下にあった。京大時代の経済学の本がある。高田保馬を取り出してこれを読むとだんだんわけがわからなくなってくる。「超克」という上滑りした言葉が彼方此方に出てくる。と、僕達の課題はアングロサクソン経済学とマルクス主義を超えることだったと叔父さんは言う。近経とマル経を両方勉強しておけというような話ではないらしい

22 今こそ過去の戦争について考えましょう。靖國神社の博物館に行くと、日中戦争は日華事変です。中国と戦争した反省をしない日本人はそれは事変とされた偽の戦争だったからです

23 香港、枢機卿や歌手ら逮捕 国安法違反の疑い


24 この歳で、オリジナルな思想をつくろうなどとは思わないのは怠け者かも。だが思想家をどう解釈するかという解釈の仕方に自己の思想がある。ポストモダン的にはそういうこと、すいません

25 わたしはドビュッシーがすきだ。天の音楽だ。わかっているのだ。しかし聴き入ってしまってほかのことがなにもできなくなる。天に向かって脱出する線を引かなければいけないのに

26 慰安婦像はそこにある限り、国家犯罪の存在、民族殺戮の怒り、人類に対する犯罪を日本国家がいかに取り組むのかを考えることができる。われわれの傍らにいるものといったら少女像。人間と勘違いしたわたしなんか横にいたこの模造品に芝居の感想を聞こうとした

27 原発運動と一緒にやっていた公害反対運動の現場では「事故が起きるとしたら福島だ」と言われていました。当時わたしは公害運動で酷い負け方と孤立を経験して、反原発運動にかかわる気力も体力もありませんでした。ですから、福島のときは、自分が安全神話に抗議しなかった自分に抗議するつもりで反対の声をあげました。戦争については、わたしの20代は中曽根首相の戦争神社と言われる靖國公式参拝があったのですが、だれも抗議しなかったような異常な世代が現在社会の中心にいます。これから少しづつ日中戦争のことについて書こうとしているのは、20代のときに自分に対する抗議があります。

昔は、総評の顧問弁護士をやっていた労働法教授から、原発の問題は原発労働組合が取り組むのだから、お前みたいなやつは黙っていろと言われました。

数年前に、組合の研究機関の人が、われわれの日本思想史の講座にやってきたのですが、「自分への抗議」のことを話すと、それはくだらないと言われました。原発を止めたら北海道の人々は冬を過ごせないのだぞと。そういう人達のことも考えなければいけないと。エネルギー供給の責任をもつ立場からの物言いですね。

たしかに、止めたら困る人達も存在するでしょう。

そんなわたしの「自分への抗議」などは私的なものに過ぎないでしょう。「公」(国家)の立場がエネルギー供給の責任者にとって大事です。しかし、その時は言い返せなかったのですが、私のものは、宗教的と言われるかもしれませんが、「天」と結びついているのではないでしょうか。事故も起きたのですし。そこまででなくとも、くだらなくとも、少なくとも、倫理的であるとおもっているのですが。

日本は、市民を公(国)と共に存在すると考えるようですが、ほんとうは、天と私において成立するものではないかとおもうのです。

これからは、国体ではなくて、天体。天の身体は自然

28 明治維新170年の「国体」よりも、『仙境異聞』の寅吉の二百年の「天体」をいわう。<天>と<私>の間の関係を、<公>(国)が奪うことはできない。天の身体は自然

29 単純に、「アメリカけしからん!」とおもえばいいし、「ロシアはけしからん!」でいいのではないですかね。デモのときに人数が増えるように媒介なく単純であることも大事

30 アメリカけしからん!」、「ロシアはけしからん!」、「拡大EUはけしからん!」、「中国はけしからん!」。必然として、彼らに支えられている「日本が一番けしからん!」

31 春秋時代辛亥革命の後の短い期間に中国は真に自由な思想の議論があった。辛亥革命に介入した北一輝は「東洋共和主義」を提唱できた。中国論をめぐる言説は北から始まる

