書くこと 1000−1100

1、オデュッセウスはトロヤ落城後、さらに10年にわたって各地を放浪した。わたしも10年ぐらい海外にいた。東京に帰還して?10年間の勉強が大事だった。『古事記』を読んでいる

2、動植物を表現した北方神話とかケルト神話ね、ワグナーのオペラを楽しむぐらいの知識しか私は知らないが、王は詩人であり僧侶階級と一体となっているという政教一致のイメージがある

3 政教一致について考える


戦後の宗教ナショナリズムは、イスラム教国などは、政教分離の近代を受け入れてはやって行くことができないという主張です。戦後は違いますが、明治維新政教一致でした。神道が宗教ではなく自らを憲法の上に立つ国家として主張しましたが、現在も安倍応援団の日本会議ではその戦前とおなじ主張をそのとおりに喋っています。

神道は元々は儒家神道でした。街頭で鈴を鳴らして人々に色々と反省をするように説教したのです。おみくじにその痕跡があります。ところが宣長が考えたことは、神を心の外に置くことでした。そうして祀られる神が成立しました。わたしたちのように心の中の神との対話を行うものは、靖國参拝みたいにみんなに祈りを見せびらかすというのは恥ずかしく感じます。

ヨーロッパはイスラムとの関係を作るために新しい普遍主義を模索していますー極右翼に足を引っ張られてますが。ヨーロッパのわたしの友人たちは、政教一致の文化(インドとか)を理解しようと一生懸命勉強していました。

間違ったことをいうかもしれませんが、こんなに天皇大好きな国民です、やはり政教一致の国なんだろうと思います。しかし大事なことは、天皇から、戦前にもっていた一切の政治権力を奪いましたー死者を支配する権力も含めて。そうして民主主義と両立してきた戦後の経験についてイスラムとヨーロッパは注目してもいいと思います。神話は国家である主張をやめて憲法のもとに成立する一宗教であることを自覚しなければいけません。余計な話かもしれないですが、孔子ブッダ、またキリストは国家祭祀を止めることを主張していった思想家たちです。


厄介なのは「民族」です。「民族」というのはドイツ語訳で、井上による種族という生物学の影響のある訳もあったようですが、大正時代に「民族」の語が成立しました。そういう意味では、問題がたくさんありそうな後期水戸学は、民族の語を知りませんでした。軍国主義の復活と国家祭祀を認める解釈改憲を前提に、日本会議と安倍が推し進めているのが、皇室に依存しない天皇教で、これは民族ナショナリズムのことです。

象徴天皇制の成熟を期する声がありますが、わたしはアイルランド帰りの共和主義者ですから、天皇を廃止すべきだと思います。京都に帰ってもらって、天皇博物館の世襲館長をやっていただくのがよいです。しかし廃止すると、こんなに天皇大好きの国民ですから、天皇を返せと叫ぶウルトラナショナリズムが起きる心配があります。ただ、能力があるのに女性だからといって天皇になれないのはすごく不平等だと思います。国会議員の異常な少なさとか、日本は女性の知性を破壊するものが多すぎます

le vrais cinéma était celui ne peut se voir

真の映画とは、見ることのできない映画だった。収容所の映画は存在しなかった。

真の映画が映画史の認識に介入する。

敵基地攻撃の防衛なんて、弱い国がやる復讐だよ。日本も北朝鮮にあったら中国から自由でない影響のもとにおなじことをするでしょう。強い国ならば海に落ちるミサイルを許す。知性のある国ならば無視する

フランス現代思想とか言っていた日本ポストモダンが空になっちゃったのは、エクリチュール論を中国から切り離したこと、また倫理学を中国の歴史から切り離したことによる

差異は存在する。差異が無いものはない。そうして70年代からポストモダンの学者的議論は、差異消去の近代主義から生まれた全体主義totalitarisme と近代批判のファシズムの差異を明らかにしてみせた。丸山真男近代主義がとらえることができなかった、近代主義天皇ファシズムと、国家と死が互いに切り離しできない絶対的保守主義とは別の見方を打ち出した脱近代の平田篤胤の政治神学との差異を考えなければいけないー 安倍政治を終わらすため


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10 原理主義者の支持を受けたトランプが最高裁に送り込んだ裁判官たちが女性自己決定権を否定している。これは政治問題である

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12 得票率2%を越えなければ、社民党は政党の要件を失うのか!?社会民主主義の政党を潰してきた国民は現在、そのツケを払っている。権利の無い社会になってきた

13 貨幣とは何か?

