2016-01-01から1年間の記事一覧

和辻

‪‪ 「清明心」という理念型を根拠にそういう文化を担った古代人たちが実在したと思っちゃうのは、伝説があるのだからそこで伝える事実が実在したはずだと思いこむのとおなじ。そいうのは大抵は現在を美化する都合のいい解釈だけで。「餓死」でしかなかった事…

ネットの海外新聞記事

海外新聞の記事とその翻訳とがそのままの形でネットに入ってきていることに疑問を呈する声もなくはない。たしかに、スペイン市民戦争のジャーナリズムの写真リアリズムの限界に失望したピカソが思い出されたのは、イラク戦争報道の批判が起きたときだった。…

石田梅岩の「形ニ由ルノ心」

江戸中期にあたる1739年に京都で刊行。拾い読みだけれど、石田梅岩が言った「形ニ由ルノ心」の説が階級意識のテーマ(商人は士農工商の身分制のもとで一番差別されていた)と関係あるという示唆を念頭において読み進めていくと、なるほどたしかに、マルクス「…

レンブラント

‪バロックが指示する内部空間の外部‬は、フェルメールの窓、ベラスケスの鏡、カラバッジオの煌めく闇。レンブラントはアムステルダムの不可視の内部に生きる他者ユダヤ人を描く

起源という意味の病

ポンペイ古代劇場は火山の石で再建されている。劇場は地中に、石の破片だろう。覆い隠した灰を本物の劇場と思うのも、近代の産物でしかない靖国を古代と思うのも起源という意味の病 「日本人の語り継がれた唯一の歴史」を想起する靖国の形は、近代建築の時代…

プラトン

劇場での大衆演説?善人にみえるポピュリスム的迎合?プラトンはファシストの父を演じる国家を詩人に置き換える。詩人の故郷なき書く言葉はこれから話すときに声に撃ち殺される孤児 再び天に行く翼がなく、プラトンが想起する様には一から多へと下降できぬ。…

異常なことが始まろうちしているー安倍首相と稲田防衛大臣

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではない」(稲田防衛大臣)。敗戦後、隠していた、戦争神社(War Shrine)の正体が露骨に見えてきてしまったということだね オバマ氏が大統領を続けていたら安倍首相はそのまま靖国公式参拝させたか?そうとはおもえ…

ベートヴェン第九交響曲

第九交響曲はヨーロッパ統合のシンボル。その第四楽章がトルコ行進曲風なのは信じられないとジジェクは問うた。隠蔽しても痕跡が残る。自ら依拠している他者に向かって歌っている!

幸徳秋水と大杉栄

スターリン的一国社会主義に依存しなくとも市民がやっていけるような共同体の意義を言った幸徳から、徹底的に観念的であることのポジティブな意味が初めて言われた。(スターリンという「父」から独立したつもりで内部の領域で再び「父」を作り出してしまうナ…

たかが文法、されど文法

たかが文法、されど文法。肉・映画・リゾームに使う部分冠詞。不定冠詞との差異を学ぶ。話し言葉の根底にある、思考の自律性に関わる、思考を規定してくる文法性を考えていることに

思想の自立について

思想の自立がしてもそこで市民が自立しなければ何にもならない。テクストが自立しても話す主体が存在しなければ意味がない。幸徳秋水と大杉栄と小田実の役割を誰が引き受けるのか? 思想の自立性というか、それは現象学から始まることなのだと思う。そのとき…

線について

線は、襞、折れ目、破片、展開と再包摂を超えて、真っ直ぐに無限に至る

安倍首相へオリバー・ストーン監督ら公開質問状

安倍首相へオリバー・ストーン監督ら公開質問状「日本が攻撃したのは真珠湾だけではない」。「太平洋戦争」という言い方からして昭和日本の侵略戦争の全体を隠蔽している

日本では「わたしはアナーキストだ」とは非常に言いにくい、言うと孤立するから言えないのです。どうしてこんなことになっているのでしょうか?

わたしはアナーキーストだ 忘年会のときに子安先生がおっしゃったことですが、『「大正」を読み直す』を読んだ読者から、こんな手紙、メッセージもくるのだそうです。"自分はアナーキストなのだけれど人前で言えなかった、先生の本を読んでアナーキズムの意…

西田幾多郎

切り離してはいけない、他を必要としない内部(一対多)と、他に依拠する内部(一対一)とがある。後者を排して前者に無理に統合しても、どこでも一に包摂されただけの多即ち一自身しか見えないよ、西田幾多郎でも

映画「ヴィットゲンシュタイン」(デレクジャーマン監督)