32 春秋時代以来、辛亥革命後の短い期間に中国は真に自由な思想の可能性があった。量子力学の記す世界の如く総てが他の見方をもつ言説空間になった。しかし近代化するほど思想の可能性がなくなっていった。近代主義は思想の差異化の運動にたいする全体的回復として現れた。その近代は差異を全否定する文革をもたらす。と、考えてみたらどういうことが言えるだろうか。開発と技術と同化はどんどん進む、ポストモダン中国の無政府的な差異化の運動にたいして、今日独裁者習近平の体制が成立している。天安門広場前抗議日付を記憶から消そうとする独裁者の思想の自由に対する抑圧は頂点に達したが、日本よりも思想的議論があることはたしかだ

33 今日も中国の語られ方をつくった北一輝について少し書く。中国革命論で表象されるのは明治維新。彼を語る過剰な文学的語りがあるけれど国家主義団体黒龍会から中国に送り出された人

34 北一輝は宋教仁のお陰で辛亥革命の中心にいてそれを経験することができた。民主化が進まない挫折した上からの近代化である明治維新を語る言葉はそれとは別の言葉ー中国論を語る言葉において語られる。社会主義は国家に託される

35 香港は英国の植民地にされてはいたとはいえ、香港は今日の中国に対する抵抗を為す自由の観念を発展させたのだろう。香港の裁判所は英米法だった。大学時代に、法の支配の番人である、戦前の米国最高裁判事の判決文を読んだら、何が法であるかを発見した文が透明性の無い秘境的•儀式的エクリチュールで、これが英語なのかラテン語なのかフランス語なのかわけのわからない文だった

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37 判例法主義のイギリス法にはどんなに遡っても法は同じとする神秘主義と言わざるを得ない原則がある。実際には司法的決定の変更が起きるし五百年前より昔の法を読むことも困難らしい

38 海外は2年間は新聞を読まないとその国がわからないと言われる。2年間読めば見出しだけで何が書かれているかわかるようになるだけだ。過去の戦争をどう考えるのかは分からない

39 問題を起こしているイスラエルを非難したらナチス支持者の烙印を押されることほど怖いことはない。イスラエルについて批判的に発言できるのは相当な知識人であるとうかんじがする

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絶対平和主義からすれば成程、ロシアもウクライナも戦争しているということになる。だけどロシアの謝らなければいけない戦争とウクライナの謝る必要がない戦争はおなじものではない

日本人は中国にたいして行った謝らなければいけない侵略戦争を謝らないでいる。アメリカが行ったアジアへの侵略戦争にたいして行った謝る必要がない戦争をずっと謝っている

41 イギリスは多元主義へ開こうとするポストモダン倫理学と知識人の関係も、スペイン市民戦争の市民を支持したマスコミの戦争にたいする見方もはっきりしていた。だが宗教論が難しい

42 ポストモダン的には、西欧が思考できないイスラム祭政一致のことを語るのは別の文化圏である日本の言語かもしれない。憲法を活かした国家祭祀の禁止だけが日本のアイデンティテイ、ここから文化多元主義の移民国家(実際に、政府が明らかにしようとしないアジア人との結婚の現実がある)。これはヨーロッパもイスラムも注目するかもしれない。しかし皇統の連続性の絶対的保守主義に絡み取られてしまってはなあ

43 日本新聞の社説とか投稿欄では無いことだが、ヨーロッパ新聞の人気コメンテーターの文を読むと、500年前に言及する。こういう現在を、どう見るだろうかという物言いである。逆にいえば、500年前より昔の見方が真っ暗の中にあるとも言える。近代は500年前の17世紀にできたのだ。日本では江戸の成立である。

44 日本人を狂わす「万世一系」の観念を批判した北一輝天皇主権の民主主義を考えた吉野作造よりよほど左翼的。現天皇践祚の儀式は皇統の連続性の観念である絶対的保守主義。やめろ

45 馬鹿め、こんなことも分からないのか、と心の中で笑うのも、幸せのために、自己の力の範囲を超えることのないあり方か。大切なことが言われているのに知らなかった自分を恥じたほうがいいか。色々なひとの話を静かに聞くことは大事だとおもう

46 これから日本の主流となる、絶対的保守主義とは、安定してさえいれば、皇統が連続している過去の日本がよかったとする見方である。天皇の道を変えるな、だ

47 三権分立とは、国会が自分の仕事をする権利ー審議ーを政府が妨害することを許さない。安倍内閣憲法53条の臨時国会の召集要求に約3カ月間応じなかったことは三権分立に反する

48 イギリスには日本国憲法のような書かれた憲法が無いのはどうしてか?