貨幣論をめぐる言説は宗教的である。貨幣は神か?貨幣は商品では無いと考えたらどういうことが言えるか?そのように貨幣は商品世界の外部からきたと考えたときは、外部の痕跡を残したまま超越性をもつことを誤魔化さなければいけない。他方で貨幣は商品であると考えたらどんなことになるか?貨幣は地上世界を覆っている商品世界の内部からきたと構成した場合は、救済者として受け入れられるのは、貨幣はほかでもない商品だからである。

14 東京帰還の年、芝居小屋で渡辺一民氏からチラシを手渡された市民大学講座「20世紀の精神」に行った。スターリニズム批判とポストモダンを語った。帝国批判の21世紀の精神は何か

15 平田篤胤だけではない。映画監督も救済論を言う人がいる

16 ゼウスとダナエ

イタリア人の友人が言うには、ギリシャ神話は神々は性的な欲望を追いかけてばかりだという。ベルルスコーニの時代のカネが何でもモノを言う政治腐敗に対する怒りが反映された見方かもしれない。日本神話の神々が協力して光を与える太陽神を岩戸から出したという話に関心していた。へえーそうなのかなとわたしは半信半疑で聞いた。しかし日本神話は理解されるのである。世界神話のなかのギリシャ神話と古事記はなにを伝えるのか?

17 オイディプスの悲劇

オイディプスの娘アンティゴネは彼と共に生きる。ギリシャ神話に伝えられていたことはすでにエジプト神話において語られていたというが、エジプト神話は神の裁き(罰)を受けても生き延びる人間を知らなかった

18 国家(最高裁)は、女性の身体のある部分は女性に属するが、生殖に関する部分はトランプの共和党(=父)に属することを教えているということですが、まるで女性の身体の上に大きなナイフで引き裂かれた戦場の境界線があるようです。この分割は受け入れることができません。今日女性が他者として尊敬されるようになった、日本でこのことを考える意味ですが、この分割に抗議できなければ、自分に都合よく女性を尊敬しているだけで、女性を尊敬しているとは言えないのではないかと思うのです、自身への反省を込めて

19 思考の線である絵は、卑屈な線、臆病な線、勝手気ままで乱暴な線も加わったほうが面白いのではないか。革命から排除される、卑屈さと臆病、横暴もかくの如き思考の形を表現するから

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異端者たち


嗚呼、またあちらで呟きがはじまった。

いきなり光は外部からやってきた。

光が夜を打ち砕くのは背後からである。

しかしその光が外部の痕跡を残しながら

超越性を確立できるものだろうか?

否である。

いくら光と超越性とが均衡しても不安定なままである。それでは光は救済できない。

そうして異端者が認識に介入することになった。

光と闇の交換を物語った。

夜が沈黙の拡がりをともなって世界を浸すのである

そもそも闇は地上世界を覆い尽くしたところからきたので、

闇の救済者を死者たちは受け入れることができるのである。

闇の入り口は至る所にある。

こうして聖なる火が国家の理性と共に包摂しても、光を支えるのは民の側における至高な闇である


21 わたしは三木清がいう絶対的な伝統主義者でありたい。絶対的保守主義に抗う異端の思想をもつ市民である。アナキストのようには国家からの独立を求めないが、「一人ひとりマイノリティ」であるような自立が大事だとおもう

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23 クロノスカルテットの来日は18年ぶり。ニューヨークのセントラルパークでやったdifferent trainsは衝撃を受けた。ダブリンのベケットがいた高校でも演奏を聴いた

24 思想を作ったりせずにまた思想を自分のものにしようとしないひとたちが、言論の自由のことは盛んに言って激しくこれを求めるのは、思想の自由を実現できない代償の如きものにみえる

25 朝起きてみたら、言いづらいことですが、われわれはすべてのことが馬鹿げていると感じているのではないでしょうか

26 神と天皇との連続性を言う絶対的保守主義を序文にもつ『古事記』を読み解く文献学者•本居宣長の仕事を通じて、言語支配者ー他者ーの言語のなかに日本語が発見された。

