1、権力の集中(東京一極化集中)の解決を訴えるものが橋下や大阪維新のようにファショ的であるのは、天皇に権力を集中させて復古主義的に国を作り直した歴史の悪夢が反復している
反復する歴史の悪夢から目覚めたい!
2 猪木さんの対戦相手のアリーと私が知らなかった彼のイスラム教との結びつきに興味をもった。アリーの祖先はアイリッシュ移民。アメリカでアイリッシュはアフリカ系の人々と結婚した
3 国葬を中止にできなくとも国葬反対の声は思想良心の自由の存在を示したのですが、管の山縣有明と共にある追悼の辞に共感を反対派がもちました。私はイタイ敗北を知りました
4 「玄瑞は廟堂政治家、晋作は暴れ牛、九一は木刀、狂介(山縣有朋)は単なる棒切れ」。松下村塾での棒切れの言葉をかくも内面化してしまうのは近代の問い返しがないからではないかな
5 円安が虎である
「我々にしか属さず、認識することによって世界の真実を我々に開いてくれる、有限性に自分自身が繋がれていると信じている我々は、我々自身、虎の背にくくりつけられているということを思い出さなければならないのではなかろうか?」-フーコ
6 『論語』後半は隠者が登場してくる。孔子は公から引退しても、世の政治をしっかりみて批判していた。現在でいえば、アドルノとか国のあり方を批判する国内亡命のようなものである。しかし自然の中に隠れている隠者からは「無駄だ」と非難される。この隠者の立場は道教的なものである。
8 ゲール語聖書の誕生
エリザベス1世のときにアイルランド貴族は英国との闘いに破れて大船団を以ってイタリアに逃げてしまった。多くはイタリアで飲んだくれになった。このことによって、イギリスによるアイルランドの中央集権的支配が一気に進む。アイルランドに入植してきた連中が地主階級である10%の支配者となる。彼らはアイリッシュ農民と言語的コミュニケーションをとる必要から、彼らの言葉を研究してゲール語辞書をはじめて作った。聖書はヘブライ語からゲール語に翻訳されて行ったのである
7 プルーストにおける芸術のシーニュとドウルーズが呼ぶものは精神的なものだから、鬼神論的に考えることができる。芸術は世界の別のあり方を作る。魂の不死性としての芸術の永遠性
8 「憲法生かせ」と訴えるのは今だとおもう。特に若い人たちは外交の努力を評価している。問題は内容だ。野党は政府に、東アジアの外交について憲法生かしているかを正すことができる
9 習近平は大馬鹿の独裁者だとおもうけれど、米中のこの時代は、シナリオは二つ必要である。バイデンが国葬に来ないかったことを気にするのと同じくらい、習近平が国葬に来なかったことを案ずるのは私だけか?
10 わかっているだけで50の国以上の言葉で構成されている本を読めない。音声中心主義の方向性をもつ自立的言語主義(国語)に依拠していいのか、それで成り立っている一国民主主義に定位していいのか、と、自己のあり方を問う。己が属している漢字文化圏の意味を考える。中国は漢字という書記言語の優越性をもって帝国としての優越性を主張するのだが、これは根源的誤謬に陥っている。音声化している中国語は一刻言語でしかない、つまり母国語であると周辺諸国はみる。江戸時代の漢字下し文にされた漢籍の漢文エクリチュールのような普遍性が失われているのだろう
11引越しまで一か月、東京で何かやり残したことはないかな?少しでもプルーストを読み始めるか。爺さんになった10年後に東京の何処に戻ってくるかもしれないしな
11 座りこみは忙しいんですよ。隣町にビラを配りに行きますし、問題となっている現場を観にいきます。勉強しなければいけません。続ける為に食糧や燃料を確保しなければいけません
12 安倍の思想は本質は一般化されるというものだ(国家神道としての日本人のアイデンティティの主張)。これに対して、本質とは個体的であり個体化すると他者は考える(移民国家的)
13 この男は知識人だったら間違った自己の発言に責任を取らないといけない。彼は自分が知識人ではないことを知っているから自由に喋ることができる。若い人達は知識人(的)になるよりもむしろ文化人か商売人になりたいのは、間違ったことを喋ったときに責任をとらなくていいから
14 座りこみの知から見える世界とは、屋根がないもの、揺れるもの、貧しいもの、往来するもの、こちらの向こう側にあるもの、表から見える裏、存在するから動かないもの
15
「人間交際」をたたえる
社交というのは軍国主義的同一化の方向をもっている。プルーストは批判的にこれを描いたのは、彼のユダヤ系の背景があったのか、これを考える必要がある。20世紀の精神とは、ドレフュス事件からナチズム、後期近代のグローバル資本主義の成立を語る。20世紀とは全体化に絡みとられた世紀であった。プルーストはこの20世紀において「失われた時」を書いたのである。『失われた時をもとめて』の最終話は「見出された時」である。プルーストが表現した芸術のシーニュとは、他者が追放され排除されることのない、本質が個体化していく多元主義の世界を呈示する。再び社交に戻ると、社交の「社」について言うと、これは神社の囲い(境内)を意味した語である。他方で福沢諭吉が言っていたのは人間交際の交際である。明治初期の福沢は靖國神社のことは知らなかったが、靖國神社の同一化の方向をもつ知に対する批判をもっていた。福沢は人間はあっちこっちに行って自分の考えを喋らなければいけないという。彼が言う「人民people 」の知、それは同一者の内部でそれに沿って考える知ではなく、他者と共に考える知である
近代日本のアジアに対する蔑視はどうも福沢諭吉の責に帰するところがあるが..
16 ライプニッツはモナドによって構成される予定調和の宇宙を思考した。問題はモナドが窓がないことである。プルーストは、ドウルーズによれば、窓を与えるのは芸術のシーニュである
17ゴダールについて浅田さんは前衛を突き抜けた希望と評しました。つまり近代を突き抜けたポストモダンの希望と言いたいのでしょうが、浅田さん自身も紹介なさったポストモダンの消滅の危機にある日本の主流が絶対的保守主義になりそうなのに、希望と言っているのはアイロニー?