法の言葉

判例法主義の英国法は幾ら遡っても法は同じとする神秘主義と言わざるを得ないような原則に支えられている。実際は司法的決定の変更が起きる。法は法が何であるかを発見すると同時に自らを隠蔽しなければいけない。それが、法を体系化してしまうと得られないような、法の安定性を与えるやり方。連続性の原理主義化を行うとすれば声を住処にするほかないだろう。体系は法の起源化である。

49 安定してさえいれば、皇統が連続している過去の日本がよかったとする絶対的保守主義で、しかし現実は変化しているのでかえって不安定になならないか?極右の声に翻弄され続ける

50 光と暗闇との共存をめぐる言語の論理的展開とそれを生と死との共存として受け入れることができるか。このギャップを隠蔽するものこそ、平田篤胤の幽顕の命名の芸術ではないか

51 知識人の先祖崇拝(鬼神論)といったら本当に変な話だが、無神論マルクス主義との思想闘争としての意味はある。テーマがフリール芝居”Aristocrat”では、プロテスタント系貴族に扮したカトリック人がプロテスタントの祖先が作った歌を合唱する。これも対立する住民たちの地域紛争の解決のイメージなのだ

52沖縄戦のこと、経済的自立を妨げる基地集中の苦しさ。何への復帰か?琉球の囲い込むことができぬ海への復帰でなければいけない筈だ。だが東シナ海の環境は全く違ってきてしまった

53 今日も北一輝についてちょっとだけ書く。革命の現場にいた北は中国革命の<語られ法>を作ったといえる。孫文翻訳語の米国連邦制ではなく中国の歴史と自治に基づくべきだとした

54 日本人は現代中国にたいしてヨソヨソしいが、ずっとそうだったわけではなくて1910年代はヨソヨソしくなかった。神田は記憶している

55 プーチンをみると、ルートヴィッヒが正しかったのです。彼を監禁し監視することになる大臣たちからすると、ルートヴィッヒ王の予算の使い方が異常だとされましたが、しかしビスマルクの大ドイツ時代にたいして、戦争の国家にならないように、芸術の国家のあり方を考えていたのではないでしょうか。

56 レヴィストロースの近親相姦の禁止は自然か文化かとデリダは問うたが、皇統の連続性は非連続性ー分割できる全体性ーの禁止である。それは生命的自然か文化かどっちなんだろう

57 多分われわれがやらなければいけないのは思考の平面としての中国の表象を作ること。その平面においては、単純に、中国と日本とは違いに隣同士である

58 Fellini est plus grand que le cinéma 

付け加える言葉は無し

59 ヨーロッパになろうとしてヨーロッパから受け入れられないって話ね、ロシア文学の<語られ方>。そこにはどうしておれたちはコピーでしかないんだという劣等感のことが言われるが、ヨーロッパ人はどうしておれたちはオリジナルでしかないんだというタイプのコンプレックスがポストモダンの時代に出てきた

60 起源をもつ話ーわれわれは何処から来てどこへ行くのかーは、ポストモダンの時代は、非難されることになった。しかしポストモダンは終わるかもしれない。近代批判はもう雑誌に登場することはないし、フェースブックでも語られることはないのである。絶対的保守主義の幕開けである

61 思想空間とは距離の言語化である。それは自然科学の言語ではないから、裏側に、吉本隆明が言うような党派的なものがある。逃げれない嫌になる

62 今日も少しだけ北一輝について書く。北は、天皇主権の民主主義を批判していた。私の見解ではあるが、この点に関しては吉野作造よりも左翼的だった。昭和維新は取り上げる価値のないくだらないもの。しかし北を左翼か右翼かと言う必要がないと思う。北は中国の語られ方をどう作ったかを考えるのが子安先生の本を読む私の構成です。革命中国に過剰に託した「愚島人日本」は問題があったが、かくも中国がどうして大切かといえば、日本の民主化は中国の民主化がないと成立しないからだ。今日も中国の民主化を要求するためには日本が自ら民主化しなければならない

世界民主主義の確立がなければ、来年は第三次世界大戦かもしれない

63 世界民主主義の確立がなければ第三次世界大戦かもしれない。世界民主主義の確立はその後になるのか?日本の方向はわれわれ自身ー天皇制近代国家の過去をよしとする絶対的保守主義