27 読めているかわからない私の理解だけれど、アポロン的なものが一度確立してしまうと、それを否定できなくなるが、アポロン的なものの中でそれとは別のものが生まれる。他のものが力である。ポストモダンニーチェの力を差異として考える。「強さのペシミズム」とは過剰さのことか。「ニーベルングの指環」のヴォータンは、神は人間のように矛盾を持つことができないと言う。神は同一性の反復である。他方で差異としての矛盾は過剰さである。文献学者ニーチェはドイツ精神の復興をみたギリシャ悲劇を読み解きながら、構造に還元できない、絶えざる差異の運動をもつものを表象してこれを言語と呼んで、かくの如くギリシャ語が存在することを言語の存在として発見した

28 日本思想史の考えでは、古代の国家日本は<嫌韓>の成立と共に誕生した。戦争の大陸との間に境界線を作った。<嫌韓>を終わらす為には移民的国家の文化多元主義を制作するほかない

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30 『西欧哲学史』のラッセルのマルクス主義を救済論をもつ宗教として分析したのは読ませるが、カールポッパーと同様、反証の精神もなく何でもかんでも喋り出す主観の知に対しては警戒した

31 ヨーロッパは学のある人でも日本も憲法があると伝えると吃驚でした。そんななのに、中には日本は憲法を要らないと言うものもいます。私は困惑しました。しかし彼らはアジアを語る知の権力をもっているのです。その知は、われわれが有り難がっている人文科学の知の成立と共にあるのです。そこで人間は500年前にぐらいに現れました。ニーチェは「神は死んだ」と言ったときは、「神」は人間を意味していました。こういうことは、近代の終焉が始まった1970年代から議論されることになりました。

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33 レニ•リーフェンシュタールは初めて五輪に祝祭を表現した。市川崑の五輪は肉体のレンズ化。東京五輪映画はスポーツは極右翼政治家を不可避とするナショナリズムであることを示した

34 大国主神ここに在るあそこ。『霊の真柱』の平田篤胤では大国主神による幽政は天皇の顕政に従属するとされていたが、『古史伝』は、此世は「寓世(かりのよ) で、「幽世(かくりよ)」こそが「本世(もとつよ)」であるという。天守教の影響が言われる篤胤は宗教を神話的に理解した

35 ルーベンスの絵にハリウッド映画を発見できると絵画史では言われます。この場合、発見とはどういう意味でしょうか?本居宣長は『古事記』に古代日本語を発見しました。

36 デレクジャーマンはヴィットゲンシュタインの映画を作った。テリーイーグルトンが脚本の原アイデアを書いたようだ。映画の中で、ヴィットゲンシュタインは哲学する為にロシアに行くと師ラッセル告げた。師はオックスフォードから離れることをやめさせようと彼に説得した。「ロシアではおまえみたいに働かない奴は銃殺だぞ」。今度はヴィットゲンシュタインはアイルランドに行きたいと師にいう。「何しにアイルランドへ行くんだ?」、「働くためにです、哲学で」、「冗談言え!あそこの国は、働くと言いだすと、飲んだくれの連中に殺されちゃうんだぞ」

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論語』はかくも短く書いてあるのはどうしてだろうか?その目的は、東欧の文学が検閲を避けるために非常に読めない文で書いているのと同じだとおもう。『論語』のかくの如く一見政治的主張が無く平易に書く狡猾さのおかげで、儒教知識人を弾圧してきた皇帝権力をいきぬくことができたのではないか。

儒教は他の宗教と違って、義憤を認めているから、「ロシアはけしからん」とするのはいいが、ロシア憎しでは、プーチンに負かされている。熱狂の中で日本はロシアの徳を壊す軍国主義と同じになっている

38 ゴダールがあえて映画の死を宣言したのだが、この意味は映画の霊魂は映画と共にあっても、また離れていても、生きることだった。現にこうして映画について語っているではないか

39 FWのジョイスアイルランドの霊魂を書いた。それはアイルランドと共にあろうと、自分の決めた亡命者によってアイルランドから離れても生きている。至る所にHCEの徴が

40 新しく考えるようになったことが絵の構成に反映されることがある。そうだとして、しかしまだ頭ではわかっていなかったが手が考えていたと言わざるを得ないことがある

41 日本思想史のなかで平田篤胤のようにキリスト教の影響をうけて思想を構成するものは例外的であった。江戸中期,享保の改革の一環として8代将軍徳川吉宗が実施した洋学奨励政策があったことを知らなければいけない。