18
イギリス法原理をたたえる
過去に、必ず現在の紛争となっている問題を解決する答えが存在するというような先例主義ーイギリス法原理というかーはひとつの神秘主義ではないか。しかしマグナカルタの時代に遡れないし、市民革命の500年前の法の言葉は読めないのである。何も変わらないと言いながら、実際には何が法であるかを発明し続けている。これがイギリスの奥深さを構成しているような..
19 「あんまり死んだ人のためにお金を使うものではない」は孔子から確立したリアリズムではないか。孔子は「身分相応に」と言ったのは民が無理してお金に困らないようにするためである
20 安倍国葬に反対する市民のデモに対して「自分の意見を言うことが大切」と国葬賛成のお兄さんがネットで呼びかけていたけど、彼自身、先ずデモの行い的言葉を理解しなくてはね
21 舞台の役者は演じた後に喋る言葉が大切であるように、われわれは行い的言葉であるデモの後に何を喋るかである。間違っても自由に喋らせてくれ。思考の自由が試される
22 引越しの整理。恵比寿から出発してダブリンとロンドンに行ってきた本を再び箱にいれる。読まれていない本達を次々と発見。茅ヶ崎でヘッセ詩集とか野上『秀吉と利休』を読んでみるか
23 明帝国の没落を齎した秀吉の朝鮮出兵。船に描かれたものと云われる天井画を見たときは日本を感じなかった。17世紀はヨーロッパだけでなくアジアも外部に出た時代である
24 「天地の大徳は生と云う」(『易経』)利休は思想のことは書き残さなかったらしいが、彼は大徳寺にいた。朱子学と不可欠な参禅にも参加していた。
25 戦争機械とは戦争のイメージを思考に基づかせるポストモダンの試みで、純粋な戦争は対象がないと考えてみる。土地を目的とする点で植民地主義も武闘派植民地主義も戦争機械に非ず
25
この虎も面白いね。日本には虎がいなかったので、画家たちは中国で描かれた虎を描いたのである。描かれた虎のイメージを思考できるように再構成できたから、描く気持ちを起こさせたのではないか。オリジナルでないものを描くのが楽しかったとおもう
Un tigre boit dans une rivière en furie
Kanō Sansetsu (Japan, 1590-1651), vers 1640
26 神性というのは西欧の最高の知。存在である人間の霊の高さは何者にも規定されない神と人間とのものが分割されないようなあり方としての連続性によるものなのか?分からない、誰か教えて
27 外国に行ったら2年か3年準備が必要である。新聞を2年読めばその国のことはわかる。ヨーロッパを知るとはアジアの中で初めて可能だから、日本に戻ってからの猛勉強が大切である
28 日本知識人は見上げるヨーロッパと見下げるアジアに裂かれている。アジアは最高のものがあるヨーロッパを包む為には自らそれを超えるものをもつべきだという竹内好が言うようには…
29 江戸時代はリアリズムは一つではない。オランダからもたらされた解体新書的リアリズム。朱子学批判の古学のリアリズム。それと宋画の影響のもとに浮世絵を描いたリアリズム
30 アジアは最高のものがあるヨーロッパを包む為には自らそれを超えるものをもつべきだと竹内好は言った。西欧の最高知である神性に対しては、伊藤仁斎の「学」は超えているものと思う
31江戸時代はリアリズムは三つ。神話的思考は二つあった。上田秋成と彼が批判した本居宣長である。どうも私は宣長的人間らしいが、溝口健二の映画『雨月物語』が大好きである
32 戦後日本は、戦前講座派を止揚した丸山真男的市民社会論の流れを汲んだ護憲的なリアリズムと、絶対的保守主義の神話的思考である。ポストモダン思想は風穴を開けようとしたが撤退か
33 人類学は、生産と消費のサイクルが安定していれば象徴交換である親族婚姻体系に依ることができることを明らかにした。これに関しては、これから、日本の言論の主流となるとおもわれる絶対的保守主義とは、国が安定していれば神と皇位との連続性に依るべしとする、現人神的国体論のように、神話的に規定されたイデオロギー。絶対的保守主義に対しては、マルクス的人類学的構造主義が批判すべきだが、構造主義は日本においては消滅の危機にある
34 アイルランドは、事実上消滅したゲール語とシェークスピアの時代に入植者が持ち込んだ英語とイギリスの方言とが混ざってできている。ほかに、文学に書かれたHiberno-Englishがある。ジョイスは標準英語で書いたが、Hiberno-Englishの単語が時々出てくる。当たり前だが、アイルランド英語の辞書はない。豊かさをもっている言語だが、植民地主義の影響でアイルランド人は自分たちの話す言葉を恥ずかしく思っている。あなたがダブリンでイギリス人が喋るような発音で喋ったら誰もきいてくれない。あなたから逃げていってしまう
35 安倍晋三、橋下とかゆきひろ、どうして権力の集中を解体する日本人は、ファショ的な人物しかいないんだろう。仮説ではあるが、幕府を解体した下級武士の近代化は、国を作り直すときに、天皇に権力を集中させることによってしかできなかった歴史が反復しているのではないだろうか?