64 ジョーナリズムは叫ぶ。学者は真理を認識する。思考の柔軟性が働く、叫びと認識とのあいだの領域があるはずなのだ。文学的語りが占拠できるのはここではないか

65 国家中心主義である必要がないといい始めた1970年代のポストモダンを理解するためには、ドレヒュス事件からはじめるべきだとわたしは考える。1870年から、近代は国家を作るために排除すべき国家に属さない他者を必要としなければいけなかった。「ユダヤ人問題」とは国家が「他者」の語られ方をどう作るかの見方の問題である。近代国家は排除すべき他者を「ユダヤ人」と命名したのであって、そもそも「ユダヤ人」は実体として存在すると考えるべきではない。さて近代批判のポストモダンが終わる日本の主流は天皇制近代国家を良しとする絶対的保守主義になってしまうようでは、この見方を批判的に相対化する視点がなくなるので、嫌韓も反中もやめることができなくなる


アイルランド人ほど差別を受けてきた民はないのですが、アイルランドは独立したとき、そのナショナリズムによって、ユダヤ人コミュニティーを絶滅させてしまうのですね。アイルランドは独立できたかと言うと、政治的に独立しただけで、経済的に独立できません。そうすると、女性に対する二重の搾取が起きてきました。女性は国家アイルランドを支配するものに搾取されるし、アイルランド国家の中においても民族主義から搾取されるのです

詳しくか必要があるでしょうが、絶対的保守主義は差別の原因です。わたしは差別とは思想問題であると思いますから、人々が市民の思想を持てば解決できるのではないかとおもっています。


66 戦争犯罪人の遺伝子をもつ吸血鬼は、現在増殖中。安倍は政治の信念が無いし、アジアへの共感もなく、本当に台湾の為を考えているのではなくただ反中の立場から言及しているだけ

67 明治維新の国家民族主義のリアリズムと神の皇位の連続性の神話とは均衡しても不安定である。戦前を繰り返すな。それではやっていけないイメージを作るのは芸術家だし、依拠できる世界民主主義の言語を語るのは知識人だ


68 ロシアから亡命するひとの話はどんどん出てくる。ウクライナから避難したいひとの話があっても、亡命したというひとの話はまだ聞いたことがない


日本は政治亡命が起きない国だから、ほんとうのところ、プーチンが支配するロシアの体制を理解できないのではないか..

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70 中国文明からの自立を考えた宣長の絶対的保守主義は注釈学的に正統的に構成されていても、救済論の不在が昭和10年代の近代天皇制国家の死と国家と結びついた事実は私は受け入れることができるだろうか。否、やはり受け入れられない。和辻が異端とした篤胤の救済論をもつ顕幽二元論は意味があるとおもった

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宣長は神(シン)に神(カミ)という名を与えたのだと思います。篤胤は、その名のまわりに第二の名を与えます(「天、地、泉」)。そうして言語的存在である人間は言語の端において異端の側から言語の存在の意味を考えていくことができるようになった。つまり言語は『直毘魂』と共にわれわれ自身の起源に絡み取られていたが、言語は、言語の不可避の他者である<われわれは何処からきたのか><何処へ行くのか>の「われわれ」を考えるようになる.. 島崎藤村『夜明け前』


言語(ランガージュ)の芸術(アール)は「記号(シーニュ)をつくること」ーすなわち、何かを記号によって示す(シニフィエ)とともに、その物のまわりにさらに記号(シーニュ)を配置することであった。したがってそれはまず名をあたえる芸術(アール)であり、ついで指示的であると同時に装飾的な二重化によって、この名をとらえ、幽閉し、包みかくし、この名の遅延した現前、第二の記号(シーニュ)、比喩形象(フィギュール)、修辞的華美であるべつの名をもって、最初の名をさらに指示する芸術(アール)であった。ところで、十九世紀全般にわたって、さらに今日のわれわれにいたるまで、ーすなわち、ヘルダーリンからマラルメ、アントナン•アルトーにいたるまでー文学がしの自律性において実在し、他のいっさいの言語(ランガージュ)から深い断絶をもって切り離されているのは、それが一種の「反=言説(デイスクール)」を形成し、そうすることによって、言語(ランガージュ)の表象的機能あるいは記号をなす(シニフィエ)機能から、十六世紀以来忘れられていたあの生のままの存在(エートル)へとさかのぼったからにほかならない。