42 国家中心主義でないと非体系的で非学問的だとみなされることが起きる。狂気であると。だが国家が狂気であるかもしれないのだ。復活してはならぬ戦前の国家神道がそういうものだった

43 ロッセリーニの絶望的に退屈なテレビシリーズがあるが、デカルトはオランダとフランスとイギリスの間で行ったり来たりしている。いつ考えるのかとおもうが、外部で考えていたのだろう。

フーコは、デカルトの「われ考える、ゆえに、われ存在する」意義を再発見するために、「われは国家の外で考える、ゆえにわれは国家の外で存在する」と構成したと私は思う


国家中心主義ではなくて国家の外から考えた思想家として、デカルトと篤胤の名をあげなければいけない。救済論の篤胤は、死を国家に託す国家中心主義においては考えることが不可能なものを考える


44 ロッセリーニのテレビシリーズの退屈は、映画と違って容貌がみにくい男を主役にしたからだと言われるが、しかし『ルイ14世』は面白い。『アウグスティヌス』をゴダールは褒める

45 平等主義の近代は表象の時代が終わり人格の深さをみる。認識の対象となった人間は消滅する。だが差別は終わらないので、再び畏怖すべき化物の顔とかの表層で他者性を構成するとか

46 初期マルクスは知識への平等なアクセスの意義を主張していました。教育の無償化はその実現です。アイルランドは大学の授業料はただです。社民党はここで頑張っていただきたいです

47 米国が教育を充実させないのは、チョムスキーによると、政府批判できる知性の育成を恐れているからだ。教育も民主主義の為にではなく、日本学歴社会の差別を再生産するのは意味ない

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芸術の思想と新しい時代の市民の倫理


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チャールズ皇太子ポストモダン建築の出現で変貌したロンドンの外観に、全体的調和が無いと不平を述べた。倫理的な意味をこめた非難かもしれない。芸術と倫理の不即の関係を考える。

ポストモダンの建築とは、地図の上に配置されるようには表象されずに、都市と等身大の巨大な本(例、ジョイスユリシーズ』)が開かれた頁の上に配置されるというものである。

ポストモダンの家は、床が無い。柱も屋根もない。階段はあるかもしれないという脱構築的なものである。これは言語を住処とする移民的国家の文化多元主義の倫理を考えさせると思う。

51倫理といえば、国民文化を体現した、芸術と結びついた古代日本が語られるが、古代の人々は「清明心」のようなそんな狭い対象ではなくもっと広い知識をもっていたかもしれないと思う

52 幸徳と大杉が民衆が依拠するヨーロッパの市民倫理を打ち出したことに対して、国家の側は危機感をもった結果、統制するために国民道徳で抑え込んできた歴史がある。ここから、『古事記』から読む取れる、統治権を拡大させていく、皇位との連続性を持つことになる神に逆らわない「清明心」が発見されたのでは?

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54 自民党改憲草案の中で、「天皇の元首化」「基本的人権に関する条項の削除」があるが、一体どこの国が、相互の信頼を以って、国民主権を否定した国家と国民と付き合ってくれるのか?

55 明治維新とは始まりではない。前の時代(徳川日本)の終わりだ。日本は150年間のあいだ始まることがなかった。このまま何の感性の成長もなく絶対的保守主義が主流となるだろう

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「日本の没落」という言説


労働法が国の社会政策でしかなという日本の問題がアジアはどう考えるのかという点を認識していくことになってきました。アジアは、これまでアジアの近代化としての明治維新を称えてきましたが、結局開発と経済とマネーだけの自由がない日本モデル。アジアのポストモダン化のなかで、日本近代化をモデルにすることがなくなってきたのかもしれません。結局西欧から大きく遅れている移民国家的な文化多元主義でない日本の証言から、失望感はこれからどんどんなくなるとおもいます。わたしの考えでは、明治維新とは始まりではないです。前の時代(徳川日本)の終わりです。日本は150年間のあいだ始まることがなかったのです。このまま何の感性の成長もなく、別の近代のあり方を考えるような本文にある反省もなく、絶対的保守主義が主流となるのでしょう