私は歴史の悪夢から目覚めたい!「何とか維新」はもうたくさんだ
36 金融緩和の円安、アベノミックスの無理を批判する声を国葬は封じてしまったのではないかな、どうなんだろうか。民を犠牲にした、国家の尊厳ファーストの失敗
37 近代は要らないものばかり発明されてきた。ヘイトスピーチのオンパレードの掲示板なんか世の中に必要ないんだ
38
天皇があって、人生が定まるものではない。絶対的保守主義に反対する
「始まりもなければ終わりもない輪廻の中で、それぞれの人生は前世の結果であると同時に、来世を生み出すものでもあるが、それらの総体を決定づける人生は存在しない……。」ーボルヘス
39 荻生徂徠は東の野蛮国からは聖人は生まれないと確信をもっていた。何と言っても、中国があって京は定まるのだ。しかしそう確信を示さなければ不安だったほど中国の存在に疑いがあった。彼の中国は同時代の清ではなく古代のものである。ベラスケス『侍女の間』も王があって民は定まると言っていような絵である。しかし問題は、画布の裏側から部屋の全体をみるとき、鏡に王の姿はあるが、つまり表象はあるが、王が不在である。フーコは世界システムが成立する17世紀の危機が描かれているとみた。多言主義の時代において普遍主義を再構成しなければいけない21世紀のわれわれにとって、王の不在は大きな知的関心を呼ぶ
40 商売は計れない行いでなければ意味がないが、座り込む人は単純に座っている。今日もまだ何の為に行っているかわからないが、世界を正すために終わってはいけない。内なる命令
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ギリシャ哲学は魂は消滅すると唯物論的に考えた(文献で確かめたわけではないが)。トマス・アクナスはこの消滅してしまう魂の問題を死滅しない存在の問題として置き換えた。難しい。
知識人の祖先崇拝はマルクス主義の近代がもっとも無視した話ではないか
アジアは、朱子は身体から離れた魂は消滅すると唯物論的に考えていたが、「そうならば生者が魂を迎える儀式の意味がなくなる」と考えた弟子達との激しい論争があった。朱子は「魂は消滅するが、非常に長い時期をかけて消滅するから心配するな」と弟子達に答えた。原始儒教は祖先崇拝を行ったが、朱子学は淫祠邪教を禁じた宗教改革のあともこれを捨てなかった。アジアでは儒教は孔子教と言われるが、 17世紀徳川日本の儒者は孔子を始祖とする祖廟をもっていたようだ。
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43 契沖の鶏は世界の外部の中心に存在して新しい世界に向かって再構成しようとしている。この鳥は、巻かれたら巻き返せとばかり、文化と自然の分割からはみだそうとしている。
44 やはり本は与えなければいけないとおもう。再生の儀式というか、本を投げすてる者は必ず、人間を追放して排除していくことになるのじゃないかな。
45 中国は共産党の体制でもいいですから近隣諸国と国内マイノリティーとの関係を良くしていかなければいけません。それを言うためには先に(後ではなくて)日本自身がそうならなければ
46 フランスの左翼メランショは組合的社会主義を訴えている。組合的なものとは、雇用対策と共にある、グローバル資本主義のマクロンと同一的起源を言うルペンに抵抗する理念だろうか
フランスの中央主権体制は指摘される。だがフーコとかデリダが出てきた。もちろんフランスの多元主義は理念的なもの。それに対して「権威主義的パーソナリティ」の話をしているレーニン主義の旧左翼がそのフランスがファショ的国家主義だと決めつけて、スターリニズムを擁護している。こんなことを言っているようでは大変だ。日本の主流が絶対的保守主義になろうとしているのに対して、抵抗しなければいけないのに、一階級の視点しかないスタリニズムへのノスタルジーでいいのか?思考するためにはイデオロギーからの自由が必要
47 アタリによると、21世紀はローマ帝国が崩壊した後の時代と似ているのだそうだ。これから中国とアメリカが世界の支配に立ちたいが、習近平の中国は無理だろう。トランプのアメリカはどんどん停滞していくかもしれない。日本がリーダーになる条件は、軍事大国化と女性の権利保障と移民受け入れ。最初のは難しい。後の二つは不可能か?それから、日本にとって彼が注目しているインドとかアフリカとの関係が大切だという。決定的なことを言ったのは、日本人は異議申し立てを大きくしていかなければならない。同調主義を大きくしてはだめだ。百年後の人々は未来を語った今日をどう語るのだろうか
48 大雅、蕪村、若冲の画を見ていると、タルコフスキーの映画の中にはいったようにかんじられる。わたしは書斎にいる隠者に会いにいって立ち止まった旅人。山々だけが動いている
49 ポストモダンのエリート主義は、国家の独自の近代的起源を語ってしまう。問題は、国家の内部の権力集中を問題にしないこと
50 古文辞学の荻生徂徠の文学論に基づいて作られた詩を読み蕪村の画を見ると、理想化されたものを俗なものに投射しているこれらは何かジョイスの神話的リアリズムと類似していると思う
51 18世紀京都の画は儒教の徂徠の古文辞学の理論に寄りながら表現している道教的世界なんだなあ。描かれているのは同時代の中国ではなくて理想化された過去の中国
52 十年間、引退後も世を正す国内亡命の場所を探した孔子を書いた伊藤仁斎が注釈した『論語』を読んだが、美を描いた大雅や蕪村の画の中に隠れて孔子を叱って自然に生きた隠者がいい
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54 目覚めは死である。目覚めないためには夢を発見しなければいけない。そうして毛沢東は夢としての革命を発明し続けた。画と夢の関係について日本思想史はどう語ったかは知らない。孔子は弟子達に何を望むかを尋ねた(『論語』)。弟子達に答えさせたあとに、孔子自身は童子に支えさせた温泉の情景を夢の中で見たように語って、それを望んだ。自分の時代は「制作の秋ではない」と孔子は考えたのである。輪郭線が墨の濃淡の差異で表現されるなど、線が逃走線の如く発明され続ける18世紀の日本画はまるで夢みたいである
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ソビエトと中国を社会主義の失敗あるいは斎藤幸平が指摘するように社会主義でなかったというのか、社会主義はツアー的一国社会主義か皇帝的一国社会主義として完成したと言うのか大きな違いです。わたしは後者の見方です。フランス革命はアナーキズムと国家主義の両方を持っていました。ボルシェヴィキはフランス革命の国家主義を選択したのです。収容所群島は必然な帰結ではなかったでしょうか。中国は中国スタリニズムですが、民族を作り出しました。ソビエトとは異なる独自の社会主義であると見るポジティブな見方があります。しかし収容所群島の存在と共に、 2000万人を殺した文革の歴史を無視してはいけないでしょう。儒教を否定しきった所から知識人弾圧が始まりました。現在は漢民族と新儒教の名目(大きすぎる他者)の名目でチベットとウイグルとを弾圧しています。19世紀のマルクスは地球環境のことを考えていたのでしょうか、わたしは疑問です。しかし「「格差」と「環境」を「同時に」解決していかなければ、文明崩壊の危機は乗り越えられないのです」はほんとうだと思います。マルクスは何ももたらさなかったわけではなくて、もし彼が生きていたら、文明危機を解決できる知識に万人が平等にアクセスできることが大切だと言うでしょう
-日本人は「資本主義の怖さを知らなさすぎる」の訳
マルクス主義はソ連と中国とはまったく異なる
ー斎藤幸平
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蔵書目録
自分自身を引用していないような本全てを一覧にした(引用した)本 XX を作ることを考える。
このとき XX は XX を引用するのか?