ーフーコ「言葉と物』第二章 世界という散文


L’art du langage était une manière de < faire signe >,ーà la fois de signifier quelque chose et de disposer, autour de cette chose, de signes: un art donc de nommer et puis,  par un redoublement à la fois démonstratif et décoratif , de capter ce nom, de l’enfermer et de le celer, de le désigner à son tour par d’autre noms qui en étaient la présence différée, le signe second, la figure, l’apparat rhétorique. Or, tout au long du XIXe siècle et jusqu’à nous encoreーde Hölderlin à Mallaremé, à Antonin Artaud ー, la littérature n’a existé dans son autonomie, elle ne s’est dètachée de tout autre langage par une coupure profonde qu’en formant une sorte de <contre-discours >, et en remontant ainsi de la fonction répresentative ou signifiante du langage à cet être brut oublié depuis le 16e siècle.

ーFoucault  La prose du monde

72 80年代は革命はどうして互いに消滅しあってしまうのか、おっかないよな、これについて考えないひとはいなかったとおもうが、どうも日本左翼だけは全然反省していないようだ

73 イスラエルはけしからんし、ロシアはけしからん。単純にそうなんだ。ところがこの時代に全部アメリカがけしからんと言ってしまっては、ウクライナもなくなるし結局パレスチナもなくなる

74 ジョイスは『ユリシーズ』の主人公を一番疎外されていたユダヤアイリッシュにした。今日だったらイスラムを主人公にしただろう。文学から考え始めるのは文学は反-言説的だから

75 実存主義の近代か、国家と一体となって死を主体的に選択した戦前があった。そんなに国家を中心に考えなくていいよというのがポストモダン。市場に任せればO.Kという話とは違う

76 国学を勉強したひとの話をきくと、自分の優越性を訴えながら、日本人の思想の仕事を見下すのは、中国がホンモノで日本は偽物であるという思い込みだけ。これも困ったものだ

77 平田国学が民衆に受け入れられたというときの「民衆」は下級武士と豪農、神官などで、庶民ではなかった。幕末の民衆が信じているのは仏教と淫祠邪教で、平田派国学を信じている草莽の志士は明治維新のときに一揆天狗党の乱など)を起こして壊滅したり、明治の神祇官制で排除されたりするので、結局政治的には敗北していて、その隙に教育勅語国家総動員令などで庶民が天皇制神学に教化された」

78 ルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』という映画があって、この映画がブルジョアの登場人物たちが部屋から出られなくなる様子を描いているのですが、あらためてこれを観て、現在の安倍の部屋から出られなくなった国民のファショ的な状況をわたしは思うのです。ファシズムというのは実は、隅々まで監視されているのではなく、映画を観ると気がつくのですが、閉じこまれた人々のあいだにある程度の自由があります。ファシズムとはブルジョア的自由(プライバシーの権利)と両立している体制なのではないでしょうか。だから何が言いたいかと申しますと、全体主義に対して、「自由」を求めても、全体主義にそこそこの自由があるから、戦いにならないのではないかと考えはじめました。安倍政治のもとで、市民の自由は完全に否定されてはおらずそこそこの民主主義もあることはあるが、絶対的保守主義が主流となる中で彼の体制ー解釈改憲軍国主義の復活と公式参拝天皇教を為すナショナリズムーではもうやっていけないということを明確に主張しなければいけません

79 法は対立する当事者の紛争を解決しなければいけない。裁判とは何が法であるかを宣言してその法を紛争当事者に適用して当事者を救済するのである。ところが裁判所型違憲審査権の場合、憲法を解釈した結果、司法権を超えることが起きるとこれを自己抑制する。当事者は救済されない。それではなんのための裁判所なのかという問題が起きてくる

80 宇宙を制作した神が時計の如く中立的に宇宙を支配する法として超越的にあるようではね。宗教は救済できない。神は救済する人との間に距離があったら媒介するものがなければいけない

81 本居宣長国学をしっかり学ぶためには大和心が必要だと言ったらしい。死後の弟子である平田篤胤はそのためには魂の行方が定まらなければいけないという。学問は救済が必要なのだ。芸術はどうか?芸術も魂の行方が定まっていなければいけないか。ワグナーはコジマと一緒に墓を見てから作曲に取り組んだ映画の場面を思い出した..かれの最後はヴェネツィアだった