57 近代は事物の根底に人間が先験ー経験二重体として自ら有限性から離れずに認識するあり方がある。思考の成立と共にある起源の思考から彼方に見える思考不可能なもの。人間が消滅する

58 フラクタル性か。「神の自己原因」とは大袈裟だろう。だけれど中世は近くにあるものといったら、神しかいなかったことも本当である。全体化できぬ至る所が微分不可能な空間の構成

59 ピーター・グリーナウェイが言っていたけど、一番自由な国はオランダである。モラルがない。イギリスもオランダぐらい自由があるが、しかしその自由と同じ重さのモラルの鎖がある、と

60 日本はそこそこの自由があるお陰で、民主主義を根本から議論しない。全体主義だって自由を否定し切った体制ではないのだ。権利のない社会に反対できない、市民道徳を押し潰す国家道徳の恐怖に生きている

61 平田篤胤キリスト教(天主教)を神話的に解釈したが、アイルランド神話のクー・フーリン(Cú Chulainn)もイギリスにおける女性化されたキリストのマッチョ化である

62 日本の島々と神々はイザナギイザナミ、この夫婦(兄妹)が作り出した。近親相姦の禁止は無い。禁止によって生態系と文化系が成立する。人間が消滅した西欧の知は構造を語りだす

63 境界とは、自らのものと他のものを指し示す。支配が地理的だけでなく精神の領域まで及ぶ。600年ー1000年:真理の体制。日本の古代は中国文明である。聖徳太子、『日本書記』

64 境界交差boundary crossing 

仏教徒がいつ中国に伝来したのか、その正確な時期は不明だが、諸国巡って修行する僧達により、一世紀には労働者階級に広まった。禁欲と家族との離縁を推奨する仏教は中国社会に大きな疑念をかき立てた。インドの空の思想を巡る儒家知識人の思想闘争は朱子の十世紀まで続く

65 民主主義への脅威をいうならば、安倍が称えていた薩長のクーデターの政治(反対意見を言う者を殺しまくった)ー昭和10年代のファシズムに帰結したーを批判しなければ意味がないよ

66 暴力が許されるのは、言論によっては覆すことができない真理を語る絶対的権威にたいして、だとおもいます。安倍は、私は今から「真実を語ります。それは..」と喋るところを射殺されたのではないでしょうか。喋っていたら、「わたしは嘘つきです」と言うはずだったのです

67 絶対的保守主義を批判的に考えることは、自己への抗議を為すものではないかとおもうのです。これは安倍にたいするわたしの思想闘争です

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公共放送(報道)のアベチャネル化も大きい

69 テロがけしからんことは当たり前。それを大前提に、襲撃された安倍晋三犬養毅高橋是清とのあいだに共通点はない。安倍は天皇主権を否定した民主主義に対する全否定だった。思想信条は宣長的に一切何なく、何でもかんでもカネがものをいう社会を作るだけであった。しかし犬養毅尾崎行雄と共に「憲政擁護・閥族打破」を訴えたし、高橋是清は軍拡に反対した日本のケインズだったのである。彼らの死以降、日本は天皇ファシズム軍国主義とが一致する戦争体制である。満洲事変を含む中国との戦争と太平洋戦争で15年以上戦争をやったのである。比べると、安倍の終わりによって、戦争責任が自覚され、これから、現在のヨーロッパに大きな遅れをとった、移民国家的多元主義への道が開かれるとわたしは希望をもっている。(この「希望」という語は日本にあって絶望と同義語ではなくとも、いつも皮肉の意を持つ語ではあるが)

70 普通政治家のファシズムを煽る言説が問題とされるのに、日本はファショ的言説を批判する反ファシズム(安倍批判)がファシズム的暴力だと非難されるのですね。自由を全体主義といい、全体主義を自由だと言っているような認識の混乱

71 思想闘争の言論でやっつけられなかった安倍は生き続けるのかもしれないですね。このまま日本の主流は彼がその方向づけを行った絶対的保守主義になりそうです。絶対的保守主義とは、国が安定してさえいれば、神と天皇との連続性を確立した明治の過去が良かったとする見方です