58 トッドは注目している国として、インド、パキスタン、イラク、アフリカ西部諸国をあげていた。インド人を矛盾と共に生きている民であると語る。何かヘーゲルの言葉を思い出した
59 アタリとトッドは中国に全く期待していなかった。アメリカの攻撃性のせいで中国は何も選択できないだろうとトッドはみる。多分ヨーロッパの中国に対する態度を読みとれる
60 皇帝一国社会主義は、中国の奥深さを以て、隣国諸国と国内マイノリティーとの関係を良くする必要があるが、台湾をめぐってアメリカの攻撃性の晒されている限り何も選択できないのか
6118世紀の写実された画を観て模倣について考える。写実というのは迂回というか、遠回りである。その傍らに木全体である見えない枝を描くために見える枝を模倣するというか
62 ポンドはどんどん安くなってきていて、燃料費を高騰させているが、ドルに対してもちろん、32年ぶりの円安の円に対しても価値を下げている。BrexitのせいだとEUは言う
63 英国もカルトの問題がある。米国主導のイラク爆撃を決めたブレアも原理主義的カルトとの関わりが疑われた。だが労働党全体が自民党のように教団の影響下にあるという疑いは無かった
64 解釈が必要な一文であるが、完璧な署名a perfect signature とは標識であり、この場合は、サインsignは表意性のことか?はっきりとはわからないが、ジョイスにとって署名は大きな意味をもっている。アイルランドの1日を書いた『ユリシーズ』の最後に、本の署名と言うべきように、トリエステ、チューリッヒ、パリと本を書いた場所を記してある。アイルランドでは原稿を書かなかったとはいえ、しかしアイルランドのことしか書かれていない本の署名としてダブリンが現れないのは何というか、ジョイスの相当な屈折を感じる
So why, pray, sign anything as long as every word, letter, penstroke, paperspace is a perfect signature of its own ? ( Joyce , Finnegans Wake)
こうして一つ一つの単語、文字、筆の動き、紙の余白それ自体の完璧な署名なのだからサインの必要などあろうか。(宮田恭子訳)
65 フーコの言説によれば、思考は人間の成立と共にある。思考は17世紀から始まるのに、何故思考を人間が現れる前に求めるのか?日付けのない貝殻の古代に遡るのか?芸術とは何か?
契沖のシュルレアリスム的コラージュはワイワイガヤガヤ、ウロウロウヨウヨしている。
66 柄谷の価値形式論についての言説で、売れなければ死であるという不確実性は命懸けの飛躍として語られる。契沖の画ー大鎌が落下したようなーは、商品経済の時代にあった京の人々の心の不安が表象されていたのか。存在はproject down
67 「習一強」が伝えられる、選択の自由がない、帝国の帝国主義化。中国の民主化がなければ日本の民主主義も定まらない。中国よりましだと皆が考える自民党支配のままなのだろうか
68 石が私を外に出してくれと詩人のような彫刻家に叫ぶというインディペントの映画作品があった。これはアイルランドの本質は個体的であり個体化することを表現していたと思う
69 契沖の画は山が中国の表象から私を外に出してくれと画家に叫んでいるようにわたしは思う。これは日本の本質は個体的であり個体化することを表現していたと思う
先行する第一の表象(中国)から第ニの表象(日本)への移行が一気に運動的に行われるのではなくて、学者論的議論のなかの映像に沿って論理的に行われるもで、非常にゆっくりしているかんじ。純粋な起源の成り立ちについての思考
70
〈思考する〉という営みは――それが創造的なものであるかぎり――メタファーを避けて通ることができない。とりわけ、その思考があらゆるものを対象とし、したがってまた自己自身をも対象としようとする哲学の場合、〈鏡〉というイメージは抗いがたい誘惑となる。ー斎藤
71 『フィネガンズウェイク』は毎年米国知識人のベスト10に必ずはいる。理念的にはナショナリズムがなく、自分達が繋がりあうどこの国の文化も理解できると思うアメリカみたいな本だ
72 高校生の時は、アジアの語は大東亜共栄圏の亜細亜と結びつく危険な感じがあった。「アジアの中の日本」といえばよかったが、日本が考えるアジアをゼロにしてアジアは意味があるのか
73 ジョイス『フィネガンズウェイク』は毎年米国知識人のベスト10に必ずはいる。理念的にはナショナリズムがなく、自分達が繋がりあうどこの国の文化も理解できると思うアメリカみたいな本だ。日本にいなくとも日本文化を語り尽くす。どうして『フィネガンズウェイク』もアメリカもそう考えることができるかというと、オリジナルなものが存在しないという考えがあるからだ。アメリカはポストモダンなのだ
74 現在若い人達はプーチンや習近平を見てなにを考えるのでしょうか。そして安倍をみてなにを考えなければいけなかったのでしょうか?わたしが若い時は、上の世代のおかげで、ナチス批判とスターリンについての知識の集積が十分にありました。しかしわたしたちはヒトラーとスターリンについて批判的に考えることができても、国家祭祀としての天皇ファシズムについての知識が十分だったでしょうか?十分でないから中曽根と安倍に抵抗できなかったのでは無いでしょうか。そしてわれわれは「習一強」に畏怖しても、現在中国共産党が自己を正当化している、天安門広場の劉暁波の弾圧にたいして正しい知識をもっていません。これは歴史を全体的に捉えることが必要です。その意味で無神論としての文革ファシズムの知識が十分にあるように思えません。民主主義に生きる若い世代のために知識の蓄積がだいじです。
75 50万人ぐらいが支えると言われる「習一強」をみせられると、数では一億はいる共産党がいかに民主的かとおもってしまった..もはや中国は共産党の国ではない。何と呼ぶべきか
76 英国民は自由市場の幻想のパニックに陥いる。異常なポンド安はEUと別れて中国と米国をパートナーとしたBrexitの影響ならば、EUに帰るのは信じられない程の屈辱に違いない