82 年内に、年老いた母の世話のために茅ヶ崎にすむことを考えている。東京とはおさらばだ。高田馬場、恵比寿、五反田にいた。夜の海鳴りをきいて大きな画布で油絵を描きたい

83 

「語り得ないものについては、沈黙せよ」か?ロンドンのTate Modernにウィットゲンシュタインを教えてくれた哲学の先生と詩の先生がいましたが、激しく言い合いをしていました。哲学は芸術における語り得ない表象を批判しますし、多分無神論的な方向をもっていますし、詩人は表象は何か救済におけるようなものとしてとらえていました。現在私は、この問題を、本居宣長平田篤胤の差異に則して考えているような気がする。彼らが論じたのは芸術ではなくて死後の世界についてだった。死後の世界について、宣長は仏教と儒教を批判しながら人の知が測り得ないものを語り得ないとするが、篤胤は天主教を読んだらしいが救済される世界を語っている。目に見える世界(「顕」)と目に見えない世界(「幽」))との交換関係を考えた。考えたと言っても、異端であって、失敗と逸脱と越境ですね。篤胤はこの失敗と逸脱と越境を通して、言語に絡むことが可能になっているだと思うのですがね

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原発“運転差し止め”命じる判決 北海道・泊原発津波に関する安全性の基準満たさず…」

安全神話原発災害のときは、街の普通のおばちゃんが電気を使わないと友達に説得した。「ストライキ」だったかはわからないが、解決を原発を推進してきた政財界司マに任ねられない市民の発言だった

85 ハイデガーが死に向かった存在を考える前に、宣長は救済なき死後に投げだされた存在を語っていた。結局神と皇位が連続した国家しか無い。そうして昭和は国家と一体となった死を主体的に選択した世代が教育から生まれてきた。ハンナ•アーレントハイデガーとは別に、生に向かった存在のあり方を考える哲学を構築しようとした。『人間の条件』は月に行った宇宙飛行士の話から始まる。移民たちはわれわれに生を与えてくれる不可避の他者なのだ。平田篤胤宣長とは別に、魂の行方ー救済ある死後の世界ーを語り出した。それは王政復古や教育勅語とは異なる生のあり方であった。『夜明け前』は明治政府から追放された平田派の農村における社会改革運動を語っている。


86 ヨーロッパ古代の人は本を置いていない部屋に来ると魂がない空間にいると思った。映画も多数の部屋だ。本が存在しない映画を見るとただの壁に思う。ゴダールの前はそうではなかった

87 

大阪の中之島図書館に行ったら伊藤仁斎の『語孟字義』が展示してあった。一行も読めなかったが、子安先生からこの本をいただいて10年たった。まだまだ難しいが、何とか思想を考えることができるようになった

88 左翼は彼らの目標である平等がどうしても進まないので、あえて敵(右翼)の側から発言することによって敵(右翼)をやっつけてしまおうとする。右翼も右翼で、敵(左翼)に対して同じ作戦に出る。左翼的なことをいう右翼が現れた。結局ポピュリズムが展開するなかで誰が何を言っているのかわからなくなってきた。思想に関して左翼だとか右翼だと言う必要がなかったのかもしれない。差異化しか存在しないのだから

89 神道に救い無し。死後に救いがないことが救いであると宣長は言いきる。『古事記』に基づいて説明するが、儒学からの論争に反論した宣長神道は思想でありしたがって差異である

90 宣長は徹底した理念性批判である。光が理念の領域だとすると彼は理念的救済無き暗闇の黄泉の国を語ることができる。篤胤は師の宣長と違って、魂の行方を考えた。目に見える世界を成立させる光がある。かれは光と暗闇の交換を考えた。曙は背後からの光が闇に広がる。いきなりやってくるそんな光は多分、超越性がないのだ。宣長におけるのとおなじように、善悪が無いのではないか

91 国学は、朱子学と思想闘争した古学と思想闘争を行った。国学の中で正統と異端との間に死後の救済をめぐる議論の対立がある。顕世からは何処に属するがどこの部分とならぬ幽を簡単に見えないと篤胤は言い出すのは五百年におけるこの言説空間においてである

92 西欧の道徳は市民倫理学ethics。大逆事件で自由思想を恐れた政府が対抗的に国家道徳を普及させる。戦争責任がある和辻は評価されたのであり、彼が嫌った平田篤胤は異端となる

93 中国の東シナ海の進出を分析しながら民主台湾を助ける専守防衛を中国外交と共に考えなければいけないのに、あまりに安易な先制攻撃の核体制防衛にまっしぐら。パニクっていませんか?