何が問題となっているのか?安倍は死んでいないということである

72 芸術の世界は「何も変えるな!」と主張するときは「すべてを変えろ」を意味しています。ヌーヴェルバーグは「何も変えるな!」と主張して、ハリウッド映画と古いフランス映画の両方を愛したのですが、それは彼ら以前に無かったことでした。またバザンなど彼らの映画の保存の考え方も、ミイラを発見するのですが、ミイラは、生きているのか死んでいるのかわからない過去ではなく、死にきった過去を保つのですね、絶対的伝統主義というか。しかし政治が「何も変えるな!」と主張するときは、明治の生きているのか死んでいるのかわからない過去を変えるなというものです。安倍が方向づけた絶対的保守主義とは、これから主流になるかんじですが、国家さえ安定していれば、神と天皇との連続性を作った明治国家の過去が良しという見方です。安倍の場合は、ただし、皇室に依存しない天皇教ですね、嫌韓と反中のナショナリズム

73 おやおや、与党は自民党、第一党野党も自民党かい?政府が国会を作った風景がこれである。ニッポン、チャチャチャ、すごい

自民党の問題は、<国家日本>の「国家」と、自ら国家であると主張する<国家神道>の「国家」という二つの国家に支えなければいけない点でである。

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わたしは宗教的道徳とそれから自立するsecularな道徳との差異に関心をもっても、宗教はキリスト教、道徳に関しては憲法的道徳観とカント的道徳の形式的議論しか知らなかった。ヨーロッパ語では深められなかったが、この十年間は中国思想の朱子学と古学を考えることができるようになった。これは漢字と共にあったおかげだろうか。現在の課題だが、宗教との関係において、芸術がどこにあるのかよくわかっていない。近代から回顧すると構造的にというか、数学における芸術の語られ方を作ったプラトンのことを考えるときがあるが、しかし正直これについては生きている間にわかる保証もない。思考が不足している。

76 柄谷行人の仏教を世界宗教として語る語り方。天皇制国家の確立は世界宗教の神の成立と共にあった。対立した部族間の統一は仏教における超越的な神が必要だったと考えられる。仏教は鎮護国家にとって内部的に必要にすぎなかった天皇制国家とは別の、鎌倉国家の成立は、仏教の世界宗教としての再構成によって可能となった

No,1 Buddhism and Modern Japan  (Buddhism and Fascism , by Kojin Karatani )

・Buddhism, which is said to have entered Japan in the sixth century, was established as a state religion in the seventh and eighth centuries because the Yamato court, which at the time had achieved unification through the conquest of disparate clans, made use of it as a world religion that would transcend the gods of the multiple clans. For this reason, it was at the time no more than an esoteric religion centered on the pacification and protection of the realm by way of prayer and ritual [chingo kokka]. If it had remained as such , no matter its theoretical profundity, it would undoubtedly have been absorbed into native religions. Thus one can only truly say that Buddhism took root in Japan at the stage of Kamakura Buddhism, which was produced by monks such Honen, Shinran, and Nichiren. They had originally studied at the state-santioned monastic center on Mount Hiei, but they discarded this training and began to proselytize directly to the people. (con.)

77 偶像崇拝禁止は神の顔は描かれることはない。キリストの磔にされた十字架に集まってきた人々の顔も無い。映画仲間だったダブリンの宗教画家によると、顔を描くとpersona historyになってしまうからだとわたしにいう。わたしはpure  pageant 純粋異教徒と呼ばれていた!宗教画家は悲しむ女性たちの顔を描かなかったが、キリストの顔を描いただけにフェミニズムから非難されていた。イスラエルへ行かないユダヤ系イギリス人たちから、ローマカトリックのマリア像だけでなくて、体系的で抽象的すぎる物の見方も危険な偶像崇拝とされると教わった。わたしは超越を考える