77 「聖なる寄附」は曖昧な彼らの言語においてであれ論理的には成り立つ。しかし救われない世の中ではあるがバックに神ではなく大臣がいるというイメージは受け入れることができない。
78 「聖なる寄附」は曖昧な彼らの言語においてであれ論理的には成り立つ。しかし救われない世の中ではあるがバックに神ではなく大臣がいるというイメージは受け入れることができない。
79 ブレアはイギリス北部出身の、所謂、育ちの良さを売り物にしていたが、しかし彼が喋る、時々労働者階級の発音が響く英語が疑問に思われた。イギリスは階級の話ばかりしている国だ
80 イギリスは本に税金がかからないし、彼らは本を大事にする。日本と比べてmobilityが少ないようにみえるあのような階級社会では本は脱階級的なものとしてあるのだろうか
81江戸時代は武士は学問する儒者になるために危険を冒して武士階級から落ちこぼれた。医者になる道があった。田畑を売って農民になる者もいた。脱階級的なものとして学問は共有された
82 「イギリスはどんな国ですか」ときく日本人の関心に沿ってこの質問に答える為に津田左右吉の英国観を考える。わたしは英国に4年間いたが、彼は二年間いたのかな。歴史において天皇と民が一度も争ったことがない日本と違って、イギリスは王権と争って次々に権力を奪った民が民主主義を獲得した国である
83 大英帝国の没落後のイギリスは自らを人権と外交と国際報道を中心とした国として再構成した。オバマの米国はイギリスを継承しようとしたが、トランプの登場で滅茶苦茶になった。最高裁に残した彼の悪影響は大きい。アメリカは国力を維持するだろうが普遍性をもった国としてはやっていけないだろう。「習一強」の中国も世界のリーダーになれない。台湾をめぐるアメリカの攻撃性のゆえに選択の自由がなくなってくるだろう。日本は帝国アメリカと帝国中国との間でやっていけなければいけないが、トランプ後のアメリカと「習一強」の中国では苦労ばかりで大したこともできないだろう。プーチンの帝国ロシアとは組めない。新しい未来を切り開くためには、女性の権利を保証し、外国人を受けいれながら、多元主義の方向を以って普遍主義を再構成しようとあうるヨーロッパと組んで、必ずしも西欧原理ではないインドとアフリカとの関係を構築できるかである。
84 ゴダール『ヌーヴェルバーグ』を見ると、エレナの自然ーもの(光と闇)で書かれたもの(光と闇)との同一化ーへの愛が描かれている。自然が大切にされたのは書かれている自然が存在するからである
85 原初的言語の中の映像がわたしに向かって繰り返される。蕪村と大雅、若冲において、描かれている画の中に書かれているものがある。自然が大切だったのはどうしてだろうか?それがもので書かれているものという限りにおいて信があるからではないか。近代は自然が声に置き換えられてしまった(ルソー)。至上なものは人間である、あるいは、自然との境界を構成する、表にされる分類される人間的自然である
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現代アートの展示に来る観客ー日本人とは言いませんけどーは、「金を払ったんだから、何か物を見せて貰おうか」という態度でしたら、もし部屋になにもなかったら、不平を言います。完全に無意味なものでも、見せてくれたら、「つまらん」と不平を言いますが、金返せとは言わないと思うのです。
ゴダールを見るひとの中には、「金を払ったんだから、何か物を見せて貰おうか」という態度で、みんなが解らない物を見せてもらおうかとおもっているひともいるでしょう(笑)。
現代アートはデユシャンのように、意味から独立した便器、完全に無意味なものを作りますし、もう少し知的にルネ・マグリットのように、<意味の無意味>を問う作品を作るひともいますね。しかしゴダールはカトリック的偶像崇拝的というか、そのためにユダヤ的抽象性の現代アートから忌み嫌われます。ゴダールの目標は、映画誕生から百年間存在した「すべての映画」を思い浮かべてもらいたいのです。その上でゴダールの仕事はその表象を思考可能にすることです。だから、普通の映画を見た後の喫茶店での会話のように、彼の映画を見たら、あの映像が良かったねとか喋ればいいのです。すると、文学の感想と違って、どの映像がそのひとを捉えたかは完全に自由なのです。「この映像が正しい」とは言えませんね。ただ「映像があるだけ」なのです。どんなにくだらなくても、夢を語るひとのように、どの映像もヒエラルキーがなくて平等です。こういう点がわたしがゴダールが良く理解できるところなのです。と、喋ると、「やっぱり訳が解らない」と言われちゃうのですけど(笑)
87
経済学では合理的期待学派というのがあって、ご存知かもしれませんが、国の経済政策が機能するのは期待はずれの時だけだと説明しています(笑)。事件が起きるのは期待通りに行かないときです。黒沢監督ですか?なるほどなるほど。ゴダールは溝口監督を評価していました。来日したときは彼の墓参にいきました。この十年ぐらいは違うのですが、黒沢監督の評価が非常に低くかったのでした。黒沢は西欧のドラマの論理にしたがっているからです。ゴダールはよく言うのですが、曖昧な映像に明確なイメージを衝突させよと。人間にとって、これ無しではやっていけなくなるイメージを作るのが大事なのですね。此方からみえる彼方の世界でしょうかね。此方と彼方の<と>のイメージ。ちょっと理屈を言うかもしれませんが、われわれゴダール派は此方と彼方との関係を運動的に考えるのではなくて、先か前かという論理でゆっくり考えたいのです。最初の映像と続く映像との関係を問うのです。思考イメージと言う場合があります。
「黒沢明の白黒作品は大変評価していたけど、カラー作品はいつもいつも期待はずれです」が理解できるのは、色が先行し、主題が後に続く思考が成立しているからです。