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95 フランスは思想家が現れない。絶対的保守主義の日本ではポストモダンの終焉だ。『言葉と物』の人間の終焉の後にヴェラスケスの絵が再び現れるのは何故か言葉を記したいー墓碑として

96 タカミムスビノカミの吐く息から風の神さまが生まれる。アイオロスはギリシア神話の風の神。ジョイスユリシーズ』では印刷機の新聞を刷る音が息みたいでアイオロスが喚起される

97 人間が死んだら屍から分離する霊魂があるように、死んだ思想は霊魂があるのか?思想の霊魂は人の霊魂が墓の上に留まるように本に留まるのか?絶対的保守主義は死者の息をめくる

98そこそこの自由がある現在は民主主義を問うことがない。天皇ファシズムはこれを望まなかっただろうか。市民的自由を否定し尽くす緊急事態法は民主主義を考えさせる危険がある筈なんだが

99 中学生のとき、将来何になりたいかと聞かれて、「人民になりたい」と答えたら、先生たちが騒然とした。同学年の前で喋る機会があって、そのときは「大衆になりたい」と言った

100 言語的存在である私は、思想の平面ー日本思想史の地下茎を為す百年間を切り取った中国論をめぐる言説空間に逃げようとしている。五百年間における地下茎としての鬼神論をめぐる言説空間へ逃げるように

101 国が責任をもたない原発災害をみると、戦前日本は幸徳と大杉に恐れたのは国家から独立するアナキズムではなかったのではないか。彼らが転回した、小田実的な、国家から自立する市民の台頭を恐れていた。先回りして、国に逆らうと怖いぞという、21世紀になっても市民が立ち上がれない恐怖を与えた

102 ポストモダン的には、線的なもの、平面的なもの、投射できないもの、をそれぞれ、徳川日本、明治日本、昭和日本とい呼ぶことができよう。日本は一つにあらず

103 静謐な形態である「一般的等価形式」(マルクス)は論理的だgrammaticalけれど、支えられないunacceptable 。奥行きのある「貨幣形態」が要請される。静謐な形態である古典主義の立ち位置は論理的であるけれど、外部からは、支えられない(不安定なまま均衡している)。均衡バロックでは偶然が音楽的律動を伴って奥行きのある相対的な暗さのなかに要請される


デウス・エクス・マキナdeus ex machina)としての人間がその偶然であるかもしれません


104 被爆した市民の声が一面に載るのは日本の新聞だからである。貴重である。アングロサクソンの新聞では何かヒーローでないと一面に登場できないだろう

105 最高裁の判決は安全神話を推進した司法は問題を解決することが倫理的に不可能であることを教える。裁判官も市民であるのに、なぜ彼らが依拠しているのは、国は間違いを侵さないというような国家道徳なのだろうか?わたしは芸術の周縁にいるマイナーなアーチストだが、芸術はこの問題をどう考えるのかを答えなければいけないとおもう。和辻は芸術と倫理との関係を説いたが、これはわたしが考えようとするものとまったく別のものである。

106 最高裁の判決は安全神話を推進した司法は問題を解決することが倫理的に不可能であることを教える。裁判官も市民であるのに、なぜ彼らが依拠しているのは、国は間違いを侵さないというような国家道徳なのだろうか?わたしは芸術の周縁にいるマイナーなアーチストだが、芸術はこの問題をどう考えるのかを答えなければいけないとおもう。和辻は芸術と倫理との関係を説いたが、これはわたしが考えようとするものとまったく別のものである。

107 いいなぁ、この映像。詩人李白の猿の人間の悲哀な声に<相似>する魔術的な世界があった。詩人の解放感を表現する狂気。唐の時代、ここから朱子の<差異と同一性>(猿は人間にちかいほど理が透明である。ひとに次ぐ精神的存在)への変遷のことをおもう。宋代の詩人蘇軾におけるコスモロジーへと