78柄谷行人世界宗教の語られ方は彼の帝国理論に発展して行く。世界宗教は高度な互酬Xなのだ。このように体系的で抽象的すぎる理論に危険な偶像崇拝をわたしは感じる

79 1970年代の「血の日曜日事件」などのアイルランドの地域紛争を理解するためには、ヘンリー2世の英国による植民地化がはじまった12世紀に遡る必要かある

80 いきなり熱湯で沸騰した鍋に入れると暴れるが、少しづつ温度をあげて行くなら熱湯だと気がつかない蟹。慣れちゃうのがヤバイんだよ

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世界宗教の脱普遍化


ヨーロッパは世界宗教の脱普遍というような多元主義の方向で面白いことが起きていて、これについて考えた批評を読んだり演劇をみたりしました。周辺国におけるポストモダン的思想の様態を考えさせる、ブライアン・フリール作『フェイス・ヒーラー』(1979)はベケットを継承した大変知的な作品でした。日本における世界宗教の脱普遍化に関心がありますが、日本で目立つのは中央の権力と結びついたカルトですね、どうもこれは知的に考える対象になりません。どうでしょうか。思想の幅を広くするために、右翼のひとを排せずにおりますが、ネットの耳知識というか消費されるようなボンヤリとしたオカルトなんですね、彼らの関心は。明らかに反権力的なんですが、しばらく話をきいていると権威主義。その根底に、民族の幻想というかナショナリズムがあるようですが、むしろファショ的な感じがします。「維新」のように権力の解体を言うのがファショ的人物しかいない日本の問題です

82 戦後の宗教ナショナリズムなどをみると、宗教が活発にみえるけれど、これとは反対に、宗教の停滞をみる見方もある。世界宗教の脱普遍化が起きている。これは私の構成である

83 朱子学はアジアの唯一の普遍思想だったが、これを世界宗教であると構成すると、古学と国学が行ったのは世界宗教の脱普遍化。問題は明治がそれを国家神道に再領土化したこと

84 柄谷行人世界宗教について語りだしたとき、宗教の脱国教化を彼は考えた。帝国の世界宗教化は世界資本主義に対する抵抗である。これに対して、わたしは、世界資本主義に対する住民の抵抗が宗教を利用することに鑑みて、世界宗教の脱普遍化のことが重要であるとおもう

85 人間は壺故に誤認の場所である。自分の思考から自分自身を溢れ出させる危険に絡みとられるし、逆に、自分に対して自分から逃れるものから出発して自らを想起することになるのである

86 サッチャー国葬を見学したときは、集まってきたのは観光客ばかりでした。イギリス人は相当にしらけていました。わたしはyou tube で流そうとおもってアフリカ系女性にインタビューしたのですが、これはやってよかった、市民の怒りが伝わって来ました。

安倍がやったことといえば、解釈改憲軍国主義公式参拝を復活させたことです。彼が主宰した伊勢サミットは国家神道の復活です。あとは、皇室に依存しない天皇教の確立ですが、国葬を契機に、「民主主義の脅威」(安倍自身がそんな脅威だったはずですが)と戦った愛国者というふうなナショナリズムが起きてくるかも知れませんね。注意深く監視したいと思います

87 ポストモダンは共通概念を考えなければいけない。わたしの理解でいいのかわからないが、共通概念は属性であり本質であっても、実体化に絡みとられる思考の対象となるものではない。共通を表象させる物としての共通概念を考えてみたらどうか

88 アジア人は死んだ両親は天から自分を見ていなければいけない。もっと身近にいるかも。しかし先祖の実生活への介入をいう商売は政治と宗教の腐敗した関係の成立と共にある近代なのだ

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西欧の人達の中でぽつんと孤立してしまうのは日本人。他のアジア人同士で固まる。これは宗教観あるいは宇宙観の違いから説明できることではないかと日本人ビジネスマンは考えるようだ。アジア人は天にいる死んだ両親が自分を見ていなければいけない。これはアジアの朱子学コスモロジーである(日本の近代はアジアの朱子学コスモロジーを棄ててしまった)。しかし西欧人は先祖の霊魂が天から見ているという考えを理解できないのではないか。キリスト教霊性という思想があって、死後の霊魂は永遠の命に向かって純粋に高く行くので肉体との囚われから断ち切れていなければならない。イスラム教は、というか哲学かな、死後の霊魂は個体性を保つことはないから、死者の子孫を見てはいない。これは儒教的に考えると、死後を魂と肉体を魂魄として気であるととらえることになったが、魂は魄といつまでも繋がるのは何か特権的なこと(理の私物化)であると批判的に理解されるのである。朱子唯物論的に魂はいつか消滅すると考えたが、これについて弟子たちの間に大きな論争が起きた。魂が消滅してしまったら子孫たちが先祖を迎える儀式をやる意味がなくなってしまうではないかと