政治の問題もそうですよね。「曖昧な映像に明確なイメージを衝突させよ」というゴダールもメッセージは映画『中国女』のなかに出てきます。二年後のパリ5月革命を予言したと言われています。うまく説明できないかもしれないですが、最近の話に沿っていいますと、香港の学生たちはどういう考えをもっているのかはあまり解らないですが、中国共産党の元ではやっていけないという明確なイメージを示すことができます。日本70年代の学生運動と比較されるのですが、彼らは凄い自己否定の論理を持っていますが、しかし自民党の元ではやっていけないというイメージをもっていませんね。
ま、伯爵の所で、ゴダール論についてワイワイガヤガヤ喋るのはちょっとご迷惑かもしれないので、何か続きがございましたら、どうぞこのわたしのウオールにご投稿くださいませ。毎日、Godard Deuil(ゴダール喪中)の絵を描いてます
88 労働党の議員は選挙で1000人のボランテイアを必要とするが、保守党議員は1000人を雇うとしたらその費用はポケットマネーで賄えてしまうという。新首相も相当金持ちらしい
89 ガンジーの英国帝国主義を非難した言葉をひいているfb友達がいたが、現在英国はimperialistが死語になっている。「帝国主義者」は「一生懸命屋さん」を意味するぐらい
89 習近平政権3期目が発足の報道をみると、日本の国葬強行も同じだけど、どうしてアジアは民主化が進まないのだろうか
90 キューブリック『2001年宇宙の旅』の冒頭で示された、言語の中の言語自身の過去の姿は透明であったが、ラストはそれほど透明ではなかった。
91 同化主義のイメージでもある。だけれど見方によっては、民族の起源は無く、ポストモダンがみるように多数のアイデンティティに繋がっているようにも見える。フロイトが研究したシュレバー控訴院の身体は宇宙の光が差し込む多孔性だった
92 王によって追放され排除されたのは王と民との直接の一体を邪魔する者である。臣下は誰も見ない。何事も無かったかのようにしているのが恐怖を深める。一般的等価形態だから王であるのではない(曖昧な論理)。王だから王である(明確なイメージ)
賛成するものはいるが選挙で選ばれていないから嫌われているものもいれば(英国)、反対するものがいないなかで選ばれているから嫌われているものがいる(中国)
93 アフリカからやってきてインドの富豪の娘と結婚した、妃労働者階級の友達がいないと語るそのものは国王より金持ち
94 自分がなくとも好きな食べ物はちゃんとあるが、どうもアート作品はそうはいかない。よく言われる点だが、自分を持っていないと好きな絵がない。芸術は権威がないからだろう
95 「話をまとめてください」と言う若者に驚いちゃった。若者らしくない。時間があるのに。我々は余命幾許もないから若かった時のように無駄を好んで時間を差延化できないのだけれど
96 「私の宗教と文化的な背景はインドにある」。スナク首相は「ヒンドゥーの誇り」を強調してきた。チャールズとダイアナの離婚で国教会の権威が落ちて文化多元主義に有利に働いている
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エッセイ
ーフーコ『言葉と物』
エッセイ
(Deuil 絵) 1000?
エッセイ
ージョイス『フィネガンズウエイク』
文とスケッチ100
アキナス『神学大全』
子安論 1
江戸の表象
(日本画)
油絵 10
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「廊下とともにある、開かれた、部屋の扉たち」(ゴダール)<ー歴史に存在したすべての映画を思い浮かべた言葉
99 「武家は儒教を学び、漢籍が読め、漢文が書け、漢詩を詠んだ。お茶も嗜めた。」
徳川幕府の正式な学は朱子学でした。それに対して町人は古学を学びました。同じ儒教でも、大きな違いです。朱子学は名義体分論など支配を固定化しました。同一性が大切。それに対して、古学は脱階級的な方向性をもっていました。多様性重視ですね。もう一つ三浦梅園の気の形而上学が影響力がありました。物理学という見事な翻訳が可能となりました。
近代は、漱石たちは持っていました、江戸時代のアジア的コスモロジーを失ったことは本当です。
漢籍を読めなくなるのは大正の和辻哲郎からです。ヨーロッパに行ってハイデガーと対等にやり合うほどの教養がありましたけれどね、その代償というか、アジアを失いました。和辻は「近代の超克」の大川周明と九鬼修造ともに、アジアを語り出した岡倉天心の講座に出ていたのですけれどね。
現在もヨーロッパは500年前の時代にいつも帰ります。ミルトンが何を言ったとか、シェークスピアは何を書いたとか新聞に書かれます。
日本は現代の問題を考えるときは16世紀17世紀の知識人に言及することはありません。しかし17世紀こそアジアの知識革命は京都から起きたのです。武士政権は天皇と貴族と僧侶寺社が独占していた学問を町人と農民に与えました。
最初に書いた朱子学ですが、これは12世紀に宋から伝わってきた、アジアの唯一の普遍思想です。日本思想史の近世に至る流れは、伊藤仁斎の古学においてあるような、脱朱子学の流れです。
「徳川幕府の正式な学は朱子学でした。それに対して町人は古学を学びました。同じ儒教でも、大きな違いです。朱子学は名義体分論など支配を固定化しました。同一性が大切。」と書いたのですが、大切な横井小楠の朱子学を忘れていました。彼は西欧に普遍があるならば、朱子学の普遍に委ねてきたわれわれは、西欧に向かって国を開こうといいました。ただし侵略が起きるちいけないから国防は持ちましょうと。ただし薩長が勝手に武装化しているのは公の道である政治を私物化していると非難して、結局彼らに襲撃されて殺されました。あと、自民党右翼とか大蔵省に影響を与えていた、武士たちを惹きつけた、17世紀京都の山崎闇斎の神道的朱子学の非常にヤバイのがあります。他に、心学と呼ばれた、大阪で隆盛をみた石田梅園の朱子学的公共哲学みたいのがありました。気の形而上学と言われる三浦梅園にとって朱子学は大事でした。かれの条理学があってこそ物理学の翻訳語が可能でした。
100 憤慨する野党ではダメだというが、憤慨とは超えられないアイロニなのだ。国民はバカだと言う。しかし国民に訴えなければ全体主義に希望をもてというのか。再び天皇ファシズムに?