‪映画「ヴィットゲンシュタイン」は、思い出すと、サイレント映画を見ていたのではなかったかと錯覚するほど沈黙が多い映画だ。デレクジャーマンはそういう風に作ったのだろう。「サイレント映画」の時代は映像を読み解く観客のなかでモノが豊穣に喋っていた…

ラカン

‪「私は嘘つきだ」「私は話す」(フーコ)。「私は真理を話します。すべてではありません。」(ラカン)。嘘か本当か、全てではないことを語るか、女は自分以外の女を語れないか‬ 「私は嘘つきだ」「私は話す」。私は話すのは、経験知による真偽に関わらない。真…

ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.47

わたしにはもはや希望がない 盲たちはある出口について語っている わたしは見る (「映画史の本文の前に置かれた映像と言葉。ゴダールとマリーミエヴィルのテレビ番組「6x2」(76)のなかより) ‪出口から切り離してはいけないものが理念的にある。ゴダールは話…

二つの内部 (2)

対立しあう二つの内部を切り離してはいけない。‪他を必要としない内部と、他に依拠する内部がある。後者を排する形で、前者の側に無理に統合すると、時間的包摂しかみえてこない‬ ‪諸々の諸部分の傍らに一つの全体をとったその近傍の領域を自ら襞の如く内側…

フーコ 「言葉と物」No.32

ヘーゲルとマルクスはカントの後に、精神と労働の語彙で語られるモノの思弁哲学を再構成した。これを批判する二つの知がある。その一つは、博識と経験知と理念の「カントへ帰れ」「私は市民として話す」だ。フーコの方向だね。もう一つの知は、私の不十分な…

二つの内部

‪‪他を必要としない内部と、他に依拠する内部とがある。この対立しあう二つの内部を切り離してはいけない。後者の内部を排する形で、前者の側において無理に統合すると、包摂しかみえてこない‬。さて映画というのは、誰がみても自己同一性なきポピュリスムの…

ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.46

映画は世の中をまもってきた、現在の問題は映画がなくなってしまったことだ、というようなことをゴダールは繰り返し言うのであるが、彼にとって映画とは道の学びと等価であることを理解した上でこの言葉の意味が明らかになる。現代の世界は、安倍自民党の日…

カントとハイデガー

ヘーゲルとマルクスはカントの後に、精神と労働の語彙で語られるモノの思弁哲学を再構成した。これを批判する二つの知がある。その一つは、博識と経験知と理念の「カントへ帰れ」「私は市民として話す」だ。フーコの方向だね。もう一つの知は、私の不十分な…

仁斎と共に学ぶ論語塾

「天命」(李氏第十六第八章)を注釈した仁斎の言葉に躓くという(論語塾)。「天には必然の理があり人には自取の道がある。天は善を作すものに百の祥いを降し、不善を作すものに百の殃いを降す」(子安訳)。果たしてこれは真か偽か?読み手は、真偽を超えて、「…

寺山修司

寺山修司は自分の馬に「ユリシーズ」の名を与えて夢へ?挿話「イタケ」の書く言葉の終止符からは、教理問答の真偽を超えて「私は話す」(独白)という理念と主体的アクションへ行く

「言葉と物」のコンパクトな世界 No.31

ギリシア的真理は、かつて、「私は嘘つきだ」という、このただ一つの明言のうちに震撼された。「私は話す」という明言は、現代のあらゆる虚構作品(フィクシオン)に試練を課す。 -フーコ「外の思考」- 私は話すとは、私の行為に関わる能動的アクションだ…

不確実性について

左手で描いているのは、左手の感覚に依らなければ表現できなくなってきたから。だが誰も入ってこれない私一人だけの部屋では左手があるかが分からない。鍵をかけたときまだ光がそこにあっても、見ることを見なければならないほど見ることそれ自身を疑うなら…

「言葉と物」のコンパクトな世界 No.30

‪自立するために、再び全体性の包摂に絡み取られない思考の柔軟性。べラスケスの絵みたいな本。誰も入れぬ私一人だけの部屋で本を読む。不可能だ。鍵をかけたとき本が脱出したかも

縮約、投射、映画

野生の思考は縮約によって全体性を取り返す。映画は平面スクリーンへの投射で四次元世界を縮約。ロンドンの連中が2009年以来、中央銀行建物に勝手に映画を投射。これも「占拠」 映画が終わったあと「字幕ってふりがなないの?難しい字がいっぱい出て来て話全…

『「古事記」は読み継がれてきた』とはだれのこと?

専門家ではないので間違ったことをいうかもしれませんが、間違いを恐れずにいうと、17世紀の儒者たちは、中国の文献を読んでそれについて注釈を漢字で書くときに何をしているかというと、漢字と仮名で考えることができたことを再び漢字で書いていた過程を想…