90 スピノザにおける表現の問題

わたしははっきり分かってはいないけれど、スピノザの思考の論理的順序が大切だと思っている。属性は思惟とは別のあり方をもっている。属性は表現的なのである。属性は属性を知覚する思惟を包む。多分、包むものが包まれるもの含むためには、自ら最高のものをもっていなければいけない。属性は表現的であるゆえに最高のものをもっている。わたしは古典主義を超えるバロックの奥行きのある表現のことを考えるのである。こちらを含んでこちらから見えるあちらを描く絵こそは表現のあり方を表現している


Chaque attribut <exprime> une certain essence (Spinoza). Si l'attribut se rapporte nécessairement à l'entendement, ce n'est pas parce qu'il réside dans l'entendement, mais parce qu'il est expressif et que ce qu'il exprime implique nécessairement un entendement qui  le < perçoive> 

ー Deleuze

91 ポストモダンは共通概念を考えなければいけない。わたしの理解でいいのかわからないが、共通概念は属性であり本質であっても、実体化に絡みとられる思考の対象となるものではない。共通を表象させる物としての共通概念を考えてみたらどうか


‪Une notion commune, c'est précisément l'idée d'une composition de rapports entre plusieurs choses. Soit l'attribut < étendre > ; il a lui-même une essence, et ce n'est pas en se sens qu'il est l'objet d'une notion commune. Le corps dans l'étendue ont eux-même des essences, et ce n'est pas en ce sens qu'ils sont l'objet de notions communes. Mais l'attribut étendue est aussi une forme commune à la substance dont il constitue l'essence, et à tous les corps  possibles dont il enveloppe les essences. L'attribut étendue comme notion commune ne se confondra avec aucune essence , mais désignera l'unité de composition de les corps ; tous les corps sont dans l'étendue...‬

92 古代中国。漢字文化圏のなかの中国でない国は起源としての中国古代を否定できないが中国のエリートとは別にいかに儒教を考えるのかが問題である。これは中国の語られ方を構成する。20世紀も日本人は中国を語って来た

93 「死んだひとを悪くいうな」ですって?アベは死にましたが、彼の歴史修正主義の思想は生きています。彼が生きている間に思想闘争によっ倒すべきでした..

94 わたしはオカルト教団から「サタン」と呼ばれた。サタンとは何か?『失楽園』のサタンは言う。神々に戦いで敗北したが、だからといって彼らを超越者と認めることを拒否している

95 <書く>ときは表現は概念を拡張する。線を<描く>ときは線それ自身と概念を表現する。表現的であるためには包むものは包まれるものに対して最高のものをもっていなければいけない

96 わたしは祖先崇拝がない。祖先を感じたのは、ロンドン時代の故郷なきコミュニストたちの無名墓地を見たときである。あと、海岸に佇んで水の眠る音を聴いたときかな

97 ファスビンダーパゾリーニを語ることは大変なのは彼らは知識人だからである。否、知識人だからこそ語れると考えることもできる。20世紀精神史を形成するドイツ映画史とイタリア映画史という歴史の感覚を以て語らなければいけない

98 オリエンタリズムが作った、古代中国の語られ方。祖先崇拝と甲骨文字と漢字の3点セットである。戦争に勝てるかどうかを占う儀式にたいして、精神がその答えを動物の骨に書くという

99 ユダヤ人陰謀説などは下らぬ反知性主義の類と思うが、陰謀というものは存在すると思い始めた。現にわれわれの日常に侵入する統一教会自民党の間の明確な共犯関係を目撃している

100 世界の分裂は何であれ全部聖書の冒頭に記されている?コリアの世界の統一?アダム(男性)をエホバ(女性)が助ける?これは中華帝国朝貢関係を記号的再構成した陰画ではないか

101 アイルランド小説といえば裏切り。『暗殺の森』のベルトリッチもアイルランドの詩に影響を受けた。二重スパイが百回裏切り続けて元々どちらのスパイだったか本人もわからなくなる裏切り


茶店でロシアのウクライナ侵略の話題で盛り上がる親爺達は民主台湾を守れと喋り出した。誰が誰のために?日本がアメリカのために。そうかな?アジアがアジアのためにではないか