101移民国家イギリスの最前列に座るのがだれかといえば、そりゃあ、インド系だろうね。牢名主みたいに(失礼)、凄く威張っている。その後ろで2番を争っているのが、同化するアイリッシュとユダヤ人。後は、厳密にコモンウエルズの名簿順に従って座っている感じで、そういう意味で日本人なんかは廊下の外(笑) しかし東京に来るイギリス人は居心地が良さそうにほんとうに自然に打ちとけているよね なんでかなあ..
102 それにしても、過去にこんな国があっただろうか。全員が汚職している政府が丸ごと海外に亡命しようとしている中国という国とは一体何だろうか?
103 バカだからこそ学ぶ必要があります。しかし純真なバカになると学びません。純真なバカとは、靖國神社としての日本人のアイデンティティを語るもののことです。バカではないけれど、西欧ジャーナリズムの伊勢サミット批判を日本文化に対する差別だと言っているものがいます。
104 「形而上学の歴史は、絶対的な<自分が語るのを-聞き-たい>ということである」(デリダ)。私は克己帰礼の言葉を思う。本質に帰る自己のあり方である。朱子学はアジアで成立した唯一普遍思想である。つまり形而上学と呼べるものである、完璧ではないが。これによってアジアで古代との連続性を経ったバベルの災厄が起きた。経書は古代の読み方では読めなくなったのである。これに民して、古学は本質は個体であり、個体的であると考えたのではだろうか。
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105 詩人は言う。不在の上に君臨するのは君だ、私のことではないと。詩人は反復してくる言語の中の映像の痕跡を辿る。天を仰ぐ。君は自身の声の中の映像を捉える
106 マルティン・ルターの宗教改革は1517年10月31日である。大学にはいったときき最初に読んだ本が、かれの『キリスト者の自由』とハイエク『隷従への道』だったなあ
107 マルティン・ルターの宗教改革は1517年10月31日である。大学にはいったときき最初に読んだ本が、かれの『キリスト者の自由』とハイエク『隷従への道』だったなあ
108 母は高校はカトリックの学校で短大はプロテスタントだった。信じていないことを強制されていたためか冷淡である。バチカンを案内したら、「絵空事よ」という言葉を吐いていた
109 ダブリンのトリニテイーカレッジはグレゴリー夫人から「万里の長城」と呼ばれていた。カトリック・アイルランドはプロフテスタントの大学の存在と圧倒的な知的影響に支えられている
110 画家フランシス・ベーコン(1909年生)と作家ベケット(1906年生)は支配階級プロテスタント系出身である。アイルランド共和国成立が彼らの喪失の主題に影響を与えたか?
111 アイルランドの聖パトリックはケルト系キリスト教である。最初に彼がアイルランドにキリスト教を伝えたと言われるが、既にキリスト教はあった。その時代のキリスト教は異端である
112 プロテスタント系のイエーツの詩はダブリンのコンビニの店頭で売っている。ドルイドの生き生きとしたインスピレーションの詩で世に出たが、最後は内戦の痛々しい失望を書き綴った
113 プロテスタント系のゲイであるフランク・マックギネスが書いた戯曲カラッバジオを読むと、単純に教会批判ではなく、カトリックの正統な教義ー神性とかーを知らずには理解できない
114 カトリックに改宗した画家が映画仲間で親しく付き合って貰ったが、彼はプロテスタント時代に聖書を8年かけて読んだという。私の『論語』の読みは10年要した。結局破門されたが
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誰が聖書を読むのか
ロンドン時代はカルトが大流行していて、『易しく聖書を読める本』ごときハウツー本がベストセラーだった。危機感をもった左翼に対して、ジジェクは聖書を読めと言っていた。読むとユダヤ人が神をやっつけた方法が書いてあるから、と。しかしアイルランドに行ったときは聖書は読むものではないと何人からも言われた。中世のときは聖書を読むと罰せられた。ラテン語の注釈を学んだ聖職者が読んだ。宗教改革が成立したのはルターのドイツ語翻訳と共にである。解釈を以って世俗言語に訳されることになったのだろう。しかし近代化以前は、聖書を読んだものは、書かれたものを自分の声を聞くように読むことはあり得なかっただろう。フランス・カトリックとアイルランドカトリックは全然違うらしいが、カトリックの建前では世界の中心はバチカンにある。しかし宗教改革を契機に、プロテスタントのように、英国国教会のように国家の言語と力と一緒になっているものが現れた。哲学者のラッセルは聖書を読むことから近代のナショナリズムが現れたと指摘しているのだけれど、大変深いテーマである。私がアイルランド時代に目撃したのは、脱普遍のカトリックをテーマにした演劇である
116 白豪主義の時代に母と同じ黒髪の中国系の女の子に安心感があった私は中国人が好きだ。しかし今日の単一階級主義の平等主義と宋時代の皇帝的中華帝国主義の循環回路に不安を感じる。
単一階級主義の平等主義の問題は文化大革命のファシズムを考えれば分かる。宋時代の皇帝中華帝国というのは、宗の時代に西欧と対等な人間主義が朱子学から生まれたが、フランス革命の政治革命があった訳ではない。だが中国独自の近代が成立していたとして、ウイグルにたいしてイスラムの自由な信仰に介入しウイグル語を消滅させるような事実上植民主義同化主義を行っている
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118 先験的経験的二重体の成立とともに理念性が要請されたのが近代である。起源を説明していなくとも時間は起源の方に向かっているようにみえる。ナショナリズムの問題もここにある
119 映像は言葉が語るようにはできていないけれど、この方は危機感ゼロのようですが日本の言説的主流が絶対的保守主義になろうとしているなかで日本の本質を語ろうとしていますが、これに抗して反時代的に書くためには映像が必要だと私は考えています。プルーストが記号において書いているあり方をドウルーズが指摘していたように、本質は個体ですし、個体的になっていくからです。と、簡単にはいかないのですけれど
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20世紀の精神とは何か?20世紀は映画の世紀と言われた。21世紀は精神の不在に非ず。20世紀に亡くなった映画魂を迎える子孫のようにわれわれはあるかぎり映像は至る所にある。この場合、子孫は世界の外に生きていなければいけない
121 あと50箱作らなくちゃ。無理だよ。明日この家を明け渡して茅ヶ崎へ。これが最期の引越しだろうか?第三次世界大戦が起きたらヨーロッパかオーストラリアへ避難するかもしれない
第三次世界大戦が起きてヨーロッパか豪州へ避難したらどうやって稼ぐか?中国から亡命した超富豪と共産党幹部に、文革で失った『論語』を教えるか。現代中国語の勉強が必要だな
122 なぜ日本は民主主義に愛されない国なのか?安倍の国葬によって反社会集団の統一協会に信を与えたように、国葬の招待によってミャンマーの軍事政権を支持している日本政府。民主主義に愛されない国とはこういう 民主主義を愛さない国
123 日本にいたら国際基準の感覚から遅れるし実は他文化との接触の中で豊かになっていく日本の伝統も知らないままよね。移民国家的文化多元主義は多分50年ぐらい遅れている
124 ヨーロッパ人は他国の言葉を学ばずとも曖昧に相手が同じ言語の中にいることが分かるらしい。漢字文化圏のアジアを考えると、発音の仕方が分からぬが読める漢字を共有している
125 漢字文化圏のアジアを考えると、発音の仕方が分からぬが読める漢字を共有している。だが漢字は変化してきた。台湾に行ったとき読めない漢字だらけだった。歴史の発見である
126 津田左右吉は「詩は外国語で書いてはいけない」と言っている。源氏物語は認めていたようだけれど、あの漢字嫌いの津田も漢字で書かないと精神的な価値がないと考えたのだろうか?
127 貧富の格差の解決よりも、全員が貧しくなくてはいけないというのがアッシジのフランチェスコの教えだった。世界資本主義に抵抗するグローバルデモクラシーかもしれない
128 箱を作っては箱を解体する引越。床も屋根も壁も無い家のポストモダン建築のことを考えた。移民的国家の文化多元主義のイメージではないか。そんな家は主体は住めないが言語が住む
129 まあ、フランスとかドイツ、イギリスをたたえる日本人からすれば、ヨーロッパの端っこにいた私の話なんか価値のないものであるが、しかしスターリズムー言説の中から内部に沿って語られたような無誤謬性の神話ーを批判するためにはアイルランドでクロムウエルが何をしたかついて言わなくていけない。日本の教科書を疑わずにその通りに読んでいたらクロムウエルは共和主義のヒーローである。反権力が権力を掌握して自分達が正しいと言い始めたら敵を殺しはじめたのである。ああいう対抗普遍主義のもとづく殺戮は宗教改革を担った知識人と対抗宗教が主張していたものではなかった。思考の歴史は言説と反言説との両方から成る線によって引かれている。言説の中から内部に沿ってひかれた線が行く領域はブラックホールである。
130 司馬遼太郎『アイルランド紀行』はロバート・フラハティを書いている。ドキュメンタリーの父と言われたが漁民の妻にフランス女優を使うなどフィクションの要素もある。純粋な記録ではないからこそ、それまでの連続した時間を切断してしまう特異点であるような、歴史と神話の間の円環運動を表現できた。それ自身を作り出すモダニズム、独立アイルランドの語られ方がここにある。ところで『映画史』のゴダールはフラハティをレンブラントの後継者と呼んでいる。アムステルダムのゲットーにはじめてはいったレンブラントの作品はドキュメント的であるが、神話(聖書)を表象させている。
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色というのは思考の要素だとおもう。境界線は天と海を隔てるけれど、碧色は天と海が共有するものである。色は境界線に対して多孔性porousとしてある。
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戦前の思考
トランプのアメリカは国力を保っていくでしょうが、今まで築いてきた世界のリーダーとしての地位を失うのでしょう。信じられないことですが、アメリカの女性の地位が日本より低くなる可能性だってあります。
しかしトランプのようにビジネス的思考でなければ関わるのがめんどくさいという民主主義に無関心なほうが、米国と中国との戦争は避けられるのかもしれません。
もちろん第三次世界大戦を避けるためには、中国は一党独裁をやめること、それとアメリカは過剰な攻撃性をやめて中国を認める努力を行うことー中国の共産主義のままでいいから隣国と国内マイノリテイーとの関係を良くしていく方向を歓迎することーが不可欠と思いますが。日本は何かできないかといえば、ここで絶望に陥るのでなければ、その場合、新しい共産主義の理論ー共産主義は一党独裁でなくとも成立できるとする理論を中国のために作ることーだとおもうのです。すでに、われわれは批判しましたが、柄谷行人は共産党が全く知らないような、高度な互酬xとしての社会主義を理論化しました。
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トリエステへ行ったとき、独立イタリア国旗だけでなく、EUの旗、中世の時代と都市の旗が一緒に掲げられていた。茅ヶ崎は鎌倉幕府の管轄地で後に江戸幕府の天領だったので鎌倉幕府と江戸幕府の旗(徳川家の紋章とか大名の紋章)も掲げればいいのに。どうして日の丸の近代日本のひとつのアイデンティティにこだわるのだろうか